その愛はちょっと重たいかもしれない。

ありま氷炎

凛視点

 あれは確か十二歳のときだ。

 旦那様に養子にされる一年前。

 私は落し物を拾った。

 いや、正確に言うならば迷い人だった。

 その日は雪が降っていて、白銀の髪に、透き通った水色の瞳の彼はまるで雪の精のようだった。

 でもその人、大の大人のくせに、全然頼れない人で、しかも記憶がなかった。


 置いていくには、ちょっとかわいそうだし、綺麗な人だったから、誰かにさらわれると思ったので、私が拾った。

 三年前に母が亡くなって、私は一人きり。

 宿屋の一角に部屋を貸してもらい、そこの女中として働いていた。

 女将さんはいい人で、その人を置いてもいいと言ってくれた。


 その人、何にも覚えてなくて私は勝手に、公明路(こうめいろ)で拾ったので、公明(こうめい)と呼ぶことにした。とても素直なその人は、大人なのに私の言うことを聞いて、毎日部屋でじっと私の帰りを待っていた。家にいてもらったのは、出かけるとあんまり綺麗だから人さらいに会うと思ったから。

 女将さんからご飯をもらって部屋に戻ると、嬉しそうに笑ってくれた。家にじっとしているのもかわいそうだと思って、休みの日は一緒に出かけようと思ったのに、ある日公明(こうめい)はいなくなった。女将さんも彼がいなくなったのを知らなくて、私はやっぱり彼が雪の精だったのだろうと、思うことにした。



「美凛(めいりん)?」

「陛下……」


 夢を見ていたようだ。こんな時に。

 私は陛下の様子を窺う。

 

 昨晩、陛下は私の部屋にお渡りにきて、そのまま夜をお過ごしになられた。

 後宮に入ってから一年。

 数ある女性から選ばれ、側室の一人になった。

 皇后様の下に、側室は現在四名。今のところ誰も皇子を産み落としていない。 なので旦那様のために頑張らなければならないのに。

 あんな昔の夢を見てしまった。

 五年前の、まだ唯の女中だった時の、凛(りん)として自由だった時の。


「美凛(めいりん)?気分でも悪いか?」

「いいえ、そんなことはございません。ご心配をおかけしましたわ」

「ならいいが。よい夢を見ておったようだな」

「ふふふ。覚えていませんわ。きっとよい夢だったのでしょう」


 夢の中で別の男の人のことを考えていたなんて、知られてはならない。

 私は陛下の所有物なのだから。


 いつも通り媚びるように微笑む私に、陛下はそれ以上何も言わずに、部屋を出て行ってしまった。

 その時はおかしいと思わなかったけれども、それからお渡りがすっかり止まってしまった。


 旦那様はそれをどこから嗅ぎ付けたのか、文を寄越した。

 理由はなんだと問われたが、まさか夢のことなど話せるわけがなく、私は知らないと答えた。


 夢で、たった一度の夢で、こうも陛下は気を悪くしてしまったのか。

 旦那様のお怒りの様子を浮かべて、体の芯が冷えていき、震えが止まらなかった。

 四年前、私は旦那様の養子になった。

 私の容姿が気に入ったらしい。旦那様は私を慰め者にすることはなかったが、厳しく教育された。娘がいらっしゃらなかった旦那様は、宿屋で働く私を養子にいれ、後宮にいれることを思いついたらしい。

 あの人、公明(こうめい)とは比べものにならないが、私はそれなりに容姿が整っていた。皇帝領外の民族の血が流れているらしく、私の瞳は青色で、彫りも他の人より深くて、肌の色も白かった。

 そして旦那様から教育を受けつつ、更に容姿に磨きをかけた。

 三年後、後宮に見事に入ることができて、陛下の寵愛を受け、念願の側室の一人になった。


 旦那様は痺れを切らして、何度も文を送ってくる。だけど、私は答えられなかった。 多分、あの夢だろう。もしかしたら彼の名前を口にしてしまったかもしれない。

 それが知られたら、私は旦那様に折檻、もしかしたら、殺されるかもしれない。

 

 そんな恐怖に怯える中、お茶会に招待された。陛下からの誘いで、これで挽回しなければと自分を叱咤し、お茶会へ参加するため準備を整える。

 参加者は、陛下と辺境である紫国(しこく)の王。そして、皇后様と側室達だった。側室達は私にお渡りがないことを知っているため、蔑みの視線を向けるに違いない。皇后様はそれを楽しそうに見学なさる。そんな構図が予想できたけど、私はなんとしても陛下から再び寵愛をいただかなければならない。

 私の武器はこの顔と体。だから精一杯化粧して、胸元を下品にならない程度に開き、着物を纏った。


 お茶会の会場である桜花塔に到着し、扉が開かれる。

 その瞬間、私は羞恥で死ねると思った。

 誰も彼も、地味な着物を着ていて、私だけが浮いていた。 

 そして、陛下の隣にいたのは、なぜか公明(こうめい)で、私を見て凍りついたかのように驚愕していた。


 なぜ、彼が?

