第5話:糸がきれた音
「やめろッ!!」
レウの怒号が、暗い迷宮に響きわたる。
霞子の手を強引に振り払い、怒りと恨みのこもったまなざしで霞子をにらんでいた。
さっきまで親切にしてくれていたレウの面影はない。
それもそうだ。素顔をみてはいけないと言われていたのを、霞子は偶然であるにしても破ってしまったのだから。
「れ、れう」
「何で、何で……!!」
レウの怒りは言葉にならない。冷静に霞子を導くこともできない。
「どうして見た……。見るなっていったのに、どうして……!」
風のせいだ、と霞子はいえない。
言い訳しようとしても、喉から声が出せないのだ。
「れ、」
霞子はそっと、レウに手を伸ばす。片手はぎゅっとお守りを握ったまま。
「寄るな!!」
レウが霞子の手を再び振り払う。
ぶつんっ! と糸の切れる音がした。
すると、霞子の視界がぐらりと揺れた。
暗闇が薄紫色に代わり、空間内の空気が急にゆがむ。
喉にうごめく吐き気を飲み込みながら、霞子はじっと立った。球体の中に押し込められて、転がされているような感覚だった。
空をつかんだ手から、レウの姿が遠のいていく。
高いところから真っ逆さまに落ちていく。霞子は声にならない声でレウの名を呼んだ。
ーー。
ーーーー。
霞子はふっと目を覚ます。
気がついたら、冷たい地面に倒れ伏していた。
「うん……」
怪我はないが、全身がけだるい。体が重くて思うように動かせない。
無理矢理体を起こして、周囲をうろうろと見回した。
相変わらずの真っ暗闇で、わずかの光も見あたらない。かろうじて慣れてきた夜目だけが頼りだった。
霞子は右手首に触れた。さっき、ぶちっという何かが盛大に切れた音が聞こえた。
じっと見つめると、先がむざんに断ち切られた糸が垂れていた。
「糸が……」
ただの糸ではない。レウと自分をつなぐための、糸だったのだ。
レウは言っていた。この糸がある限り、一緒にいると。
ではその糸が切れてしまったら?
その先が急にわからなくなって、霞子は考えるのを一度止めた。
不意に、胸が苦しくなる。鼓動が高鳴り、頬からさあっと血の気が引いていく。
目からぼろぼろと滴がこぼれた。
意味のある言葉を紡ごうとしても、ふるえる喉と止まらない嗚咽でうまく言えない。
ぺったりと地に足を押しつけて、切れた糸をよごさないように気をつけつつも、袖で涙を拭う。
さっきまではレウがいたのに、今はひとりになってしまった。
この暗闇がこれほど落ち着かないものだとは思わなかった。
レウが一緒だった時は、何ともなかったはずなのに。
レウがいないと自分はなにもできない。
だがレウは、きっと自分を恨んでる。
見てはいけないと言われていたものを見てしまったから。
レウの姿は、霞子の目にはっきりと焼き付けられた。
妙に物覚えの良い霞子は、レウの姿を忘れようとしても忘れることができない。
レウの髪は黒と白が混じっていた。黒色が白色を浸食しているように、白色が黒色を浸食しているように、お互いの色を塗りつぶしたような染まり方だった。
そして顔、目鼻立ちはととのっているにしても、顔には無数の縫い跡がくっきりと残っている。色の違う肌を適当につぎはぎしたようなまだらの肌と、黒色の目。
レウの左目は、血にもしくは彼岸花に染まったように赤かった。
お屋敷の中で大切に、大事に育てられた霞子にとっては、初めてみるタイプの姿だった。
そのためか、異質なレウの正体を見ても大して感情を揺さぶられることはなかった。驚愕することもなかった。
だけどレウは、あの顔を見られるのがいやだったんだ。
見るなと言っていたのだから当然だ。
それを見てしまった自分を、レウはきっとゆるさない。
もし合流できたとしても、レウは霞子を拒否するだろう。
もしかしたら、このまま見捨てるかもしれない。
どうしよう。お屋敷に帰れない。
どうしよう。異形に食べられちゃう。
どうしよう、この空間、わたしはいやなのに。
ひんひんしゃくりあげて、大泣きしている。
泣きやむのにどれほど経ったんだろう。
一通り泣きじゃくると、心の中にため込んでいた感情をすべて吐き出すことができた。
そのおかげで霞子の感情が一度リセットされた。すべてがどうでもよくなるほどに、心臓は落ち着き、頬に赤みが戻ってきた。からからの喉は飲み込んだ唾で潤った。
あとはどうにかして、お屋敷に帰るだけだ。
ここには異形がたくさん潜んでいるんだ。どんくさいから気をつけて進んだとしても、食べられる可能性は高い。
だとしたら、レウと一緒にいる方がいい。
(レウにあやまらなきゃ)
霞子はお守りを握りしめながら、涙で潤った目を開いて歩き出す。
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