明日、終末

wumin

第1話

 世界が終わる……そう何度も言われてきた。 

 少し前にはマヤの予言で、もう少し前にはノストラダムスの恐怖の大王とやらで、あるいは歴史上で常に語られてきた最後の審判まで含めると、もううんざりするほど聞いてきて、それでいて一度だって当たった事のない話ではないか。

 そう、今回もきっとそうだ、また世界が終わると誰かが騒ぎ、その都度一緒になって同じノリで騒いでやらないといけないのか、と佐伯さえき千穂ちほは鼻で嗤っていた。

 『世界が終わるんだよ!?』と、友人・・たちは顔面蒼白で騒ぎ立てるが、そんなのは『はいはい、またですかw』と受け流してやればいい話だ、そう平均顔のショートボブな髪の少女は思っていた。 


 (大体、世界ってなんだよ?)


 と千穂は家財道具をトラックへ詰め込んで、脱出の準備に明け暮れる街の連中を見て、そう哀れみの目を向けた。

 世界とは何か?

 十難無記ではないが、間違った問いには間違った答えしか導き出すことができない。


 (世界が終わるというが、ではそもそもとして、お前らのいう『世界』ってどこにあるんだよ?)


 世界が終わるとしきりに叫ぶキリスト教圏……もといセム系一神教圏では、最後の審判が下された後に、復活をできるという前提があるから……つまり救いとセットで世界の終わりがあるはずで、だったら、世界の終わりはそのまま救済になるから歓迎なんだろう、と千穂は小ばかにしたような目をして街往く人々を見る。

 別にキリスト教徒とかでもないくせに、終末論を口にして、世界の終わりに慌てふためくその様は、なんと言うか滑稽にしか見えなかったからだ。




 『明日、世界は終わりを迎えるのです!!!』


 テレビのコメンテータまでもが、必死にそう言い張っている。

 ビルの表に設置された液晶の画面に映るコメンテーターは、それはそれは見事な七三分けの、典型的な日本のサラリーマンを絵に描いたような風体だった。


 「どいつもこいつも、馬鹿じゃないのっ?」


 と面白くなさそうに千穂は道端に転がっていた缶を蹴った。


 「痛っ!?」


 空き缶ではなく、中身がちゃんと入っていた。

 どうやら街を脱出する群集の誰かが落としていった物らしい。


 (ほんと、何考えているんだろ……)


 終末は明日来る、そう誰もが言っていた。

 では、終わったらどうなる?

 というか、何がそんなに怖いのか、それが千穂には分からなかった。


 (だって、世界が終わるんなら、どこに逃げたって同じじゃない……)


 逃げたところで、世界は終わるのだから、どの道逃げようがないではないか、と。

 地球に隕石が落ちるとか、アメリカ辺りがどこかの有色人種の国に戦争しかけて旗色が悪くなって核戦争になるとか、新手の空気感染でもする未知のウィルスとかによるパンデミックみたいな、およそ具体的な話ではない、と。


 『だって、世界が終わるんだよ!?』


 友人・・の一人はそうしきりに自分に訴えていたのを思い出す。


 『世界が終わっちゃったら、もう一緒に笑うことも、おしゃべりすることもできなくなるんだよ!?』


 涙ながらに自分を説得していた朝香ともか……


 (ちょっとかわいいからって、胸だって私より大きかったけど……まあそれでも最後まで憎めなかったな)


 終末なんてどうだっていい。

 別に世界が終わるのなら終わればいい。


 (遣り残したことはいっぱいあったけど、やりたいこともたくさんあったけど、後悔なんてそれ以上にあったけど、それが世界の終わりと何の関係があるの?)


