第三部 竜脈編

第十章 ネブラザの蒼き光〜無限機動オーム・自律召喚幻蟲モネ登場〜

第百三十七話 スカウト

 執務室のバルコニーから見える南インダストリア工業地帯上空には、いくつもの資材運搬車フラットトラッカーが荷台に積む復旧用の鉄鋼部品をぎらぎらと、雲から落ちる陽に輝かせて飛び回っている。

 沖合に見える砲撃艦リボルバーの船体から海に向かって降ろされた何本かの鉄管は、先日の大爆発で起こった魔力拡散の残留を調べているのだろうか。


 手すりに掴まって全身で海からの風を受けるラウゼリラ=トール副議長は黒の喪服を着ていた。何度目かのため息をいてその遠景を見る。

 今回の騒動で首都がどれだけ被害を受けたのかは、まだ定かではない。敵の攻撃で街全体を覆う障壁も迎撃システムも現在は機能していないそうだ。


 おそらく最後まで、公にはされないだろう。

 たった一人の人間がこれを行ったなどと。


 急遽行われた非公式の会合でシュテの導師シャクヤから報告を受けたディンガー=フォートワーズ議員が——あのご老体は落壁から救われた恩義とともに、ひょっとしたらラウザの身体の秘密もいくらかはアタリがついているのか、めっきり口振りも大人しくなったのだが、彼も最後まで今回の件は秘密裏に処理すべきだと主張していた。


 魔術の存在など世に知られるべきではない。ラウザが思う。異界より蟲を呼び出し操る禁忌の術法は、それを欲するものが手にすればいくらでも同じ災厄が起こせるだろう、また良識あるものとて放置することができなくなるはずなのだ。対策を立てよ、と。脅威に備えよと評議会は騒ぐはずだ。


 獣の脅威に備えるという大義で、あの忌まわしい魔導が提案された際にも、首都の獣たちにそれを浴びせることに声をあげて意を唱えるものは少数であった。あれほど他者の生命と尊厳を無視した魔導であったとしてもだ。


 議員のほとんどは凡庸な市民でありながら、全体の危機が大義となれば狂気に迎合し賛同する。確か昔、お亡くなりになったバウンディ将軍がそんな意味合いのことを、おっしゃっていたはずだ。あれはなんという言葉だっただろうか?


「すっかり物忘れがひどくなったわ」


 ひとちるラウザに、部屋から声がかかる。レベッカである。


「将軍がお見えになられました、ラウザ様」

「え? もうそんな時間?」


 腕時計を見れば、約束の時間より早い。ちょっと首を捻って部屋に戻る。



 応接室のソファーには将軍の他にもう一人、奇妙な客が座っていた。頭髪が真っ白な少年で、そうありながらきちんとした正装の背広にたたずまいは大人を思わせる。彼が部屋に入るラウザを見て腰を上げ一礼する。隣のファイルダー将軍も立ち上がって。


「ちょっと早いんだが人を紹介したくてな」

「そうだったの。こちらの方?」


「このような日に突然の訪問をお許しください。西インダストリア地区にて孤児院を運営しています、アルトムンドと申します」

「ああ。先日の騒動で国軍を助けてくれたクレセントの方? 将軍より報告は受けてます。アルター評議会副議長のラウゼリラ=トールよ。よろしく」


 テーブルの対面から差し出した手で互いに握手する少年と老貴婦人が、しかし。その格好のまま数瞬アルトはじっと見つめて。なのでラウザが軽くウインクをする。少年がかすかに頷く。そして。


「今日はご挨拶だけでよかったの? あなたも参列に?」

「いえ、本日が軍葬とは知りませんでした。申し訳ありません。十分ほどでもいただければ」

「そう。将軍は?」

「俺は準備の確認がある。下で待ってる」


 そう言ってさっさと将軍は部屋を後にした。椅子に腰を下ろしたラウザが執務室側のドアに立つレベッカを軽く指差して。


「彼女は知ってる。心配ないわ」

「そうですか。まさか議会の副議長が獣だったとは意外です」


 貴婦人の顔に笑いが漏れる。


「ナイショよ」

「もちろんです」

「——もう何年この姿で隠し通したと思ってるの。完全隠身でもそんなに簡単に見破るのね、さすがクレセントと言ったところかしら? ……あなたこそ、見た目通りのお歳ではないのでしょう?」

