魔法少女返納手続き

区院ろずれ

魔法少女返納手続き


 電車の中でカップラーメンを食べるのは初めてだった。


「あと二駅だねぇ」


 ずるる。隣で佐原先輩が麺をすする。先輩は豚キムチ味で、私はしょうゆワンタン味。濃い匂いがぶつかりあって、車両の空気をしょっぱく染めあげる。


 乗客は私達しかいない、2両編成の電車は、ひたすらにトンネルを進んでいく。窓の外は30分前くらいからずっと真っ黒のままだ。


「先輩、なんで変身してるんですか?」


 佐原先輩はライトグリーンのロングドレスを着ていて、髪は真っ白になっている。


「ほら、制服にはねたら嫌じゃん。魔法鎧の方が絶対良いかなぁって」

「一応鎧も支給されたやつじゃないですか」

「あのね、制服のクリーニングって結構高いんだよ。魔法で簡単に落ちるほうが楽だもん。ナナミちゃん、一人暮らしなら覚えておいた方がいいよ。迷惑だろうがなんだろうが、面倒なことはしないのが楽に生活するコツ」


 生命と大自然をつかさどる魔法少女には似合わない発言に、私はため息を零す。

 魔法少女・エメラルドフローラ。佐原先輩のもうひとつの名前。


 私たちはこの名前を捨てるため、電車に揺られている。


「ナナミちゃんはともかく、私はどうせ最後だし」


 先輩は今日、魔法少女を辞める。


 *


 1週間前のことだった。


「もうね、そろそろ潮時かな~って」


 この怪人倒したらさぁ、駅前のドーナツショップ行かない? 


 佐原先輩はふんわりした声で、いつも通りそう言った。どこか行こうと提案するのはいつも、先輩の役目だった。だから、


「3人で頑張ってきたけど、私だけもう高校3年だし、大学受験とかあるでしょ?それに魔法少女界隈ってさ、高校生はもう卒業みたいなとこあるじゃない?」


 いつも通りだと思っていた。他愛も無い話で盛り上がって、19時くらいにアパートに帰るんだろうなって。


 メロンソーダをずずずと吸う。もう飲み終わったと分かっているのに、口にストローがいく。


 隣に座る紀美子が皿にドーナツを置いた。


「嫌です」


 紀美子の眼鏡の奥で、瞳が不安そうに揺らめく。私たちは中学3年生で魔法少女になった。先輩と同じ高校に通うためについ最近まで必死で勉強してきた。それを先輩も知っているはずだ。


「せっかく同じ高校になったんですよ? こうやって先輩とナナミちゃんとおしゃべりして、戦って、それ、それで、3人でずっと一緒に」

「紀美子」

「……ごめん、ごめんね」  


 ハンカチで頬の涙をすくってやる。いつ見ても白い綺麗な肌が、熱を帯びて赤くなっていた。不覚にも私はドキッとしてしまった。


「でも辞めるって、敵が出ても変身しないで見てるってことですか?」


 嫌な言い方になってしまった。私はちょっと後悔したが、佐原先輩は気にせずに首を振る。


「いや、ジュエルのお手伝いとかはできるから。市民の誘導とかは私やるよ。ただ変身はもうしないってだけ。魔法界に行って魔法庁で手続きするみたい。変身アイテム返納手続きみたいな」

「魔法界なのに現実的ですね」

「まぁ、そういうものなんだろうねぇ。私が魔法少女にスカウトされたのだって、魔法庁の人事担当がテレビで見かけたからだったし? 魔法って言っても現実には違いないんだよ。きっと」


 佐原先輩の家は、電気水道ガス、全てが通らない自給自足の家だ。『エコ家族の佐原家』なんて呼ばれて、たまにテレビで紹介されている。優しくて明るい先輩は、高校でも有名人で、人気者だ。


