引きこもり、統合失調症の社会復帰してからのみちのり

おしゃれ泥棒

統合失調症と私の自伝、暗闇もあり光もある極端な人生

誰からも忘れられたころ、ひっそりと自己表現を試みる。一人で生きてきたようなつもりでいるけど実は沢山の人たちにさり気なく支えられてきていてそれは些細すぎて気がつかないほどだったけど確かに私の力になっていたんだ。暗闇から這い上がってきた。明るい世界は予想以上に楽しくて、時の経つのが早い。おしゃべりをしているうちにすぐに時間が経つ。なんとかなる、だいじょうぶだよ。

人生にはすいもあまいもあるけれど今は名一杯甘い時。この楽しさを思う存分味わってけして忘れないようにしたい。飛行機に乗って飛び立つような浮遊勘?恋ってこれかな。

走る新幹線、キンとなる耳。さあ、旅に出よう、今度は2人で、ね。


どん底にいた。確かにあれは底だった。不安と心配と恐怖に緊張がいっぺんに襲ってきてわけがわからないほどにめちゃくちゃだった。


底を経験したからこそ私は優しくなった。足りないものが多いから今あるものの本当の意味がわかる。

心に刺さってしまった棘は多分一生抜ける事はない、問題は今後どうやって付き合っていくのかだ。


新しい出会いがあって今度こそはそれを大切にしなくてはいけない、私の不機嫌やおごりや妬み、その他諸々の事情で壊しちゃいけない繋がりなんだ。

探し続けて見つけた四つ葉のクローバーみたいに、幼いながらに純粋だったあの頃みたいに。


統合失調症を発症したのはたぶん、大学生になったころだ。その頃の私はとんがっていて、誰からも好かれるタイプではなかった。無口で不愛想、常に負のオーラをまといながら世界の全部を憎んでいた。どうしてそんな風になったのか、それは高校時代のおごりがあったからなのかもしれない。高校生の時私はバスケ部で、身長と運動神経の良さを生かして結構いい成績を残していた。クラスに、中学校から仲のいい友達がいたのだけど、なんだかその子の話がだんだんうっとおしくなってきてしまい私は自ら彼女を傷つけた。友達が、その親友を嫌いと言い、私は親友を無視して友達と仲良くしようと振る舞った。友達からのプレッシャーもあったし、私自身、格上の人間に見られたくて、その親友は格下だなんてマウンティングしたのだ。最低だ。

それから、アニメが好きな一風変わったファッションの女の子が、友達になろうと声をかけてくれていたのにそれも無視した。クラスで評判の悪い子だったからだ。でも私はその子を嫌いではなかったし、たんに周りの評判を気にして、私はもっと上の人間なんだと勘違いもはだはだしかったのだ。

あのころ、もっと優しくできていたなら。違った未来があったのかもしれない。


結局高校は部活に明け暮れて毎日毎日走って過ごした。勉強も難しすぎてついていけなかった。なんとかぎりぎりで大学に入れたが、そこでもなんとなく気分がすぐれず、友達といても浮いていて、4年間孤独をかみしめながら過ごしていた。

体重は激やせし、166センチの50キロという体重だった。一度、貧血で倒れたことがある。吐き気や頭痛が止まらなくなりバスルームで倒れしばらく動くことができなかった。


不安定な精神を抱えながらなんとかぎりぎりで大学を卒業する。卒業論文の発表会ではみんなから冷たい視線を浴びながら必死にこらえていたのを思い出す。

自業自得、だったけれどきっとこの時もうすでに病気になっていたのだと思う。


就職した先は介護職。新たなスタートを切ろうと意気込んでいたけれどここでもうまくいかなかった。食事に誘ってくれた同僚はいたのだけれどどうしても心を開くことができなくて私は無口を貫いていた。そのうち私の周りから人が離れて行ってしまった。2年、必死で務めたけれどそれが限界であるクリスマスの日、職場で大泣きしてしまいそれがきっかけになって退職を決意した。

その後アルバイトを転々とするもどれも長続きせず。人生のどん底だ。

精神科に初めて行ったのはそれから1年たってから。

周りから狙われているという妄想や幻聴、計り知れない不安感を伝えると統合失調症だと診断された。気持ちを楽にするお薬と眠剤が処方された。


お薬は私の体に合っていたようで、その医院は名医だった。それまでの不安感が嘘のように消え、夜も眠れるようになった。


気分の悪さは治ったけれどそのころ私は無色でプータロー、介護で働いていた時の貯金を切り崩して何とか生活をしていたんだ。はやく、就職口を見つけなければいけない。履歴書を書いた。それこそ何十枚も書いた。なのに自分の大学卒業年月日がいまだに覚えられていないのは頭が少し弱いから。


面接に行った。それこそ手あたり次第行きまくった。条件はどうでもいい、まずは無色というこの最悪な状況から脱却しなくてはと焦る。幸い、6社目に受けた清掃会社で雇ってもらえることが決まった。よかった、とほっとした。肩書は契約社員、時給は最低賃金もいいところだけれど無色よりははるかにいい。心が浮足立ったのを覚えている。