「はい、恐れながらトール様より年齢は上かと」


 その言葉にレベッカが若干目を丸くするが、ラウザが気にもかけずに。


「ラウザでいいわアルトムンド。西インダストリアは長くて?」

「そうでもありません。ずいぶんあちこちを旅していました。ただこれからは、少し腰を据えて動こうと思いまして。それでご挨拶に伺いました」


「日の当たる場所に出るのは理由があるのね? 今回の騒ぎと関係が?」

「まだ、わからないです。評議会の権力闘争には興味がなかったのですが。街に蟲が湧くなら、話が別です。まして——」


「大陸の東に竜脈が現れるなんてね。そっちの方が気になっているのでなくて?」

「その通りです」


 彼女の問いかけに答えて、少年が思う。噂に聞いていた通り、聡明な女性だ、この方は。と。



 互いの顔合わせが済んだ二人がレベッカに先導されて地下駐車場まで降りて、そこで将軍と合流する。ちょっと驚いたのは少年がそこそこの大きさのロックバイクを自ら運転してきたことだ。


「首都では保安隊に止められるわよ、気をつけないと」

「ええ、先日ちょっと運転手が辞めてしまいまして。また代わりを探します」


「そうしたほうがいいな。しかもこれ、こないだも思ったが帝国の軍用だろ? なんだったら民間用の同型と交換してやろうか? それかもう少し小さいやつと。差額は払うぜ」


 もの珍しそうに将軍が覗き込んで言うのだが。


「これ預かり物なので。別のやつを買います。お騒がせしました」

「まあ、早めに小型に乗り替えるんだな」


 軽やかに基底盤を浮かせてターンし駐車場を後にするアルトムンドの背を視線で追いかけながら将軍が聞いてくる。


「情報の共有か?」

「そうね。協力要請ってところかしら」


 



 晴れてはいるがやや雲の多い空に弔砲が響いたのは昼第零時、地球時間で言うところの正午である。本部に隣接する軍用墓地は東の港湾区から少し登った、南海洋の見渡せる高台に位置していた。


 復活に至ることのなかった死者は十四名、いずれも三号欠格の凄惨な死体である。負傷者にも四肢欠損の者がいくらか見られるのは、通常の魔導系とは違う、蟲との戦闘の結果なのだろう。こういった戦闘には、元来の治癒魔法はたいして役に立たない。


 今回の件で有益なことが、ひとつだけ起こったのは。ディボ=バルフォント議員より治癒魔法の管理者権限が剥奪されたことである。さすがに〝あのような事件〟が明るみに出ては彼の派閥も解散となるのだろうが、本人はまだ気炎を吐いているのだろうか?

 葬儀が一通り終了したのは、もう昼第一時を半刻ほど過ぎた頃であった。



 旧アルター国バウンディ前将軍の墓は、軍用墓地の端、少し離れた丘の上にある。こちらは南海洋に加えて東も海に面しており、ちょうど岬の形でずっと海が見渡せる。将軍が生前に指定した場所であった。


 国の通例として墓前に参るのは概ね月昼期ルナウィーク明けの休日が多い。今日は平日であったが軍葬のため日頃よりは墓地も人が多くいる。が、こちらの岬まで登ってくる遺族は少ない。

 墓前の報告も兼ねてラウザと将軍はレベッカを付き従えて潮風の吹く坂を登っていく。午後の日差しはそこまで暑くもなく、遠くに海鳥の群れも見える。


 三人が墓の近くまで歩いて来てみれば、先客がいた。後ろ姿に広い肩幅のラフなスーツを着た、将軍と同じほどの体格の男性であった。護衛するレベッカの鼻がすん、と動いて。


 だが声を出したのは貴婦人の方だ。


「……あなた。どうしてここに?」


 声に振り向いた男は頭髪にひと房の白髪のラインが入って、もみあげから顎髭が繋がっている。立ち止まってしまったラウザら二人と墓前の男を交互に見て、はたと将軍が思い至ったのか、目を丸くして。