『自然を愛する命の戦士、エメラルドフローラ!』


 私は数ヶ月前に魔法少女になったばかりだけど、この世に数多くいる魔法少女のなかで、変身後の姿が一番似合っているのは先輩だ。


 先輩はニコニコと穏やかに、いろいろなことを言った。


 もう手続きの申請はしてあること、私たちの担当をしている魔法界の妖精、ジュエルにはもう随分前に伝えていたこと。


「とりあえず残り1ヶ月、くらいかな。よろしくお願いします」


 紀美子のブレザーの制服は、入学したばかりなのにもう涙が染みこんでいる。先輩はどこか申し訳なさそうに眉を下げ、紀美子の頭を軽くポンポンと叩いた。


「そんな、永遠のお別れじゃないって。ただ変身ネックレス返しに行くだけ。これからもこうやってお茶したり出来るし。恋バナも出来るし」

「でも」

「でもじゃない。一緒に戦ってるからって理由だけで仲良くなったわけじゃないでしょ? 私たち」

「せんぱい……」


 先輩は紀美子の横に来てゆっくりと抱きしめる。私が泣きじゃくる紀美子に触れて良いか迷っていると、「相変わらずクールだね」と、先輩はちょいちょいと手招きをした。


 私は頷いて、佐原先輩の腕と一緒に紀美子を抱きしめる。


「あともう少し、よろしくね」


 メロンソーダの氷がぐじゅりと溶けていった。


 魔法少女を辞める。アイテムを返納する。私は心のどこかで、魔法少女は大人になっても魔法少女のままだと思っていたのかもしれない。


 私たちは魔法少女。少女じゃなくなれば魔法は使えない。そもそも人間なんて生き物は、魔法が使えないのが普通だ。普通からおさらばしてきた私は、その常識を忘れそうになる。


 残り1ヶ月。


 その重く短い言葉を抱えて、私は一人暮らしのアパートに帰った。


 風呂に入りながら、ビニールパックに入れたスマートフォンをいじっていた時だった。


【来週なんだけど、変身アイテム持って亜麻駅来てくれる?】

【紀美子ちゃんのことで!!!】


 風呂場にため息が溶けていく。


 佐原先輩は、私を呼び出したいときには「紀美子ちゃんのことで」と言う。先輩の呼び出しは大抵、どこかのスイーツバイキングに付き合ってとか。私は小食なので正直行きたくないけど、「紀美子のこと」と言われると身体が動いてしまう。


 佐原先輩は多分、知っている。


「紀美子のことという言葉に弱い私のこと」を。その奥に包み隠している感情を。私が絶対に言いたくない2つの秘密のうち1つを、きっと見透かしている。


 ざぱんと湯船から出る。残り1ヶ月の寂しさに浸っていた私はどうせ大盛りのラーメン屋とかそういうのだな、と思っていた。


 その日、駅でカップラーメンを手にした先輩に会うなんて、きっとこの世の誰にも予想できなかった。


 *


 カップラーメンのスープが冷める頃、ようやく魔法庁へたどり着いた。


「じゃ、降りよっか」


 空き容器を持った先輩が立ち上がる。


「先輩、スープはどうしました?」

「飲んじゃった。ナナミちゃん飲まない派?」


 美味しいのに~と先輩は言うけど、身体に悪いかもと少しでも思うと、なんだか口にしづらい。


 結局冷めたスープは、仕事終わりのビールみたいに先輩がグビグビと飲み干した。


 降りる前にブレスレットを触り、変身する。赤い光に包まれて、決めポーズをとる。


「光を愛する永久の戦士、ルビーロマンデュルフ!」

「前々から思ってたんだけど名前言いづらくない?」

「そこはツッコまないでくださいよ」


 一応台詞も指定されてるので、文句は流石に言わない。量販店で買ったコスプレ用の衣装みたいな、ヘッドドレスのついた赤色のメイド服。まだ新人の私はこの魔法鎧しか使えない。これも文句は言えない。本当はもっとかっこいいのが着たいけど。


