第2話 ドラゴンと剣と魔法の杖

 そして――僕は目を覚ました。

 

「やああああああッ!!」


 目覚まし時計の代わりになったのはそんな雄叫びだった。

 目を開くと、正面から剣を振りかぶった女の子が突進してきていた。

 

「ええええええっ!?」


 僕が驚きの声を上げて身をすくめると、女の子は目を丸くして急ブレーキをかけた。

 どうやら僕を殺そうとしていたわけではないらしい。助かった。

 

「えっ、ちょっ、今どこから……って、そうじゃなくて! 上! 上!」


 女の子は動揺して一瞬立ち尽くしたあと、すぐに大慌てで天をつくように頭上を指差した。僕は素直に首を上に向けた。

 

「――グルルルルルルッ」


 そこには、巨大な爬虫類のような――竜の頭があった。

 

「うわああああああっ!?」

 

 全然助かってなかった。

 いきなり「竜の頭がー」とか、頭おかしいんじゃないかっていうのは僕も心の底から思う。思うけど、実際のところ竜としか呼びようのない生き物の巨大な頭が頭上で唸り声を上げているんだからしょうがない。

 

「早く離れてください!」


 女の子は僕の襟首を鷲づかみにすると、そのまま竜と反対の方向へと僕を引っ張りながら駆け出した。それでようやく周囲の状況に意識が行く。

 

「な、なんだこれ……」


 街が燃えていた。しかも燃えている街は中世……というか近世、18、9世紀くらいのヨーロッパ風のような風景。こういう街並みをここまで大々的に再現したような施設は、少なくとも僕の記憶の中には存在しない。

 それに僕を引っ張る女の子もそうだ。鈍く輝く銀色の鎧を身にまとっていて、手にした剣は模造刀とは思えない鋭い光を放っていた。僕……というか多分竜に突っ込んできたときの表情も鬼気迫っていて、とても遊びやお芝居の部類だとは思えない。

 

「こ、これが死後の世界……いや、もう生まれ変わったとか?」

「何わけわからないこと言ってるんですか! ここは現実ですし、私も私の家族も友だちもまだ死んでません!」


 耳ざとく僕のつぶやきを耳にした女の子が反論してくる。

 

「……きっと、まだ生きてます」


 付け加えるようにつぶやいた声は、細くか弱く震えていた。

 その切実な一言は、あやふやだった目の前のすべてを確かな現実として僕に受け入れさせるのには十分すぎた。

 

「グオオオオオオッ!」


 背後で竜が鳴いた。その直後、僕たちの右手ほんの十数メートルの地点で爆炎が上がる。

 思わずそちらに目を向けたことで自分の右手の違和感に気づいた。

 

「これ……」


 いつの間にか、節くれ立った短い杖のようなものを握りしめていた。多分ここに来たときにはもう握っていたんだろうけど、そこまでは意識がいっていなかった。

 右手から右腕、体へと視線が映る。身にまとっているものも変わっていた。

 厳密に言うと着ているものはゴミ収集車にはねられたときと同じだけど、その上に見たこともない紺色のローブを身につけていた。

 そのローブの右の内ポケットに何かが入っている。左手を突っ込んで取り出してみると、折り畳まれた紙片だった。

 少し苦労して、走りながら空いている左手だけを使って紙片を開く。

 そこに並んでいたのはまったく知らない文字だったけど、なぜかすらすらと読むことができた。

 どうやらそれは手紙のようだった。

 

『鏡野優星くんへ

 

 私の弟子が迷惑かけちゃってごめんね。

 あ、弟子っていうのはもちろんゴミ収集車の方じゃなくて、君につきまとってる女の子のことだからね? 別に私はごみ集めのプロとかではないのでそこんとこよろしく。

 さっそく本題に入るね。迷惑をかけてちゃった分の補償として、まず消滅寸前の君の魂をギリギリサルベージしてこの世界に転生させました。聞く、話す、書く、読む、全部自動翻訳できるようになってるのでご心配なく。

 本当は元の世界で蘇生できればよかったんだけどね、ほら、そっちの世界魔法がないでしょ? 正当な存在としての論理が破綻しちゃうから、奇跡や魔法のあるこっちの世界で再生させるしかなかったのよ。ごめんね。

 お詫びと言ってはなんだけど、特別な杖をあげちゃいます。なんと、全能に準ずる力を持ったとっておき。全然知らない世界で生きていくのは大変だと思うし出血大サービス。本当は人間に渡しちゃいけないんだけど、それは失敗作だからギリセーフってことで。

 使い方は君に馴染みのある方法に調整してあるよ。名付けて「スマート杖」。その杖に向かって「ヘイ、杖」とか「オーケー、杖」って言えば起動。実際に起こしたい現象を言葉にすれば、大体は実現させてくれちゃうすごいやつ。

