第73話 午後のふたり

 銀翔はさっそく狛犬のシンラと北斗羅をうかのみたまの神様に使いに出した。


 ぬらりひょんは想像よりもはるかに力が強く狡猾こうかつである。

 ――銀翔は松姫を失ったあの時を忘れることが到底出来ない。


 あのぬらりひょんは蘇ったばかりとはいえ、己の味方を確実に増やしていると思われる。

 銀翔がたにもかつての仲間たちが集っているが、どれほどの数の妖怪たちがぬらりひょんに付くのかは分からない。


 計り知れない新しい力への懸念が広がる。


「自分たちの力を高めて四神獣を早く集結させて、根城を構えなくては。ぬらりひょんに先手を打たれる前に」

「うん。私、頑張るよ!」


 ナナコの健気な顔つきに銀翔は目を細めた。


「そういやの、爺やが先ほど持って来たのは空知葉の土産じゃと。ナナコ、ためしに食べてみてはどうかの?」


 銀翔は大狸の総大将の空知葉そらちはの土産の果物をナナコにすすめた。


 バンショウがナナコに食べさせたくて、キッチンで食べやすい大きさにカットして花の柄が描かれたガラスの小皿に盛り付けて二人のいる部屋に持って来ていた。


「ありがとう」


『とても美味しいのでございますよ。たくさんございますから、いくらでお代わりをお申し付けください』


 うさぎのバンショウ爺やはそう言って、銀翔の部屋の文机に二人分のガラス皿を置き退室した。


 ナナコはガラスを持ち上げて、添えられたフォークで刺すと果汁があふれ出した。


 小夏と呼ばれる、温州みかんよりも少し酸味がある小さな果物だ。さわやかな甘みが口の中に広がる。


 部屋にも小夏の甘酸っぱい爽やかな香りがパアッと広がった。

 柑橘の匂いが鼻腔をくすぐる。


 銀翔もナナコの座る小さな文机の前にどかりとあぐらをかいて座り、小夏を口に頬張った。


「むむっ。……くぅっ、酸っぱいのう」


 銀翔のその少ししかめた顔が可愛らしく面白く思えて、ナナコはフフッと口に手を添えて笑った。


「ふふっ、銀翔ってば。そんなに酸っぱくもないでしょう?」

「ワシのは酸っぱいぞ」


 銀翔もナナコの微笑んだ顔につられて笑う。


 ああ。

 やはり松姫なんじゃなあと、銀翔はナナコの仕草にあらためてかつての松姫を見ていた。


 幾夜も幾月幾年も、永久に思えるほどに想い焦がれ描いていた松姫をまた抱きしめられる。


 こうして危機は迫れども、一緒に過ごせる何のことはない時間がこんなにも大切で愛しい。


 松姫を、前世のナナコを思った。


(どうしてこの娘はワシの心を満たして惹きつけてやまぬのだろう)


 初めて会ったときはただの人間じゃと思うておったのに。



 ナナコは夕刻になるまで、銀翔の館で神獣についての知識を銀翔から聞いて学んでいた。


 手芸店のナナコの家には大狸の空知葉の仲間がナナコに化けて、ナナコの身代わりをしている。


「そろそろか。ナナコは家に帰る時間かの。今宵もワシが見張りをしよう」

「銀翔」

「なにかの?」


 ナナコは横に座る銀翔の耳に触れた。

 愛おしげに銀翔を見つめ、優しく微笑んだ。


「銀翔に私はまた会えた。奇跡だなと思ったの」


 おきつね銀翔はナナコの手首をそうっと握り、自分の胸にナナコを引き寄せた。



 

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