 電車の扉がぷしゅうと開く。先輩が「よっ」と跳ぶように一歩踏み出した。


「結構段差あるよ」

「はい」


 先輩の魔法鎧の白い部分には、案の定スープのシミがある。次使うときまでに水魔法で洗わないと。そう言いかけたけど、そういえばもうこの人は着ないんだった。


 白い雲の階段を上っていく。魔法庁の敷地内では浮遊禁止なので、一段一段上るしかない。


「先輩」

「はぁ……なぁに?」


 隣の先輩は少し息が切れている。先輩は回復系の魔法少女なので、魔法で強化されているはずの運動能力は成人男性10人分ほどしかない。


「どうして私を連れてきたんですか?」

「……前も言ったじゃん。紀美子ちゃんのこと、お話ししたかったの」


 沈黙が流れる。城の入り口がだんだんと近づいてくる。やっと階段が終わり、「少し休憩」と先輩が疲れた息を吐いた。


「……正直に言うけど、怒らない?」

「内容にもよりますけど」

「そっかぁ。ふう、じゃあ言っちゃう!」


 さっきまでの声が嘘みたいに明るい。先輩は私の顔を真っ直ぐに見る。


 私は何故か胸騒ぎがした。手を後ろで組んで、先輩は口を開く。


「私ね、魔法界を裏切ろうと思うんだ」


 彼女の二重の瞳がゆっくりと閉じて、開く。


 真っ白な髪は背中に輝く城に溶け込んでいるのに、彼女の言葉はその真逆を行く。


「それは、私たちの敵になるって、怪人になるってこと、ですよね」

「そういうこと。家にも帰らないし、もう二度とあの町には近づかないよ。侵略のため以外」


 びっくりするくらい、いつも通りの声だった。私はそれが気に入らなかった。


 魔法界を脅かすものは「怪人」と呼ばれている。怪人は魔法界の古い制度に反対し、年功序列や実力主義的な部分を廃そうと、魔法界の上流階級の者を襲撃し、人間界をはじめとした友好関係にある世界へ攻撃をする。


 それらの被害を防ぐのが「魔法少女」の制度である。襲撃対象の世界に住む、才のある人間に変身アイテムを渡し、戦わせるのだ。


 佐原先輩は何食わぬ顔で建物に入ろうとする。私は無意識のうちに先輩の手首を掴んでいた。


「そんなのどうして今言うんですか」

「え? 聞かれたから」

「それを聞いて私が何もしないと思ってるんですか。変身ネックレスは返すんでしょう? 怪人団体の入団条件は、魔法が使えることです。ネックレス無しでどうやって戦うって言うんですか?」