 まあその「大体」っていうのが失敗作である所以なんだけどね。認識精度が低い上に、実行も大雑把でね。いざ実行してみると「あー、間違ってないんだけど、間違ってないんだけどねー!」って感じになっちゃうんだよね。ざっくりした言葉をざっくり実現してくれるって感じ? でも本当、不可能はないんだよ? 本当に。

 何にせよ、それさえあれば何に襲われても切り抜けられると思うし、生活に困窮することもないと思うから、この世界の暮らしを存分に謳歌して幸せになってくださいねー。

 それじゃバイバーイ!』

 

 ……読んでて頭が痛くなってきた。

 もうどこからどこまで真に受けていいのかわからないけど、1番信憑性があるのはこれを書いた人が僕をストーキングしてたやばいあの子の師匠だという主張だ。

 そして信じたいのは――この杖に、全能に等しい力があるという一文。

 起動方法がなんかすごく……アレだけど、まあいいか。

 

「――よし」


 僕は覚悟を決めるとその場で足を止めた。僕をつかんでいた女の子は引っ張られるようにして止まり、すごい形相でにらんでくる。

 

「何してるんですか!?」

「先に行って。ちょっと試したいことがある」

「何を試すっていうんですか!? 痛くない死に方ですか!?」


 いやー、安楽死はさすがにあのドラコンの手には余ると思う。

 僕はその言葉は無視して杖を見つめた。持ち手の辺りに青い宝玉のようなものがはめこまれている。僕は小さく息を吸い込んだ。

 

「ヘイ、杖!」


 我ながら、この緊迫した状況でものすごく間抜けだと思うけど高らかに言った。背後の女の子の視線が痛い。

 直後、宝玉が淡い光を放った。これがスタンバイ状態か。

 

「あの竜の活動を止めてくれ!」


 僕が叫ぶと、若い女性の声で応答があった。


『すみません アンドリュー が 見つかりません』


 ――アンドリュー誰!?

 いや認識精度本当に低いなこれ。なんだよ。どうすればいいんだ。もっといろいろ正確に伝えないとだめなのか?

 

「ヘイ、杖!」


 うーん、これ繰り返すの嫌だなぁ……。

 

「あそこにいる緑色の鱗の巨大な竜の活動を止めてくれ」

『すみません もう一度 お願いします』

「あそこにいる緑色の鱗の巨大な竜の活動を止めてくれ!」

『すみません もう一度 お願いします』

「あそこにいる緑色のうろきょ――ああっ、噛んだ!」

『すみません アソコニイルミドリイロノウロキョアーカンダ が わかりません』


 なんで噛んだときだけちゃんと聞き取ってんだよ! 馬鹿にしてんのか!

 僕が地団駄を踏んでいるうちに、辺りが妙に明るくなった。見上げてみると、竜がその顎の内側に巨大な火球を作り出していた。

 絶対やばい。あんなのを食らったらひとたまりもない。

 ……ええい、もうこうなったらやけだ!

 

「ヘイ、杖ぇぇぇ!」


 宝玉の点灯を確認すると、投げつけんばかりの勢いで杖を竜に向けた。

 

「なんでもいいからあの竜をなんとかしろぉぉぉっ!!」


 叫ぶ。燃え盛る街に僕の怒号がこだまする。

 

『はい あの竜 を 爆破します』


 おお、通じた! やっと通じたぞ! まったく、失敗作っていうだけあって本当に手間のかか……いや、今こいつなんていった?

 僕が首を傾げる中、杖の先端が突如として光を放ち始める。

 

「えっ、爆破? えっ?」


 僕は困惑しつつ女の子の方を振り返る。女の子は頭のおかしい人を見るような、哀れみと警戒心の入り混じった表情で僕を見ていた。

 

「あの……なんかやばそうだからとりあえず伏せて」


 僕がジェスチャーを交えながら言うと、女の子は素直にその場で伏せた。

 それを見た僕も、杖を持った右手を前に出しながら地面にうつ伏せになる。

 

「…………」

「…………」


 そのまま待つこと約10秒。杖は蓄えた光を一瞬にして竜に向け放った。

 竜が火球を放つ寸前、光が龍に届く。直後、爆音とともに竜の断末魔が街に轟いた。

 

「ギャオオオオオオ!?」


 その叫びから感じた困惑と悲哀を、僕は決して忘れないと思う。

 なぜなら僕も同じくらい、もしくはそれ以上に困惑していたから。

 

「なんか……ごめんな」


 つぶやいて轟音鳴り響いた空を見上げる。

 この世界に天気予報士がいるかどうかは知らないけど、晴れときどきドラゴンの肉片、なんて予報を出してなかったことだけは間違いないと思う。

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