「おまえ。虎の艦長か?」

「今日が軍葬だったんだな」


 人間の姿をしたイースが、声を返したのだ。

 薄曇りの下、海には陽が差している。





「ロイが左手を失ったと申すか?」

「はい」


 国軍本部の一室で。テーブルの小柄な老人、ウォルフヴァイン元総督は両手で持ついつものカップの手が止まった。頷いて答えた虎の後を将軍が続ける。


「義手の製作に十日前後かかるそうです。それでこの野郎は」

「相変わらず絡んでくるなあ、おまえは」

「うるせえ。ひとっことも言わずに飛んでいっちまいやがって。俺はな、てめえに聞きたいことが山ほどあるんだ虎の艦長」


「まあ、そうだろうな」と返す虎の前にテーブルの向こうからぐっと乗り出す将軍が睨んで言うのだ。


「ウチのモノローラの連中が目撃してたんだぜ。おまえ、あの竜脈移動ドライブはなんなんだ?」

「そっちかよ」

「とぼけんじゃねえ。あんな速度の無限機動は見たことねえって言ってたぞ? どんな推進能力使ってんだおまえんとこの蛇は?」


 呆れているのは副議長と総督も同じだ。


「ちょっと。そんな話は夜に飲みながらでも二人でやって。——それで、ウルファンドの被害はどのくらいなの? 一般市民にも攻撃が?」

「詳しくはまだ不明だ。どうも話が釈然としねえ。街が襲われたってのは確かだが、どうも戦闘の合間で事故があったらしい」


「事故?」

「魔力か何かの暴走だ。それで敵味方無差別に燃えちまったところに、俺たちが駆けつけたんだ」


 ラウザが怪訝な顔をする。


「それをあの竜脈が知らせたの? あなたたちを迎えに来たってこと? あの竜脈が? そんなことってあるの?」

「……聞いたことがあるのお」


 三人が総督を見た。カップのお茶を少し啜ったウォルフヴァインが言う。


「ノエルの呪文に、竜脈を操るものがあるらしいのお。何番じゃったか。もうだいぶ前に聞いた噂じゃから忘れてしまったわい」


 老人の言葉に、虎が思い出して。


——なにをこそこそ隠れていたの? やはりあなたが私の〝声律トーラ〟を無断で使った張本人?——


「……二番じゃないですか? 総督」

「うーむ」


 考え込む二人にラウザが言う。


「イース。襲ったのはエメラネウスのヴァン=セルトラで間違いないのね」

「そこは間違いない」

「あなたから仕掛けに行くつもり?」


 細かく頷く虎に、また将軍が睨んで。


「まさかてめえ、アルターに軍を出せとか言いに来たんじゃねえだろうな」

「なんだ、一緒に行くか?」

「ふざっけんな! あんな紛争地帯に国軍が出せるか!」


「申し訳ないけど将軍の言う通りよイース。あなたたち蛇に首都を救ってもらったのは感謝してるけど、さすがに評議会を通せるとは思えない。それに忘れたの? セルトラは四番〝號星アルカスト〟の所持者なのよ。あの呪文がある限りエメラネウス山系に無限機動は一歩も踏み込めないわ」


「冗談だ、軍なんか出したら大ごとだ」

 虎が軽く肩をすくめるが、副議長が続ける。


「あなたたちだけで戦うつもり? それこそ——」

「なあラウザ。俺たち蛇は、あんたらリオネポリスに貸しができたと思っていいのか? だったらひとつ頼みたいことがある。軍ではなくて、あんたにだ」


「私に?」

 ラウザが首を傾げた。





 連絡橋から見る夜のインダストリアは配管の緑に輝く照明灯が、流れる水に反射してゆらめいている。まだあちこちの工場が、蟲の強襲で受けた傷が痛々しい。


 先日の戦闘で軍隊が蟲たちを迎え撃った南部の工業用水路は、リオネポリスの居住区域と工業地帯をきれいに区画で切り分ける巨大な人工河川だ。東西に流れるその水域には数本の主要な幹線橋が渡されて、一部の橋は渡った先に労働者たちの飲み屋街が連なっている。


 虎は相変わらず人間の姿のまま、ぼちぼちと明かりの灯るその通りをひとりで歩いていた。やっている店は少ない、復旧工事が始まったばかりで工場区がまだほとんど稼働していないからだ。

 三件ほど回った虎が困った顔で通りを見渡す。どうも南側はハズレだっただろうか、次で手応えがなければ中央区の繁華街でも回ってみるかと思いながら、扉を開けた。


 店そのものがやっていないので、開いている酒場ではそこそこ客入りがある。薄汚れた風体の工場人夫ががやがやと喋りながら飲み交わしている店内のカウンターに行けば主人らしき男が声をかけてきた。