 だんだん早口になっていることに気づいている。


「……はぁ」


 先輩が一瞬、冷たい顔になったことにも、気づいている。


 先輩の顔がぐっと近づいてくる。弧を描く口元とは反対に、笑っていない瞳。その奥底にある黒い渦が、私を捉えて放さない。


「逆に聞くけどさ、私に何か出来ると思ってるの? この実力差をどう埋めるつもりなの? その程度の魔法鎧しか着られないナナミちゃんの分際で」


 言いかけた言葉をそのままにして、私は唾を飲み込む。


 目の前にいるのは本当に佐原先輩だろうか。佐原若菜という女は、こんなに得体の知れない雰囲気を纏っていただろうか。 


「ナナミちゃん詳しいねぇ。怪人団体の入団条件とか、なんでそんなこと知ってるんだろう?」


 エメラルドフローラ。自然を愛する命の戦士。優しく穏やかな、自然と命なんて言葉が似合う魔法少女。私には到底似合わない言葉が似合うひと。


 妖精のジュエルの指令で私がこの魔法少女チームに来てから、あるいはその前から、ふわふわした人だなと思っていた。間延びした声に、柔らかな笑み。


 だけど意外と、


「私ね、こう見えても結構鋭いんだ」


 こういうタイプは、実は鋭いやつが多いんだよな。


 私はそう思っていたはずだった。はずだったのに。その予想を、いつどこに落としてしまったのだろう。


「魔法庁に怪人がスパイとして潜入してるのも知ってるし、ナナミちゃんが紀美子ちゃんのことだーい好きなのも知ってるし、それから」


 ぐっと胸ぐらを掴まれる。先輩の冷たい笑顔が、目と鼻の先にある。


 私は今さら気がついた。佐原先輩は知っている。


「よくも蹴り飛ばしてくれたね。私の顔」


 かつてのかいじんを、知っている。


 *

  

 春の河原の芝生には、生暖かい風が吹いている。


「昔から憧れはあったんです。だから、大丈夫」


 紀美子は意味も無く微笑む。魔法少女にスカウトされた話はこんなにも、神妙な顔つきでやるべき話なのか。


「私に言ってもどうしようもないだろう。忘れたのか、私は」

「忘れられませんよ。あなたが怪人だってこと」


 意味も無く足下を見つめることしか出来ない。私はこの足で今日、魔法少女を蹴り飛ばしてきた。


 紀美子は中学3年生になったばかりだった。私はなんて言葉をかけて良いか分からずに、「そうか」と黒いシャツの袖を捲った。


 人間に変身するなら若い女にしておけば良かった。性別なんて概念が無い私は、一番戦いやすい成人男性程度の見た目に変身していた。この姿じゃ紀美子の体を抱きしめてやるのも気軽に出来ない。


「73番さんが帰る前に言っておきたかったんです。もし次会うときに」


 敵だったら、どうしようって。


 彼女がそう言ったわけじゃない。でも紀美子は、言いにくいことは最後まで言わずに濁す癖がある。


 初めて会った、数ヶ月前の夜もそうだった。


 戦闘で魔力を使いすぎて、私は橋の下で倒れていた。襲撃用のゲートが開かないと、魔力供給はできないし、魔法界にも帰れない。


 もうこれまでか。そう思ったときだった。


『きゅ、救急車呼びます!?』


 あわあわと挙動不審なその女が紀美子だった。


 私は金が無い。放っておいてくれ。そう突き放したはずなのに、彼女はコンビニで買った自分用のおにぎりやら何やらを、全てくれた。


 クラリネットのレッスンの帰りなんです。そう言っていた紀美子に、のんきな奴だと肉まんを食べながらイライラした。今思えば失礼にもほどがあるが。


 彼女にとってはきっと、野良猫に餌を与えるようなものだったのだろう。魔法少女をはじめとした魔法の存在は、一般人に知られてはならない。


 人間なんて嫌いだった。魔法も使えない弱小な種族だと思っていた。


『怪我、治ってよかった』


 でも本当は分かっている。死にかけの自分を置いてすぐに帰還した怪人仲間にはない、彼女のまぶしさを知っている。この短い間でそれに惹かれている自分を知っている。


「私、本当に怖がりなんです」

「あぁ。この数ヶ月で呆れるほど学んだ」

「……今度会うときは直しておきますから」


 今度会うときがどういうときなのか、紀美子も分かっているのだろう。


「……私は敵にはならない。73番としてじゃなく、別の人生を生きていく」


 紀美子は「え」と声を漏らす。私は口角を上げて頷いた。


「できるんですか?」

「多分。魔法庁にもスパイがいるから、掛け合ってみようと思う。紀美子の怖がりが直るのなら、私だって、その、変われるはずだ」


 顔に熱がじわじわと上がってくる。もう日が暮れるから送っていくと伝えると、紀美子もうんと頷いた。


「また、会えますよね」

「当たり前のことを聞くな」


 なるべく早く答える。変な間を置いたら、紀美子の顔が曇ってしまう気がした。


 その日、日付が変わる頃に私は魔法界に帰った。魔法庁にいる昔からの知り合い、いわばスパイに、帰ってすぐに精神魔法で語りかけた。


 もう怪人を辞めたい。それだけ告げると、


「だろうな」


 と、慣れたようにスパイこと34番は言った。


 聞くところによると、怪人団体をやめる者が近年増え続けているそうだ。そりゃそうだ。実力主義の廃止や年功序列の撤廃を求めていながら、戦いでは弱い者を置いてゲートを閉じるような奴らの集まりなのだから。


