第3話 夕方

 ……それにしても、まさか弁当を作ってきてくれるとは思いもしなかった。

 僕はいつもパンとかで済ませてしまうから、ちょっとカロリー調整に失敗した気分。まあ、これは夕食を少なくすることで調整できるだろう。

 ちなみに僕の家まで徒歩二十分。いい運動になるし、カロリーの燃焼にも繋がる。だから、これは一番いいということだ。


「……何泣いているのよ、弱虫!」


 ふいに声が聞こえて、僕はそちらを向いた。

 そこにいたのは二人の少年少女だった。黄色い特徴的な帽子をかぶっているところを見ると、どうやら幼稚園児のように見える。

 本当ならば、無視していい場面だったかもしれない。だって、二人とも知らない人間だ。僕と彼らは赤の他人に過ぎないのだから。

 ……だが、その少年を見ていると、なぜか見過ごせなかった。


「おい、何しているんだ?」


 だから、僕は、つい声をかけてしまった。

 いち早く反応したのは少女のほうだった。


「な、なによ! 関係ないでしょう、あなたには!」

「……関係あるとかないとか、そういう問題じゃあないんだよな。道中でいじめている格好を見ると、見過ごせないんだよ。なんか、他人事じゃないように感じて」

「そんなこと言われたって……」

「そう。まさにそうだよ。そんなこと言っても、まさに他人。けれど、放っておけないし、無視することもできない。……仮に少年が何か悪いことをしていたからと言って、泣くまで追い詰めることは無いんじゃないか?」

「もういいよ! かえる!」


 少女はあっさりと折れて、踵を返し、走って行った。


「……ありがとう、お兄さん」

 残されたのは泣きぐずった少年だけ。

 取りあえず僕はティッシュを差し出して、それを手渡す。

 少年はありがとう、とだけ言ってティッシュを受け取ると、それを使って鼻をかんだ。


「……あの子は、いじめていたのか?」

「ううん、どうなんだろう。普段からこういう感じだから」

「普段から……ねえ」


 それから、僕と少年――雄太くんは家の近くまで一緒に帰ることにした。それまでは他愛もない話ばかりが続いていたが、大半は僕が聞き手だった。雄太くんが話して、僕が聞く。ただそれだけの、そういう感じ。

 雄太くんがここで曲がるといったので、僕は手を振って彼を見送った。

 ……不安なのは、僕が今日手を差し出したことで、彼女がまたちょっかいを出してこないか、ということなのだけれど。まあ、その原因が解らない以上、ひとまずはこれでいいのかもしれない。もし、あまりにもひどいものならば幼稚園なりどこかで見つかって問題になっているだろうから。

 そう思って、雄太くんの姿が見えなくなったタイミングで、僕も踵を返し、立ち去って行った。



 ◇◇◇



「ただいまー」


 そう言ってドタドタと乱暴に足音を立ててくる。……ああ、我が家のわんぱく人間の帰ってきた合図だった。


「おかえりー」


 私はキッチンで自分の弁当箱を洗いながら夕食の準備をしていたので、手が離せなかった。だから私はそこで大声を出して、彼の言葉に答えるしかなかった。


「ねえねえ、お姉ちゃん! きょう、かっこいいお兄ちゃんに出会ったよ!」


 私の弟――雄太はそう言っていた。表情はなぜか明るい笑顔だった。

 私は首を傾げ、


「かっこいいお兄ちゃん?」


 ひとまず突っかかった単語を訊ねてみた。

 対して雄太はあたりさわりのない答えしか答えなかった。


「……というか、あんたまた里奈ちゃんにいじめられたの? おでこが赤いけれど」

「い、いじめられたのか……なあ?」

「無関心にもほどがあるわよ、それ。まあ、傷になっていないだけマシなのかもしれないけれど。取り敢えず、手を洗ってきなさい。おやつ、用意してあるから」

「わーい、おやつだー!」


 そう言ってカバンを床の上に置いて洗面台のほうへ走って行ったわが弟雄太。

 ほんとう、どうしてあの年代って落ち着きが無いのだろうか? ……まあ、あの年代で落ち着きがあったほうが恐ろしいのかもしれないけれど。

 私はそんなことを思いながら、そして雄太の言った『かっこいいお兄ちゃん』にちょっと引っかかりながら、夕食の準備を再開するのだった。

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