早生酒ハードピンでいいかね。しばらくはそれしかなくてね」

「いや、酒はいい。食いもんが欲しい」

「じゃ適当に作るからテーブルに行きな。なんでもいいかね」


 虎が言う。


はあるか?」


 ぶふっ、と。隣で飲んでいた爺さんが吹いた。ひゃひゃと歯のない口で笑って虎の肩をぽんぽんと叩く。


「店、間違えてんじゃねえのか兄さん」

「甘いもん好きでね」「ひゃっひゃ」


 だが店主は口の端をわずかに上げて。持っているグラスを拭きながら。


「二軒先の路地裏にやってる店があるぜ」


 それだけ答えた。虎がふっとため息を吐く。どうやらやっと当たりを引いたかもしれない。軽く手を上げカウンターから離れて扉へ向かうその背中を見ていた店主が、横のバーテンに「おい」と声をかけた。



 通りから曲がった路地裏は店どころか碌な明かりもない。先に店が見えるわけでもないそこを、虎が構わず歩いていくと後ろから気配を感じた。

 立ち止まって振り向く。男が二人いる。片方は背が低い壮年でもう片方は若者だ。虎に声をかけるわけでもなく、通りへの道を塞いでいる。


「——なにを嗅ぎ回ってんだ?」


 その声は前方より聞こえた。視線を戻せばそちらにも、もう二人の男が立っている。こちらは暗がりでよく見えない、痩せた長身の影と、ずいぶん体格のいい影だ、が。その体格のいい方が少し首を傾げて、様子を伺っているようで。やがて。


「あんた……ひょっとして、虎の艦長か?」

「やっぱり街に残ってんのがいたんだな。アンダーモートンか? 少し付き合えねえか」


 虎が親指で表通りを指した。



 酒場の隅でテーブルに座った五人が軽く酒を頼む。どうやら体格のいいのが取りまとめらしい。それぞれに顎を振って虎に紹介する。


「こっちの背の低いのがユガ、高えのがギリーク。この若えのはミストだ。俺はコーダンでいい」

「四人で全員か?」

「そうだ。どうして俺らが生き残ってるってわかった?」


「そりゃあそうだろう、娘が人質に取られてたんだ、ゲイリー=クローブウェルの言うことを聞くにせよ見届け人がいるじゃないか。みんながみんな蟲をつけたって話にならねえ。あんたら四人は蟲憑きじゃあ、ねえんだろ?」


 ぼりぼりと露の実メールを生でかじるユガが頷いて言う。


「俺らは死に損ないだ。せめて事が終わった後のお嬢を取り戻さなきゃいけねえのに、まだ国軍に軟禁されたまんまだぜ虎の艦長」

「聞こえが悪いな、保護って言えよ。ギブスンの娘を取り戻して、フィルモートンに帰るのか?」


「……聞いてねえのか? あの街にはもう、帰れねえよ」

「なんでだ?」


 割り水をくいっと飲んだコーダンが続けた。


「ディボ=バルフォントがフィルモートンの復旧委員長に収まったんだよ。あいつの娘婿のダニエルか? あれがピエール=インダストリアの連中使って魔石と一緒に獣を密輸してんのがバレちまってなあ。ダニエルの隠れ家から酷えありさまの娘たちがぞろぞろ見つかったらしいぜ」


「誰が流したのか証拠の名簿も出てきちまったんだ、当のダニエルは蟲に潰されて死んじまったらしいけどな、自業自得だぜ。いくら知らなかったとはいえディボも素知らぬ振りもできねえでな。治癒魔法の管理者権限も剥奪されて都落ちさ」


