螺旋の眼差し

ねこせんせい

第1話

 ホロ切れを纏った1人の少年。その少年は眼下に見えるは、周りの景観にそぐわない小汚い寺院のがあった。


 全てが機械化され命の息吹を失った世界。見える建物は継ぎ目のない、まるで卵の殻のような滑らかな形をしていた。

 歩く人々はサナトリウムの患者の如く、白く特徴のない服を着て、人とすれ違おうとも何の言葉も交わさない。そんな異質な空気。

 この世の中は少年が物心つく前から、人々は管理、監視され、お世辞にも生き物らしい生活を捨てつつあるという、進化の方向を間違えた理想郷がそこにはあった。

 少年にとってこの世界は、味気のない無味無臭の培養槽のようなものだった。

 少年はそんな培養槽に入り込んだ雑菌の一つで、意図的に進化から取り残された人々が肩を寄せ合って生きる場所。閉鎖された下水であったり、近代化する価値を見出されなかった廃屋。少年はそんな掃き溜めのような場所で産まれた。

 物心ついた頃にはもう両親は他界しており、自分にとって家族と呼べるのは5つ年上の兄貴だけだった。兄貴は昔から頭が良く、何でも知っていた。いや、少年が知っている限りの世界の中の出来事だけではあったが。

 兄貴はその培養槽に住む人間たちのことを、仮面と呼んでおり、独学で学んだ技術と知識で、仮面を監視、管理しているコンピューターというものを利用して、汚れていない服や、味気のない栄養食などをくすねてきていた。

 そんな兄貴に憧れていた少年だが、残念ながら兄貴のように頭は良くなく、その代わりに類い稀な身体能力を持って、兄貴の指示した通りに盗みを働くことが出来た。それは少年からすれば兄貴の役に立てる、何よりの幸せだった。

 そんな生活が何年か経ったある日、兄貴が珍しく息を切らして隠れ家に飛び込んできた。

 盗んだ保存食を他の奴らにバレないように隠していた少年は、一瞬ならず者が押し入ったのかと思い小型のナイフを懐から抜き出すが、それが兄貴だと分かると滑り込ませるようにそれを懐に仕舞い込んだ。

 何事かと兄貴に尋ねると、兄貴は息を切らせながらも逸る気持ちを抑えて大まかな話をしてくれた。

 それは仮面達が住む地区の何処かに少年達が住むような旧時代の建築物があり、そこにはこの世界をひっくり返すとんでも無い情報が隠されているという話だった。ただし情報の出所はハッキリとしていないらしく、これから色々と調べてみると兄貴は意気込んで自室に篭り始めた。

 少年からすれば、この世界がどうこうよりも、明日自分の腹が満たされているかどうかの方が心配だったが、兄貴は少年と違い、この世界が不条理に満ちていることを憂いており、自分の手でそれを何とか出来ないかと、漠然とした理想を胸に掲げていた。


 そんな仮面達の住む地区の中で余計に一際目立つ寺院。少年はここに至るまでの幾多の思いを噛み締め、いざゆかんとその足を虚空に投げ出さんとする瞬間、少年の足を止める不思議な事態が起こった。

 そこには12種類の虚像、鼠から始まり猪で終わる12種類の虚像。所謂干支であるが、少年の知識にはそれらが何かは分からず、問題はそれらが少年の目の前に立ちはだかっているということだった。

「汝、何故我らが寺院に忍び込まんとす」

 少年はそれらが自分に敵対するものだと瞬時に理解し、その場からどうやって逃げ延びるかに思考を巡らせ始める。

 数が問題ではない。問題は自分が見つかった時点で、この作戦は失敗なのだ。

 必死になって兄貴の残した侵入経路を頭の中で展開する。その中にはもしもの為にと、脱出経路も書かれていた。自分は使うつもりなど一向に無かったのだが、兄貴に全て叩き込まれたお陰で、自然と辺りの地図が浮かぶ。

 少年は転がるように駆け出し、その頭に叩き込まれた経路を全速力で駆け抜けるが、それをまるで予期していたかのように虚像達が進路を塞ぐ。それはまるで少年が逃げきれないことを知っていつつも、それを嘲笑うかのように少年をいたぶりじわじわと殺していく、そんな行動にも見えた。

 持久力に自信があった少年であったが、それももう底が見えつつあった。足がもつれ、息も絶え絶えになりつつ、自分の隠れ家に向かってボロボロになりながらも向かって行く。しかし無情にも長い橋で上下左右はガラス張り、高さは落ちたらただでは済まないような場所で、前後から挟まれる形となった。

「汝、何故我らが寺院に忍び込まんとす」

 殺す前に最後に理由だけでも聞いてやろう、と言うことなのだろうか。少年は余りにも絶望的な状況に最早笑いが込み上げてきた。そして胡座で座り込みこうべを垂らす。すると足の隙間からチカチカと小さな光が見える。初めは息切れで酸欠からくる軽い幻覚かと思ったが、よく見るとその光は兄貴から教わった暗号のようだった。

 全部はハッキリと読み取れなかったが、こっちに来い、と言う旨を伝えようとしていることは分かった。

 最早この世に頼る者のない少年にとって、それはこの虚像達が言うような、悪魔の囁きのようにしか感じれなかった。それでも少年は、目の前の気味の悪い生き物の話す見知った言葉より、兄貴が教えてくれた謎の光の暗号の方がよっぽどマシだと思い、膝に手をついてゆっくりと立ち上がると、懐から小型の指向性のある爆弾を取り出し、半ばやけくそに叩きつけ、局地的な爆発とともにガラスの床を粉微塵にしてしまう。

 先ほどまでは死んでも構わないと思っていた筈なのに、いざ空中に放り出されると。その恐怖は一瞬にして頂点を突き抜ける。

 声にならない叫び声をあげながら、体を丸めて眼前を両腕で覆う。最早自分に出来る事など何もない今、少年はただただ祈るだけだった。

 死んだらまた兄貴と兄弟でいれますように、と。

 少年が地面に叩きつけられた。と思いきや地面は偽装した木材で、その先は木材を緩衝材とした斜面となっており、途轍もない衝撃を受けながらも少年は意識を手放す事なく、あちこちに体を叩きつけられ、前後左右も分からないほど長い時間地中を転がされていった。そして少年がボロ屑のようになって勢いを止めると、最早指一本も動かすことが出来ないくらい負傷していた。骨が何本折れたのかも分からないし、そもそも本人にしてみれば、人間として原型を留めているのかも怪しいくらいに身体中に痛みが走っていた。

 しかしそんな中、こんな地中で眩いほどの光を感じる。最後の力を振り絞ってそちらに視線を向けると、そこには着物をきた赤毛の少女がぜんまい式のカラクリ人形から茶を受け取り、何の意味があるのか分からない機械が壁から蒸気を吹き出す、絢爛豪華な内装の小部屋がそこにはあった。

「なんじゃお主は、ワシの部屋に何の用じゃ?」

 赤毛の少女がそう聞くと、少年はもう意識を手放す一歩手前で、質問に答えるような気力は残ってなかった。しかし最後に呟くように語気を萎めながら息を吐き出す。

「ここ……は、一体……なん……なん……だ」

 それを聞くと、目の前の意識のないボロ屑に対して、着物の少女は両手を広げて、目を輝かせながら声高らかに返答した。

「ここは、ワシが楽しいと思った物だけを集めた部屋じゃ!」

 勿論少年の耳にその言葉は届いていなかった。

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