 怪人を辞める方法はいくつかあった。


 魔法庁のデータを書き換え戸籍を消し、人間として生きる方法。これが一番多いが、バレやすいとのことで却下。


 自首してしばらく牢に入り、社会復帰を目指す方法。私が個人的に気に喰わないので却下。


 私が採用した方法は、人間の少女に変身し、魔法少女となって罪を償うものだった。これはバレたらすぐに攻撃されるリスクがあるものの、今まで通り魔法も使えるので不自由さは無いそうだ。


「それで頼む」


 私は迷わず最後の道を選んだ。頭の中にはあの少女の顔が浮かんでいた。


 *


「ふーん」


 怪人だったのに何で魔法少女になれたの?


 そう聞いてきたのは確かに佐原先輩だった。


 光の届かない、暗い廊下を進む。天使や蝶などの装飾が、天井でキラキラと光る。


「聞きたいって言ったくせに何ですか」

「だってテンプレート過ぎてつまんないんだもん」


 子供みたいに佐原先輩は言う。つかつかと早歩きの彼女は、何か吹っ切れたみたいに急に我が儘になった。


「不良が優等生に惚れるみたいな展開好きじゃないんだよねぇ。それで改心したから何? ってなっちゃう」

「新手の嫌味、どうも」


 許されようなんておこがましいこと考えちゃいない。先輩の一歩後ろを歩きながら、吐き捨てるように言った。


 だが彼女の反応は案外悪いものではなく、


「ナナミちゃんは良いよ。きちんと自覚と罪悪感があるから。むしろ応援したくなっちゃう」


 だから私は、今なら先輩を説得できるなんて思ってしまう。


「応援するなら、怪人にならないでくださいよ」

「止めてくれるの?」


 止めて欲しいんですか。尋ねようと思ったけど、答えは出なさそうだからやめておいた。


 先輩の背中が少しずつ遠ざかっていく。何かを切り裂くような大股歩きの彼女に、声を投げかけようと拳を握る。


「新しい場所が良いものとは限りませんよ、先輩」


 先輩の足が止まる。私も立ち止まり、静寂が切れるのを待つ。

 くるりとこちらを向く先輩と目が合う。だけどすぐ逸らされた。


「私は何も、幸せを探すために魔法少女を辞めるわけじゃないよ。逃げに行くの」

「逃げる?」

「そう。本当はずっと前から決めてた」


 少し離れたところに、自動回復ポーション販売機がある。「喉渇いた」と先輩が言うので、私たちはポーションを買い、大窓の前にある白いベンチに腰掛けた。


 小瓶をポンと開けて、口に運ぶ。


「優しいよねぇ。ナナミちゃんも紀美子ちゃんも、もっと性格悪ければよかったのに」

「褒め言葉ですか」

「ううん。悪口」


 はぁ。ため息と共に情けない声が出る。


「うちの家さ、甘いもの禁止なの」


 誰に言うわけでもない。水を一滴零すような、そんな声だった。


 一滴から始まった感情は、流れを作り出す。先輩は「あー」と意味も無く低い声を出し、続ける。


「インフルエンザのときしか甘いもの食べちゃいけなくてさ、小学校の頃半袖で登校してたんだよ? どうしても感染したかったから。お菓子もたべちゃいけないから、隣町のおばあちゃんちまで歩いて、わざわざ食べに行ったことだってあったもん」