職場はとてもゆるーい感じで、みんなそれぞれがバラバラに仕事をしていた。人間関係、特に群れるのが苦手な私にはちょうど良かった。緊張こそすれ、まじめに働いていれば解雇される心配もない。人生が少し上を向き始めた。どん底から始まったのだから、中くらいの地点にまで蜘蛛の糸を登ってきたのだろうか。


お釈迦さまは、蜘蛛の糸を垂らしてはくれるが、ほかの人に不親切にしたことで最終的に糸は切られてしまう。そんなことのないように気を付けなければいけないと思った。これからは、どんなにじぶんより劣っていると感じるような人に対しても平等にいかなくては。だいたい、私自身底辺の人間なのだから、劣っている人なんてそうそういない。思い上がらないで天狗にならないこと。これが一番大事だった。


私は夜の闇が深くなってからしか見えない三等星に似ている。昼間の和やかで楽しいひと時には薄らんでどこにもいない。存在はしているけれど誰にも気にされないんだ。


だけど深い森の奥に行ってみてください、そこでは夜、天の川が確かにあってそこには無数の三等星やその他ちりくずみたいな星々がきらめいて見えるのだ。私にも仲間がこんなにいる。普段はただ見えていないだけで。


私の彼氏は危なっかしい人なのだ。心の痛みをわかる人だから、一緒にいて安心できる。けして男前ではないのだけれど。


冬だからまだ日の出がきていない、清掃の仕事は朝7時からで出勤時間は5時30と早すぎる。始発電車に揺られながら世の中の人よりも早起きだという少しの優越感を感じている。電車で半分くらい行ったところであたりはやっと明るくなってきて日の出が綺麗だなとなんとなく気持ちがいい。

寒くなってきたのは仙台の厳しい冬の予感でありこれから雪の積もる季節がやってくるんだよと空気が告げている。

私は彼氏の影響でまた走る事を再開した。ゆっくりなのにたった10分で息が上がり限界がくる。学生時代あれだけ体力があったのに見る影もない、まあいいか、徐々に身体を慣らしていこう。


薬は効いていて精神的には安定している。プラシーボ効果も多少なりとあるのかもしれない。


暗くて冷たい外の風。どうしてだろうか、心が落ち着く。右も左もよくみえないで人影もまばらだからだろうか。あまり沢山の人がいる場所は苦手なんだ。

朝の匂いとともにタバコの煙を吸い込んでコーヒーで流し込む。安定はしているけれど贅沢を言えば私は誰からも好かれたい。楽しくおしゃべりできる相手がほしい。


だがそれはちょっと無理なお願いで、嫌われ体質が身についてしまっているから何か努力するとか共通の出来事を一緒に体験して共感し合うとかそういうのが無ければ難しい。

嫌われているていうのはそれだけで精神を蝕む。やっぱり底辺にいることに変わりはないんだ、少しさみしい。


朝だけど月がまだ見える。満ち欠けする月のように私の具合も良くなったり悪くなったりだ。音楽を聴きコンディションを整えながら今日はどんな日になるのだろうと考える。


電車で横に座っている人がこくりこくりと眠そうに首を揺らす。そりゃそうよね。まだ5時30だもの。


今の仕事は朝の5時30に出勤して帰りが4時30、そのあとコンビニのバイトも入っているので5時30には家を出る。コンビニでは23時まで働いている。一日13時間労働の激務だ。寝ている時間は約3時間。これじゃあ体がいくつあっても持たないよ。そんな大変な毎日なのだけれど、この度正社員登用の話が決まった。コンビニで正社員として雇ってくれるのだという。店長はなぜか最近急に優しくなって居心地がいいなと思っていた矢先の提案だった。もちろんそのお話を受けることにした。正社員なら給料も身分も安定するし、生まれた子供のためにも良いことだろう。

そうそう、私は9月に子供を出産した。一華という名前を付けた。華やかな美人になってほしいからだ。一華はまだ乳飲み子で目の焦点もあっていないがしぐさや泣き顔がとても愛しい。子供のためにも仕事を頑張らなければいけないなと気持ちが引き締まる思いがする。

正社員の話があるので今の政争の仕事は12月いっぱいで退職することとなる。私をどん底から救ってくれた仕事だから感謝しかないが、やっぱり退職願を提出するときには緊張してしまう。


統合失調症の症状は時々現れる。周りの人全員から嫌われているのではないか、誰かが私の噂をしているのではないかという不安感を薬を飲んで紛らわせる、もう薬がないと生きていけないのが悲しいと思うけれど体のほうは元気だった。


知り合いのうつ病の人が調子を崩しているという。仕事も一日休んでしまったのだそうだ。まじめで勉強家で素晴らしい人なのだけれどどうしても精神的に弱いところがある。私はその人を応援している。時々電話でお話しするが、将来の不安についてたくさん相談に乗ってもらった。私のほうからも何か恩返しがしたいと思うけれど、調子が悪い時に私なんかが声をかけておせっかいをしていいものか悩む。やっぱりそっとしておいたほうがいいのかな。自力で浮上してくるのを待っている。


BGMは僕が死のうと思ったのは 中島美嘉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る