 

 側室達の抑えた笑い声が、私の耳に届く。

 小さな笑い声なのに、とても大きく聞こえ、私は逃げ出したくなった。

 けれども、脳裏に浮かぶのは旦那様の恐ろしい顔。

 息を吸うと、いつもの笑みを浮かべる。


「遅れてしまいまして申し訳ございません」


 陛下は私の格好に気分を害した様子もなかったが、私の席を彼の隣に指定した。側室達の視線が集中し、眩暈を覚えたが、堪えた。

 陛下は彼を紫国(しこく)の王と呼び、彼もそれに答えた。隣に座っていたが、彼が私を見ることはなかった。

 地獄のようなお茶会が終わり、どうにか部屋に戻る。

 化粧を落とし、着物を脱ぎ、いつもの地味な茶色の着物を身に着ける。

 頭に浮かぶのは、側室達の見下した視線ではなく、彼の驚いた顔だ。


 なぜ、彼が?

 他人の空似。

 ありえない。あんなに美しい人が二人も存在するはずはない。


 そんなことを悶々と考えていると、宦官が部屋に訪れる。用件は陛下のお渡しの件で、胸をなでおろした。

 これで旦那様に怒られないですむ。

 私は、旦那様に養子にしていただいた。人は羨むけど、私は美味しい食事、美しい着物、最高の教育などいらなかった。

 結局私がしていることは、街の娼妓(しょうぎ)と変わらない。


「陛下が来られます」


 宦官が前触れにやってきて、その後に陛下がいらっしゃる。

 いつものことで、私は内心憂鬱に思いながらも顔を上げた。


「こ、」


 扉を開けて現れたのは、陛下ではなかった。

 彼は私の口を押さえ、寝台に縫い付けるように体を押し倒した。


「黙って。わかるね?」


 冷たい声でそう問われ、私は頷く。

 口から手を放され、新鮮な空気が入ってきた。


「君は凛(りん)だろう?」


 寝台に腰を下ろし、彼は聞いてきた。

 白銀の長い髪に、透明な水色の瞳。睫が長くて女性みたいだった。


「は、い」


 彼はやっぱり、公明(こうめい)だ。

 なぜ、彼が紫国(しこく)の王なのかわからない。だけど、凛(りん)と呼ぶのは、昔の私を知っている証拠。だから、公明(こうめい)に違いない。


「これは君が望んだことなの?」


 唐突に聞かれ、意味がわからなかった。彼は何を知りたいのだろう。


「ごめん。もし、君が、後宮から出たいなら力を貸す。だけど、君がこのままいたいなら」

「いたくない」


 反射的に私の口はそう答えていた。

 驚いて口をふさぐ。

 なんてことを。旦那様に殺されてしまうかもしれない。


「私は君をずっと探していたんだ。そして、角家を突き止めた。彼のことは心配いらないよ。皇帝陛下にも話してある。君は後宮から出たい?」

「はい」


 出て何をするかはわからない。

 でももう、娼妓(しょうぎ)のような真似はしたくない。


「わかった。私から皇帝陛下に伝える。安心して」

「公明(こうめい)。あなたは公明(こうめい)ですか?」

「そうだよ。君にあの時助けた公明(こうめい)だ。君が拾ってくれなければ、記憶がない私はきっと、誰かに殺されていたかもしれないからね」

「殺される?」

「そう。私は、あの時はただの王子の一人にすぎなかった。遊学途中で、襲われて記憶を失ったんだ。あの当時、紫国は王位継承でもめていてね。私は関わりたくないから、国を出ていたのに。結局、皆が殺し合い、私だけが残ってしまった」


 彼は悲しそうに笑う。


「まあ、私のことはどうでもいい。君をもっと早く見つければよかった。角家でも後宮でも大変な思いをしたようだね」

「そ、そんなことは。旦那様にはとても十分なものを与えられて、」

「でも、それは望んだことじゃないだろう?」


 そう、私はそんなこと望まなかった。

 街の娘として、女中のままでよかったから。


「君を解放してあげる。私を助けてくれたお礼だ」


 彼は優しく私の頬に触れた。なぜか涙が出てきて、彼が拭ってくれた。


「遅れてごめん。もっと早ければ、」


 側室だった女性が平民になることは少なくはない。けれども、どれも罪を犯して、身分を奪われる場合だ。私は後宮を出ることはできるけど、恐らく、いい暮らしはできないだろう。

 だけど、旦那様の影におびえて、娼妓(しょうぎ)の真似をするよりはましかもしれない。


「凛(りん)。私は君をただ後宮から出すことには反対している。君が苦労するのがわかっているから。だから、私が貰い受ける形でいいか?」

「貰い受ける?」

「大丈夫。形だけだ。でも、紫国(しこく)に来てもらうことになる。いいかい?」

「紫国(しこく)?」

「辺境の土地だけど、いいところだ。命の恩人の君に不自由はさせない」


 夢うつつの気持ちで、私はただ頷く。すると彼は嬉しそうに笑って、部屋を出て行った。

 残された私は、夢を見ているような不思議な気持ちだった。


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