「……怒られなかったんですか?」


 ポーションを持った手を膝に乗せる。


「私の背中、青アザが消えたこと無いの。魔法少女になる前からね」


 先輩はそれしか言わなかった。


「あれしちゃ駄目、これしちゃ駄目ってうるさくて。言われたり殴られたりするの嫌だったけどさ、不思議だよねえ、テレビはみんな褒めてくれるの」

「『エコ家族』ですか」

「うん。……そう。綺麗な場所だけ撮ってんだから、もう」


 エコ家族の佐原家。テレビの液晶画面に映る先輩は、私が見てきたどの先輩とも違った。


「なんだよエコ家族って。ね。私の家はすごいんだって思うようにしてたけど、やっぱ無理だったよね。いくら自分に暗示かけたって、嫌なもんは嫌だ」


 先輩はぐいとポーションを飲み干す。


 一気にたくさん飲むと体に悪いよ。人間には特にね。


 そう言っていたのは他ならぬ先輩だけど、彼女は慣れたように2本目を買って、また開ける。


「最初にテレビの取材が来たとき嬉しかったし、魔法少女にスカウトされたときもすごく舞い上がったけどさ。私自然なんて愛してないもん。カップめんとか冷凍食品の方が好きだし、遠いスーパーまで自転車とかうんざりだし、緑なんて好きじゃないもん」


 先輩は瓶を持っていない方の手で、私の魔法鎧の裾を掴む。


 このチームの顔あわせをしたとき、ちょっとだけ疑問に思ったことがある。


「赤がよかったなぁ。私」


 一体どんな基準で、色分けを決めているのだろうと。


 誰も気づかなかった。先輩の布一枚隔てた向こう側のアザに。魔法少女に選ばれた理由も、家がエコ家族だから。


 私はどうしようもない悔しさを少しづつ噛み砕く。


 どうしようもないと分かっていて、私はぎゅっと瓶を握る。


「逃げ場を探すなら、人間のままでいいじゃないですか。自分のことしか考えないのが怪人です。その集まりなんですよ、かつて私がいたところは」


 私はゆっくりと立ち上がる。先輩の方を真っ直ぐ見て、大きな瞳に吸い込まれないように強く、見つめ返す。


「同じ者同士が集まったからって心がひとつになるとは限らないんです。誰にも受け入れられずにただ人を傷つけるなんてそんな、血なまぐさい孤独は、ただの地獄でしかないんですよ」


 紀美子に出会った血なまぐさい夜のことを、私は夢の中でも思い出す。


 私は紀美子のことが好きで、守りたくて魔法少女になった。私たちの思い出の中には先輩がいつもいた。辞めに行くのを止めはしないから、せめてちゃんと返納して欲しい。


「私はもう塗りつぶされちゃったんだよ。佐原若菜はもう緑一色になっちゃった」


 怪人になんかならないで、きちんと魔法少女を辞めて欲しい。


「自分の人生って画用紙を、知らない間に他人に塗りつぶされて変な色にされていくの。分かる? それこそが地獄だよ」


 胸の辺りに棘が刺さる。説得力という名の、何も言えなくなるほど鋭い棘だ。


「いろんな人にすごいねって言われたけど、変わってみる? って言ったって誰も頷いてくれなかったもん。それが答えだったんだって、やっと分かった。口ではどうとでも言うけどさぁ、結局は自分の生き方ぐらい自分で決めたいんだよ」