 やさぐれた笑いを含ませてユガが言う。聞いていた虎は口を半開きにして。呆れていたのだ。たいした玉だあのディボって奴は。


——「こいつの名前も評議員名簿にあるってのは本当か?」

  「あります」「見せてくれ」——


 アキラが見つけたあの名簿は。


 最初から万一の際には娘婿にすべての嫌疑を引っ被らせるためにディボ=バルフォントが仕掛けていたものに違いない。流したのもおそらくは。


「食えねえ爺さんだぜ。……都落ちってのもどうかなあ。そのうちフィルモートンは自治区になっちまいそうだな」

「あのじじいならやるかもしれねえな。そういうわけで、帰る気にはならねえんだ」


「じゃあどうするんだ、娘を取り戻してインダストリアに紛れて暮らすのか」

「男四人いりゃあなんとでもならあな」


 コーダンがぼそりと呟くので。虎が若干声を潜めて言うのだ。背広のポケットからごそごそと取り出して。


「だったら俺の仕事を受ける気はねえか?」


 テーブルの上に置いたのは拳で包めるくらいの布袋だ。四人が訝しげに覗き込んで、だが手では触れない。


「こりゃあ魔石か?」

「採れたてだ。純度は保証する」

「何をやらせてえんだ?」


「エメラネウスの紛争地帯に侵入して敵を撹乱して欲しい。相手は狂獣軍。侵入ルートはネブラザ北部だ」


 四人が目を見張る。

 構わず虎が続ける。


「帝国辺境軍と地元の連中には手を出すな。細かい計画は任せる。最終的に俺たちは蛇で狂獣軍の本部に突っ込みたい。その斥候をやってくれ。準備ができたらどんな手段でもいいから俺たちに——なにがおかしい?」


 くっくっと笑い出したのは痩せて背の高いギリークと。笑いながら顎を撫でているミストは若そうと言うより中性的な顔立ちに見える。呆れ声でコーダンが返す。


「虎の旦那」「なんだ」


「俺らが残ってた理由は言っただろ? お嬢を連れてこれからやり直していくためだ。今のその話、蟲憑けて命捨てるのと何が違うんだ?」

「別に死ねとは言ってないぜ」


 男がかりかりと耳を掻く。


「一緒じゃねえかなあ。この石で、それをやれってか」

「石は準備金だ。報酬は別にある」

「なにをくれるんだ? いい仕事先でも世話して——」


「ギブスンの娘エリナに後見人をつける。アルター国評議会副議長ラウゼリラ=トール女史だ。本人の承諾は貰った」


 今度こそ。

 アンダーモートン残党四人が目を丸くして。


「事実上の養子だ。身辺警護はルースヴェルデ親衛隊が引き受ける。入院で行けてなかった学校にも、これから行けばいい。どうだ? 荒ごとしか知らねえ男四人より面倒見はいいと思うぜ」


「へ……へへ」

「おまえらがダメなら別の方法を考えなきゃいけねえ。今、返事が欲しい。時間がないんだ」


 虎がテーブルの全員を見る。

 相手の顔からして答えを聞くまでもないが。





「じゃあ、あなたの探してた残党がいたのね」


 翌朝、中央行政塔の応接間へ顔を出した虎に、ラウザが言う。部屋には二人の他にいつも通りレベッカと、あとひとり。

 親衛隊のダリル=クレッソンが呼ばれていた。緊張して立つ小柄な犬の青年が、虎の完全隠身をほおおと感銘を受けたように見つめている。

 

 ソファーに座るラウザは虎に少し微笑んで。


「いいわ、詳しい経緯は聞かない。あの子のことは任せて。どっちにしたって、いずれなんとかしなくちゃと思っていたの」

「元気にしてるのか?」


「総督が花壇の世話のお手伝いに欲しがってたけど。よく気の利く子って言ってたわ、あの歳でそれもちょっと、ね。もっとわがまま言って遊びたい年頃でしょうに」

「取り返せばいいさ、今からでも遅くねえ。恩に着る」


 笑うラウザの顔が、だが。

 やがて真剣に虎を見つめて言う。


「イース。あなたはヴァン=セルトラが倒せるの?」

「勝てねえと思うか?」

「そうじゃなくて。少なくとも、あなたたち昔は一緒に——」


「昔も殺し合った、心配するな。あいつの大義がどんなものか知らねえが、それで拳が曇るほど俺も若くはねえよ。今回のことは、きっちり落とし前をつけさせるさ」


「大義があるなら、獅子も悪人ではない?」

「話はまったく通じない、それでもあれは普通の獣だ。亡くなった将軍が言ってただろ」


 ああ。そうだ。ラウザが思い出した。


「〝悪人はいない。悪とは状況だ〟……そうよね」

「そうだ。状況に染まった狂人がいるだけだ。あいつは狂ってるだけだ。俺も人のこたあ言えないかもしれないけどな」


 一息吐いたラウザが振り向いた。

 レベッカとダリルが姿勢を正す。


「ダリル。あなたは彼らを手伝って」

「はい。命に代えても」

「秘密裏に動くのよ」

「了解しました!」


 犬の青年が敬礼する。彼は緊張し、だが張り切っていた。ロイ大隊長にまた会える。アキラさんにも、そしてリリィさんにも。


 張り切っていたのだ。しかし。

 その思いにやや誤算があったのを、彼は数日後に知ることになる。



◆◇◆


 

