第2話 串刺し王の玩具

 様々な色や形の頭があまた蠢くこの目抜き通りの乱流は果てもなく、立ち尽くす行列同士の衝突は阿鼻叫喚の修羅場を呈している。行列の先頭は街区の先端、駅前噴水広場に面した扉の前に達する。そこが、かの総合病院受付口なのであった。

 二十三本の大通りは駅から放射状に計画されており、街区は二十四の二等辺三角形に区分されていた。総合病院はその一街区を丸ごと高層化した巨大な近代建築で、


「王妃の残飯」


と称される、全ての専門医を網羅した巨大施設である。

 アパートに換算すると千部屋にも、千五百部屋にも匹敵する容積を持ち、東部随一の高さを誇る展望式昇降機を備えた要塞が、駅前の一等地に聳え、人々を待ち受けている。


 交通の便が良く、技術も優秀なこの病院への来院者は数を増していき、それに応じて、通訳や土産物屋などが繁盛した。それは、通りの向かいに軒を連ね、さらに、行列を当て込んだ移動式のスタンドや露店がひしめきあって渋滞した。切符や診察定期の屋外販売などは、街の大きな財源となった。

 この街独特の臭気とは、夥しい数の傷病者と、薬品の匂いなのかもしれない。行列したまま、息を引き取る者も少なくは無い。


 幸い、彼はそれほど差し迫った容体ではないらしく、ただぼんやりと前の人間の足跡を辿っているが、両の目だけは絶えず辺りを窺い、口は半開きで息遣いは荒い。

 彼は、街の変貌に驚嘆していた。かつての印象は、心の奥底に石化していた。


「樵のし損じ」


と呼ばれる駅に降り立った時、風景と呼べるのは、あの塔の異形のみであった。だが、現在は街のいたるところに塔状の建物が林立していた。駅には銀色の天蓋が被せられ


「令嬢の接吻」


と称されるようになっていたし、病院の昇降装置の天辺も怜悧に磨ぎ澄まされている。


 通り沿いの建物は診察者を泊める宿屋を始め、上へ上へと建て増しを繰り返した。壁を接した家同士で話をつけて、勝手に部屋を打ち抜いたり、地下通路を繋げたりするのも、宿としての厨房や食堂、大部屋を確保する為だった。


「屋内を歩くのに地図と綱が要る街」


 とある建築家は、そう述懐した。構造計算など知らぬ素人達の仕業に、肝を冷やしながらの探索の結果、吐息混じりに吐き捨てられた言葉である。


 病院を建設する時、そのあまりの高さに、太陽の光を求める近隣住人が訴えをおこしたという嘘のような話もある。一年に数日だけ降り注ぐ陽光につけられた値段は、長距離列車の片道分の運賃と同額だったという。


 性急な原案承認や、手回しのよすぎた土地買収などは、今にして思えば、「祭典」の前奏に過ぎなかったのだろう。当局が懐にしている計画図によると、駅と病院の他に、現在の街を髣髴とさせるものは何もない。

 特に改編が大きいのは、あの塔のある街区だったから、以前からまことしやかに囁かれていた憶測が、俄に現実味を増した。


「当局は、あの塔を極めて穏便に始末する為だけに、祭典開催地に名乗りを挙げたのに違いない」


 あの塔は、名称を「串刺し王の玩具」という。


「串刺し王」の治世は伝承に残るだけで、真偽は定かでないので、これは俗称なのだが、最古の俗称である事だけは間違いが無い。

 その街区の最初の都市計画は、


「開発は破壊では無く、再生である」


のスローガンによって押し進められた。半世紀あまり昔の事である。


 当時、この街は広漠とした荒れ地だった。配属された役人達は、草原に聳える一基の塔を恰好の道標と定めて、計画を進めた。駅に人々が集まり、交通が頻繁になるにつれて、塔は街の名物となった。そして外地からの調査隊がやってきたのである。


 外国の歴史学者並びに建築史家は全土の遺跡調査報告『旅の友』の中で、この塔の事を『羽の無い風車。埋葬者の無い納骨堂』と酷評した。開発効果第二位の実績を誇っていた街の尊厳は一挙に崩落した。


 内部調査をした科学者が謎の死を遂げたとか、絨緞を踏むと、未だに血がしみ出してくるとか、新しい死体がいくつも転がっていたとか、子供達の剥製が並んでいたとかいう噂が、街中に流布した。一歩でも足を踏み入れたら、建物全部が屋台崩しになるのだとか、底知れぬ穴に落ちるのだとかいう誤解は、既に事実として認知されていたし、タブロイド紙は写真入りで、この塔の周辺で発見された場違いな落下物を紹介していた。行方不明になった子供たちの九割は、この建物の鐘楼で生皮を剥されているのだとか、実は、人造人間を生み出した偏執狂が住んでいたのだ、などという戯言に震えて眠る子供時代を過ごした大人達は、自分の子供がまったく同じ話に怯えている事を感に絶えない様子で語り合った。


 塔の窓や門は厳重な板塀で塞がれて、鎖が幾重にも取り巻き、三交代勤務の張り番が右往左往している。当局が内部の何物かを厳重に秘匿しているのだと勘繰る者も後を絶たない。

 本当のところは、単に崩壊の危険があるための処置に過ぎないのだと、窓口の担当官は肩をすぼめた写真付きで、談話を発表した。

 当局は一刻も早く始末をつけたいと考えていた。しかし、通りには人馬が絶えず行き交い、露天の天幕が畳まれる事は無い。交通規制と、周辺住民の強制移転は大変な出費となる。という事で、周壁をぐるぐる巻きにして、不可侵措置かつ不可視措置を講じる事で、これまでだんまりを決め込んでいたのであるが、近年になって突然強行手段を行使し始めた。


「何人たりとも建物への出入りを禁ずる」


 という立て札は、本来安全確保の為だったが、いつしか機密漏洩防止とでもいった内容へと読み替えられ、当局はあらゆる可能性を断つべく綿密な、そして言語道断な規制を成立させ、即刻施行したのである。秘密の通路の調査、屋根伝いにこの建物へ取り付く可能性の完全なる排除、対面する建物との間に洗濯ロープを張り渡す習慣の根絶、さらに、棒高飛びの要領で三階の窓から飛び込む手段を防止する鉄条網など、近隣住民に提出を要求した誓約書の数は、年末の確定申告よりも大量でしかも事細かかったという。

 結局、この塔付近の住人は家を引き払っていった。

 あくまでも自由意志という建て前だったため、何の補助も出ないまま、住み慣れた街を捨てて夜行列車に乗ったのだ。後足で砂を掻けるように、である。


 下宿屋を営んでいた老夫婦は商売を続けられなくなり、地下室の穴で首を吊ったと言われている。宿泊客の獲得競争が熾烈を極める昨今、老人は一か八かの賭けに出て、虚しく破れ去ったのであろう。世論は最初この老夫婦に同情的だったが、地下室から毛髪の束や、稼ぎに合わない肉の塩漬けが大量に押収された事をすっぱぬいた大衆紙が飛ぶように売れ、老人は名誉回復の余地を失った。遺体は地下の竪穴に吊るされたまま埋められ、親類は住所と姓とを変えなくてはならなくなった。

 塔のある街区の住人はその三軒先まで災禍に遭い、現在はさらに四軒目が危ないと言われている。あまりにも冷徹な執行と、日に日に厳重になる塔周辺の監視から、噂はますます詳細かつ断定的となった。それは、塔の内部に可及的速やかに処理すべき公的問題が隠匿されているのだ。という物で、そこには魔女か伝染病患者の死骸があるに違いないというのである。

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