「先輩も、その例に漏れないってことですか」

「そうだよ。ずっとそうだった」


 薄く笑う先輩は、立ち上がって私の首に空き瓶を突きつける。


「あなたの地獄と私の地獄、魔法少女になったあなたと魔法少女を辞めた私。用は取り替えっこするだけ」


 ただそれだけなんだよ。


 先輩は私の手から瓶をとり、ゴミ箱に浮遊魔法でガシャンと入れた。


「元気でね」 


 無機質な音と共に、諦めに似た思いがすとんと降りてきた。


 裏庭へと続く重い扉の前まで来ると、「ここからは一人で行くよ」と先輩が穏やかに言った。裏庭は監視魔法の道具が少ない。スパイの怪人たちとの交流はここで行う。


 先輩はコツンコツンと足音を鳴らし、進んでいく。もう会えない。肌で察して、自然と口が動いていた。


「最後にいいですか」

「手短に」

「私たちといて楽しかったですか?」


 遮るように私は言った。先輩は歩みを止める。引き止めたいとは思わない。ただ、確かめたかった。


「先輩、私は……」

「さすが元怪人。卑怯だね。そういうこと最後に言うあたりが」


 小さな音を立てて扉が開く。奥から光が差し込み、逆光で先輩の顔がよく見えない。真っ黒だ。


「ずっと一緒にいたんだから、そういうことよ」


 それが最後の言葉だった。


 私の頭の中で、三人での思い出が勢いよく流れていく。何もない私の人生の中で初めて煌めいていた記憶たちが。流れ着いた心臓の奥底で、綺麗な宝石の欠片にして、閉じ込めていく。


 先輩は歩いていく。もう、二度と振り返らない。

  


「私感動しちゃいましたもん! 先輩の蹴り技!」

「ながちゃん声大きい」

「ほんっと声デカ馬鹿」


 ハンバーガー店のテーブル席には、ノートと教科書と数学のテキストが並ぶ。


 夏のテストに向けて勉強会をしましょうと集まったのに、一番成績の良い紀美子は生徒会で遅刻で、残された私たち3人は誰も勉強したがらずにこの有様だ。


 高校2年生になった私たちのチームは、4人になっていた。


「私も先輩たちみたいに必殺技作りたいなぁ」


 お茶目で明るい、ながちゃんことトパーズブレイブ。


「そんなのやる前にまずは基礎でしょ。浮遊魔法すら出来なくせに、ナナミ先輩に失礼でしょ?」


 冷たい物言いだけど可愛い物が大好きな、葵ちゃんことアメジストルージュ。


 2人とも、私と紀美子の戦いがテレビで中継されるようになって、それで自ら、魔法少女になりたいとテレビ局に何通も手紙を送ってきた。


 各地で増え続ける異変に気付かないほど、人間は馬鹿じゃない。市民にこれ以上隠すのは無理だと判断した政府は、魔法少女の存在を明らかにした。


 テレビで魔法少女のことが大々的に報道されるようになって、1年と少しになる。困ることが無いわけじゃあないけど、市民の自主避難や数多くの応援メッセージなどのおかげで、私たちもやりがいを強く感じるようになった。


「私だってあと4、5年くらいしたら」

「その頃にはもう魔法少女じゃなくて魔法女でしょ。魔女でしょ」


 2人の軽快な会話を聞いていると、ただ自然と笑みがこぼれていく。悲しいくらいに自然と。


 喉の奥のメロンソーダがチカチカとはじけている。いつまでも引きずるわけにはいかない。


 もうすぐ1年になる。私はもう高校2年生になった、はずだ。


 地獄を取り替えっこした彼女に関する話は、何も聞かない。強いて言うなら最近、魔法庁にいる34番から、最近怪人団体の弱体化が進んでいると連絡があった。自首するものがかなり出ているそうで、反乱の灯が消えるのも時間の問題らしい。


 あの日止めておけば良かったとか、そんな話は後の祭りに過ぎない。彼女の地獄が私の救いであったように、私の地獄が彼女の救いであったかもしれない。


 そう思うことにして、眩しい思い出の欠片を踏み砕く。砕くには綺麗すぎる、宝石のような記憶の数々を。全部。


「いいもん、私は永遠に魔法少女やるから」

「はぁ? 何それ、あんただけずるい」

「私たちずっとチームだもん! ね、先輩!」


 ながちゃんが明るく笑う。


「そうだといいね」


 私は少し、鼻の奥が痛い。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法少女返納手続き 区院ろずれ @rukar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