 ここ数日のウルファンドは晴天が続いていた。もうすっかり怪我人も減ってきた神社の宿坊ではあちこちに畳んで仕舞う前の布団が干されて、朝からメイルがぱんぱんと布団叩きで叩いている。リリィとサンディも歩き回って洗濯物を干している。


 簡易診療室にはアキラが来ていた。帝国兵が持ってきた箱をごそごそと興味深げに漁るのを、エイモス医師とロイがそばで見ている。次々に手に取っては呟く青年の声は、しかし何を言っているのかはよくわからない。


「鉗子もあるじゃん。これは……縫合器ステープラー? こっちは携帯用の吸引器だね」


=一通り揃っているようだな。しかも気づいたかアキラ?=

「うん」


 それぞれの小器具のフォルムや手触りが等しいのだ。最後にアキラが箱ごと持ち上げて、そのサイドや底をあちこち見回して。目当てのものを見つけた。


「ムストーニア=クラブハウス?」


 きっちりデザインされた楔形の文字は、この外科用キットのロゴマークなのだろう。間違いなく、これらすべてが同一のメーカー品だ。飛竜が言う。


「ムストーニアは大陸の西端にある島国だ。おそらくサンタナケリアの中では最も科学力と機械化が進んでいる。その主たる牽引を担っているのがムストーニア=クラブハウス社だな。こういった細かな器具から防御服プロトーム、魔導機の製造開発まで行う複合企業体コングロマリットだ」


 頷いて聞くアキラが改めて箱から取り出したのが、例の平板な棒だ。医師に聞いていた通り棒の切れ目を軽く抜き差しすると、小さく音がして数ミリほどの魔導の刃が先端に飛び出る。


=使うごとに刃を魔力で組み直すのだな=


使い捨てディスポーザブルなんだ」

「うん?」

「いえ。——ロイさん。ここにある器具で問題ないと思います」


「そうか……アキラ。私の義手ができるのに、あと十日ほどかかる。艦長が戻ってくるのもその頃だ。今のうちにパメラの目を診てみるか?」



 自分が行きますと申し出たアキラを制して、大部屋の片付けをしていたパメラをロイが連れてきてくれた。リザも一緒に付いて行きたそうにしていたが、敢えてロイが抑えたのだ。まだどう転ぶかわからないパメラの左目に関して、下手な期待は持たせたくない。


 診療の椅子に座ったパメラが俯いて眼帯を外す。

 エイモス医師の前にゆっくりと顔をあげる。


 アキラは横からじっとその左目の箇所を見る。表情は変えない。患部がどのように酷い状態であっても相手の前で顔色を変えるなと、昔は現場の医師からそう教わった。


 飛竜ロイが言っていたように、パメラの左目の場所にはなにもない。瞼があるはずの位置は眉の下からきれいにのっぺらで眼球をくり抜いた傷跡すらないのだ。ただ少女の皮膚の上にうっすらと産毛が丸く生えているので。


=他の箇所より産毛が濃い。再生の痕跡がある=

(うん)


 予想が当たるかもしれない。

 この子の眼球は、獣化によって再生されているかもしれない。それなら義眼はいらない。アキラの手に力が入る。


 少女の正面に座っていたエイモスが右手の指をそっと彼女の左目の位置に当てる。パメラがわずかに身体を竦めた。人差し指と中指の二本でなぞるように医師の指が動いていく。


 そして言ったのだ。

「……なにか埋まっている……肉腫にしては形が整い過ぎている」


 色めき立つ。ロイが身を乗り出した。アキラもだ。産毛に沿って眼窩の骨をなぞっていくエイモスの指に、むしろつぶった彼女の右瞼がぴくぴくと反応する。


「骨に異常はないように思う。皮膚の下は普通の瞼よりずいぶんと厚いように感じる。確かになにかあるのだが、私の指には何も反応しない。まるで——」


 その時。続けるエイモスが。


「——スイッチの入ってない機械だな」


 ばッ! と。

 パメラが顔を引いたのだ。怯えたように。

 エイモスの姿勢も指もそのままで。


「先生?」


 ロイが訝しげに言う。医師の口元が笑っていたからだ。座ったパメラがロイの身体にしがみ付いてきた。彼女の右目はエイモスをぎっと睨んだままで。


 怯えた声で。


「指、冷たい。ロイ」

「なんだと? ——先生。私の声が聞こえてるか?」


 しかし。エイモスがゆっくりと姿勢を変えずに首だけ向けたのはアキラの方だ。そのただならぬ雰囲気に、アキラの額に脂汗が浮かぶ。医師の目つきは明らかに、あの優しげなエイモスではなく。上目に覗くように。


「ムストーニアはな、

「えっ?」


「医術も魔導に頼りっきりじゃあない。解剖の学問も他所よりはるかに進んでいるんだ。どうやらこの子の左瞼は、獣化の時におそらく再生して内部に脂肪が溜まってる。肉厚なのはそのせいだ。後天性で良性だから内膜があるはずだ、裏側から剥離すれば、新しい脂肪だけきれいに剥がれると思うぜ」


 間違いない。エイモスではない。

 刺激しないよう、慎重にアキラが訊ねる。


「……誰です? 帝都で先生に吸収された人ですか?」

「ふふ。話が早くていいな。俺は外科もやる。話、続けていいのか?」


 アキラがちらと見ればロイが頷いた。医師に向かって首を縦に振る。そこで初めてエイモスの指が翻ってアキラを指して。


「問題はな。この子の左目がまったく眠ったまんまで役目を思い出してないことだ。だから瞼も眼球も反応しない。スイッチが入ってねえんだ。俺にはわからない。そこを解決しないと、切開しても眼が見えるとは限らないぜ。きっと石を埋める手術に絡む症状だろうな」


「石を埋めるときの手術?」


「そうだ。眼球を引き抜いて、黒曜の魔石を埋め込むんだ。やり方は帝国の連中が知ってる。元々ムストーニアからガニオンに伝わった魔導師生成の手法さ。もそうだ」


 医師が左目の傷を指でぐいぐいと押し上げる、嬉しそうに。飛竜の顔がみるみる険しくなっていく。腰にしがみ付くパメラが震えはじめたからだ。


「この子の前で石の話をするな」


 ロイの怒気をあざとく感じ取ったのか、今度はエイモスがロイを斜めに見上げて。


「もう言わねえよ」

「そうしてもらおう、これ以上は許さん」

「竜は怖いな。だがな。それならエイモスには刃を持たせるなよ? 執刀させるな。させれば、俺が出てくるぜ?」


 睨み据えるロイが言うのだ。


「貴様みたいな得体の知れぬ男に。パメラの左目を任せるものか」

「えっ?」


 動揺したのはアキラだ。医師が歯を軋ませて笑った。


「だったら外科医を探すんだな。このあたりにはいねえぞ。ムストーニアか、ガニオンか。それくらいだなあ。それでも最近は治癒魔法を独占しちまった帝国で、果たして見つかるかなあ? 頑張ってみろよ。はっはっは——は。」


 笑顔が消えて。口の端が下がって。

 飛竜を指した手を上げたままのエイモスが、呆けたような顔で。


 その男は、どこかに消えてしまったのか?


「——どうしたんだロイさん? パメラ?」


 渋い顔で立つロイはいかなる反応をすればいいのかわからない。じいいっとエイモス医師を睨んだまま、パメラは未だに飛竜の腰にしがみついたままで。


 エイモスが首を傾げて、アキラの方を振り向いて。


「なにかあったのか?」

「い、いえ。その。えと」


 言い淀むアキラが見たのは。

 不思議そうな顔をする医師の向こうから。今度はじいっとアキラに送る二人の視線が離れない。


 睨むような。訴えるような。

 その意味を感づいたアキラに冷や汗が垂れる。

 ひょっとして。自分で自分を指差す。

 ロイとパメラが一緒にうんうんと頷いて。


=腹を括れアキラ=

(いやちょっと待ってっ! 俺がするの?)

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