 後悔なんて、自分に嘘をついていたやつがすることなんだよ、と千穂は再び自分へと言い聞かせる。

 街を見れば想像以上にカオスだった。





 「ひゃーはっはっはっ!!!」


 明日に世界が終わるという、終末論者あほの言葉を真に受けて、全財産を使って欲しかった物を手に入れようと躍起になるやつとか、泡園へ向かいせめて一晩の夢を見ようとするやつとか、どいつもこいつも終末論者あほばかりだ。


 「あっ! 千穂っ!」


 と声がした。

 朝香だった。

 いつもはおしゃれな彼女が、まるで起きたばかりのように乱れている髪に、焦っていたのだろう、スカートから覗かせる縞模様のパジャマは、なんと言うか笑えると、千穂が笑いをこらえつつ朝香へと返す。


 「あっ朝香。どうしたの?」

 (というか、まだいたんだ……)

 「ねえ、千穂、一緒に逃げよう!」


 朝香が言った。


 「逃げるって、どこへ?」

 「どこへかは分からないけど、でも世界が終わるんだよ? 怖くはないの?」

 「私はこの街の騒ぎの方がよほど怖いと思う……」


 千穂はそう返した。

 自暴自棄になり、それまで溜めていた様々な感情を爆発させた人たちが、暴走してる様が。


 「だって、しょうがないじゃない! 世界が終わるんだもん! 私だってもっといろんなことしたかったんだよ!」

 「そうなの?」

 「そうだよ……」


 朝香の震える声が、何と痛々しいことか。


 「例えば……」


 そんな千穂の質問に、千穂がその先を口にする前に、それよりも早く、千穂の口が塞がったため、言葉が続かなかった。


 「ん……ふ――!?」


 朝香の息遣いがどことなく荒い。

 彼女の舌が、千穂の舌へと絡んできた。

 朝香の手が千穂を抱きしめ、素肌へと触れてくる。

 柔らかい、でも暖かい手が、千穂の胸へと伸び――


 「ん――!?」


 さすがに怖くなった千穂が、無理に朝香を引き剥がした。


 「ちょ……朝香? 何考えてるの?」


 抗議するような目で、朝香を睨む千穂に対しての、朝香の答えは、思いもよらないものだった。


 「……好きなの!」

 「キスが?」

 「違うよ」

 「もしかして、おっぱい?」

 「違う……」


 それ以上のことが、千穂には思いつかなかった。

 では何が好きなのか、キスでもおっぱいでもないもの、それは何か?


 (まさか……でもそんなの――)


 あれしかないではないか!


 「千穂が好きなのっ!」

 「えっ……!?」


 思わず言葉を失った。

 身動きができずその場に固まる千穂。

 頭が混乱していく。


 「ねえ……だから、一緒に逃げようよ……」


 朝香が言った。

 だが千穂は、ぱくぱくと口を金魚みたいに動かすばかりで、言葉が上手く出ない。


 (え……私のことが、好き? でも……私たち……)


 朝香の言葉が信じられない。

 なぜこんなことをしたのかが、全く分からないことが、千穂を更に混乱させるのだ。

 「分からない……」


 頭を抱えて混乱する千穂がうずくまる。


 (何で、何で、何でっ!?)


 もう訳がわからなかった千穂が目をギュッと瞑り、両手で耳を塞ぎながら頭を振り乱す。


 「……千穂、そんなにこの街が、この世界が好きだったんだね」


 朝香がぽそっとそう呟いた。


 「分かった。私もこの世界に残る!」


 彼女が唐突に宣言した。


 「だから……もう、そんなに怖がらなくてもいいんだよ――」


 と朝香の手が優しく千穂へと触れた。

 誤解している。

 いや、それ以前に話がかみ合っていないが、千穂は千穂の文脈で、朝香は朝香の文脈で勝手に話が進んでいくばかりだ。


 「私も一緒にいてあげるから……だから――」


 柔らかく重い体が千穂へと覆いかぶさり、肢体が絡み合ってきた。





 そして「最後の日」がやってきた。

 いや、世界が終わるだろうその日、千穂はすやすやと寝息を立てる朝香の隣で目を覚ました。

 お互いが、生まれたままの姿で、自分たちが着ていただろう衣服をその上からかけて、あの後寝てしまったらしい。


 「……」


 世界が終わるのか、と千穂が朝香の顔を見て思う。

 と、朝香が目を覚ます。


 「おはよう……」

 「おはよ……」

 「今日で世界も終わりだね」


 朝香の言葉を聞き、千穂が軽く首を横に振った。


 (いいえ、そんなことはなかった……)

 「違うよ朝香……」


 千穂は言った。


 「世界は始めから終わっていたんだよ」

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