二輪、咲ク

眼精疲労

第1話 六畳一間、睡眠薬で死に至る

 深い、深い森の中。

 冷涼な空気は澄み渡り、私の頬を撫でる。

 木々の緑は光をいくらか遮り、私たちには優しい光が浴びせられる。

 そんな豊かな自然の中。

 私は馬乗りになって、彼女の首を絞めていた。

 彼女の真っ白で滑らかな、磨き抜かれた氷のような白い肌に、私の指が食い込む。

 私によって歪められた肌は、その箇所だけ周囲の白さと似つかわしくない、薄紅色に染まっていた。

 私は彼女の首を絞めつつも、躊躇う。

 このまま私が彼女の首を絞めていていいのか。

 私が。

 私ごときが。

 彼女は美しかった。この世に存在する美、それらの髄を集めに集めて、至高の結晶としたような存在。

 そんな彼女を、この私が?

 彼女の呼吸が狭まるにつれて、彼女の目から一筋の涙が流れ、鼻からは水が、口からは唾液が垂れている。苦しいのだろう、と思った。

 その体は。

 しかし、彼女の瞳に映る光はどうであろうか。

 彼女の漆黒の双眸は、一切の曇り無く、澄み切った光を孕んでいる。

 その光が、私に強く告げる。

 躊躇するな、と。


                 ○


 どうしてこんなことになったのだろうか。

 部屋の隅で、膝を抱えて思考する。

 彼女はもういない。

 彼女の澄んだ声を聞くことも、彼女の綺麗な横顔をこの眼に焼き付けることも、彼女と交流することで彼女の人格に理解を深めることも。

 今となっては何もできない。

 後悔が間断なく押し寄せる。

 後悔のたびに、私はこう思うのだ。

 もしあのとき違う選択をしていれば、違う結果になっていたのではないかと。

 だけど、そんなことを考えても意味が無いのはわかっている。この世は不可逆的な選択の連続で、私はそれをしくじった。それだけだ。

 しくじった答えが致命的なものならば、この世界に、もう意味はないのではなかろうか。

 いや、なかろうか、ではない。

 皆無だ。

 私はもう、この世界に意味を見出せない。

 六畳一間の自室は、暗がりに包まれている。

 この部屋の中、微かに漂う彼女の気配が、彼女がこの世にいないことを私に伝えているかのようだった。

 そうなのだ。もう、この部屋に彼女がいることは、二度とない。

 時刻は午後六時。これからより一層、この部屋は暗がりに包まれていくだろう。

 それはまるで私の心、そして私の未来のようで。

 ああ、と全てが嫌になってしまうのだった。

 ならば、やることはわかっている。

 それをするしかない。

 彼女の後を追う。

 もう、私にはそれしかできないのだ。

 心療内科を複数受診し、集めに集めた睡眠導入剤。それに、コンビニで買ったウィスキー。それらを机の上に置く。

 私のための片道切符が、そこにあった。これらを一気に飲み干せば、私は終わる。

 実行するか否か、思案するまでもなかった。

 薬を一つ一つ丁寧に包装から出して、机の上に広げていく。ころり、からり、と楽しげに鳴る錠剤の音が、私の死を祝福しているかのようだった。

 少しして、机には錠剤の小山が出来上がった。

 両手でその山をすくい上げ、そのまま一気に口へと流し込む。

 あとは。

 一気に酒をあおる。酒が喉を灼き、錠剤が胃の腑へと滑り込んでいく。

 酔いが回り、ふらふらと酩酊しながら床に転がる。

 ああ、これで終わるのだなあ、とふわふわした意識で思った。

 酒と薬が、私の意識を鈍麻させる。まるで、夢の中にいるような気持ち。この気持ちのまま逝くというのは、存外に悪くないかもしれない。

 夢心地の中、彼女の顔を思い出す。

 彼女と向こうでもう一度一緒になれるだろうか。

 向こうでもう一度会ったら、まず何を言おうか?

 そんなことを考えていると、自身の口の端が小さく綻ぶ。

 そこで私の意識は途絶えた。

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