魔力量だけが取り柄です
本坊ゆう
プロローグ
クリームシチューをスプーンで掬い上げて、口に含む。そして、
「おいちー!」
の一言。
S&K食品のクリームシチューのTVコマーシャルは、何の工夫も無いものだったが、縁者の子役の女の子が余りにも愛らしかったので、大評判になった。
その女の子、北条真綾、6歳の時のことであり、なないろ幼稚園年長組もも組所属であった。
それから6年が過ぎ、夏の盛りの羽田空港、大阪への便に乗るために、真綾は一人で搭乗手続きを行う。
付き添いは断った。
芸能界を引退すると告知したわけではないが、東京を離れれば、自然とそう言うことになるだろう。
両親の離婚が成立した。協定で、親権そのものは母親が持つことになったが、真綾は父方の祖父母と暮らすことを望み、父親とも母親とも離れて大阪に向かう。
母親が言うには、そもそもTVに出たいと言い出したのは幼い頃の真綾自身であったと言う。そんな記憶も定かではない頃の、幼児の言葉を持ち出されても、真綾も、そうなんだ、とは呑み込み難いのだが、母親としてはあくまでその後のことは真綾の望みに沿ってやったことだと主張していた。
6歳の時のあのTVコマーシャルから、6年間、北条真綾は芸能界でキャリアを築き、普通の務め人の三十倍以上の金額を稼いだ。
父親は務めを止めて、北条真由の個人事務所の社長になり、母親はマネージャーになった。
北条真綾は、日本人ならば知らない人はいないと言うほどの有名人になったが、使い慣れぬ大金を得た両親は、それぞれに放蕩して、家庭は崩壊した。
まだたった12歳である。
たった12歳にして、真綾にはすでに悔やんでも悔やみきれぬことがある。あのTVコマーシャルにさえ出演しなければ。TVに出たいと言いさえしなければ。
シチューの似合う、暖かい家庭はまだここにあったのかも知れなかったのである。
「お、真綾ちゃん」
「あ、こんにちは」
真綾に声をかけてきたのは、国民的な歌手、明智であった。歌手としての全盛期は60年代であり、ヒット曲を何曲も連発し、そのうちの幾つかはアメリカでもチャートインしたと言う、世界でも有名な日本人だが、ここ最近はTV番組の司会者としての仕事が多く、誰に対しても物腰の柔らかい、芸能界随一の人格者として知られている人だった。
「一人で大阪に? 大変だね」
「お仕事じゃないんです。大阪の祖父母の家に行くんです」
「そうか、まだ小学生だもんね。おうちの人は向こうの空港で出迎えてくれるの?」
「はい」
「真綾ちゃんは座席は後ろの方か。僕は前の方だけど、何かあったら、スチュワーデスさんに言って、声をかけてね」
「ありがとうございます」
売れている子役と言うものは、その辺の芸能人よりも売れているし、カネも稼ぐ。自然と傍若無人な振舞をする者も少なくはない。
真綾は、そう言う子役にはならないでおこうと意識して、礼儀正しく、誰にでも接してはいるが、子供を増長させるのは周りの大人も悪いのだと思う。飯の種である限りは、彼ら芸能界界隈に巣くう大人たちは子役を持て囃すが、ひとたび売れなくなると、人でもないような態度を取る。
そう言う大人たちを見ていて、子供が真っすぐ育つ方が至難の業なのだ。
明智は、芸能界では数少ない、きちんとした大人だった。
機内はいつになく満席だった。
羽田発、大阪伊丹空港行き、日本航空123便。
機長のおざなりな英語のアナウンスの後、ボーイング社製の機体は、羽田沖の夕闇に吸い込まれて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます