第八話 障壁1万6千ジュール


 ——その少し前。猫とウサギは、帝国が到着してからの騒動を、森の陰からずっと観察していた。


「……ねえ。ねえ! 絶対まずいって! どうするの!」

 真っ白な耳を動かしながら、木の上に向かってウサギが話す。


「ダメ。まだ日没まで4時間あるじゃない」

「でもほら。魔導銃ブラスターの音じゃん。絶対なんかあったって! ねぇ!」


 要塞前の広場には四台のビークルがやって来ていた。

 すでに半数ほどの兵士が入れ替わりで魔導槽ダクトセルの補充をしているのが見えていた。残りの兵士たちが開いた門から中に乗り込んで行ったのち、すぐ。


 連続した銃撃の音が、森まで響いてきたのだ。


 外にいた兵士達も内部で始まった銃撃に反応して慌ただしく補給を済ませ、ビークルに乗り込んでダクトを着火させ、戦闘態勢に入っている。


 煮え切らない返事をする木の上に向かって、ウサギが右手を上に伸ばし、持っている双眼鏡でカンカンカンと幹を叩く。


「ミネアっ! 聞いてる? ぜえったい艦長だって、あんな騒ぎ起こすの!」


 束ねた薄青の髪から飛び出た長い耳をひょこひょこ動かし、大きな瞳を見開いて、木の上に声をかける。少し尖った鼻から頬にかけて、ふわっと真っ白な産毛が流れて首元が毛羽立っている。


 細身の体にシャツとジャケット、ごつい底厚のブーツ、太いベルトにぶら下がっているのは、まるで釘打銃ネイルガンのような、でかくて長い弾倉のついた短銃に見える。履いている丈の短いカーゴパンツは、何を詰め込んでいるのか、フロントのポケットがずいぶん膨らんでいた。


 そんな男勝りの格好だが尾骨のあたりに丸い毛玉が飛び出ているのは尻尾なのだろうか、その毛玉をぴこぴこ動かして、背伸びをして幹を叩く。


「あのヒト考えがないから! ねえ!」

 さらにカンカン叩く。


「ちょっと! リリィ音立てないでってば!」


 ミネアと呼ばれた樹上の猫が下を向く。短髪の栗毛をかき分けて飛び出た猫耳は、左を広場に向けたままだ。服装はほぼウサギと同じだが上着はジャケットでなくベストを着ている。

 際立っているのは、ウサギのリリィよりも幼さの残る目の上にぶわっと広がる少年のような濃い眉、そして焦茶の産毛に描かれた眉間から頬にかけての雉虎の模様である。


 枝の上でしゃがんだまま尻尾を揺らめかせ、折りたたみ式の双眼鏡をまた覗き直してウサギに言葉を返す。


契印シールが届いたら通信来るはずでしょ? まだ来ないんでしょ?」

「来ないけどさあ。でもさあ」


「だったらまだ届いてないんじゃ——なにあれ??」

「へ?」


 ミネアが双眼鏡を構え直す。銃声が少し止んだ後、倉庫から次々に帝国兵が倒れて。数人は転がって数人は地面を滑るように。ばらばらと投げ出されてきたのだ。


 待機していたビークルがホバリングして倉庫門に横付けし、中に向かって荷台の魔導砲ビーキャノンを構え、次の瞬間に内部にどおん! と光弾が打ち込まれた。


「え? なに? なにやってんのアイツら?」

「ほらあ! ほらあ! 艦長だって! ああっぶつかるっ!」

 ビークルの一台が体当たりで門を突き破って突入した。扉の鉄板を破る衝撃音が森まで届く。


 もうリリィは木の根元でぴょんぴょん跳ねて声をあげている。

「ほらあ! バトルですよ出番ですよ先輩好きでしょあーいうの!」

 上から落とした木の枝が、かんっ。と当たる。

「あいたっ」


 身軽にざあっとミネアが飛び降りた。


「ホントにちょっと、まずいみたいね」

「痛い。だからそう言ってるじゃないですかあ」


「どうしよう……騒ぎ大きくしたら辺境隊が動くかなあ」

「振り切ればいいじゃんっ。帝国なんてっ」


「無理。今のウォーダーじゃ国境まで逃げきれない……わかってるでしょ」


 ほんの僅か。彼女の口調に寂しさが籠る。その二の腕にリリィがぎゅっとしがみついてきた。


「ちょっ なにっ」

「なんとかなるからっ! 悪い風に考えない!」

 訴えるウサギから目を伏せて、猫がまた帝国に視線を戻す。


「どうかな……もうオンボロなんだよ、アイツも——」



 森に。


 轟音が唸る。熱風が吹き込んだ。

 急な空圧で周囲の樹々が軋む。



「わっ!!」思わずミネアが伏せる。

「びゃあっ! いたっ!」リリィが尻もちをついた。


 まさに倉庫へと突入していった帝国のビークルが。

 横倒しになって外に吹き飛ばされてきたのだ。

 搭乗していた兵士達が車外へ放り出される。


 待機していたもう一台のホバリングするビークルに空中で激突し、後方ダクトが火を吹いた。飛び出た車体は激突の衝撃で真ん中から折れて。空中を巨体が回転し、二台まとめて広場の地面に墜落して。


 瓦礫を舞い上げて。

 そして完全に動かなくなった。


 ミネアとリリィは、呆然として見ていた。


 まだ緩い熱が森を覆っている。帝国兵は互いの救助でわあわあと入り乱れているが、広場一面がもうもうと砂塵と黒煙に包まれて、影しか見えない。


 ありえない。さすがに尋常ではない。


 もともと静かに要塞を脱出して森を抜ける計画だったのだ。ここまでの騒ぎを起こすなど、猫もウサギも聞いていない。


「ウォーダー!! ケリー! ダニー! 聞こえる? 艦長が暴れてる! 援護して!」


 そう判断したミネアの行動は素早かった。首のヘッドセットに叫びながら踵を返して森の中に駆けた。慌ててリリィが追う。

「ちょ、ちょっと! ミネア!」




◆◇◆




 その爆発音と振動に驚いて、食堂の人間たちは一斉に身を伏せた。


 このホールには外を見渡す窓はない。ただただ回廊の向こうから聞こえる銃撃と、正門の吹き飛ぶ音、そして今の空振が不安を掻き立てる。


「オイ……オイ! オイ! どうなってんだ!」

「他の見張りはどこ行ったんだ!」

「所長を出せ! 所長を!」


 閉じた魔法の壁をガンガン叩きながら数人が詰め寄って叫ぶが、兵士もそれどころではない、まるで状況がわからないのだ。壁の向こうで慌てて耳当ての無線で連絡を取っている。


 入口の辺りで血の気の多そうな何人かが吠えているので、髭の囚人と医師は、やや食堂ホールの中央の辺りで待機していた。騒ぎに構わず男は顎を撫でて医師に問いかける。


「——26億ジュールってのは、なんかの間違いじゃないのか? 桁がデタラメだ」

「それは私も思ったが……というか、あの騒ぎが気にならないのか?」


「そんな爆縮があったんなら、帝国も砂漠を調べに動く。いきなり来たんで要塞の連中と衝突してるんだろう」


 大方は髭の男の読み通りなのだが。


「まずいな、私はここで調べられるわけにも、捕まるわけにもいかん」

「……意外とここの連中、抵抗が激しいようだなあ」


 その原因が異邦人の青年にあることまでは。当然二人は知らない。

 少し男が考えて。すっと。医師に顔を寄せた。


(隠れて時間までやり過ごすか、いっそ——隙をついて早めに動くか)

(……どっちにするんだ?)


「もう少し待つ」「え?」

「外にウチの連中が来てるはずだ。俺に〝動け〟ってんなら合図もあるだろう……鍵が届いてりゃあ通信もできるんだが」


 そう言って男が、左手の甲を撫でて苦笑するのだ。

「隠身ってのも厄介だなあ」




◆◇◆




 広場から立ち上る黒煙と炎の中で、帝国兵が混乱して声を上げている。

 その様をただ呆然と立ち尽くして見ていた要塞の兵隊達の中で、マインストンだけが、呟きを聞き取ったのである。


「……誰も、死んでないよね?」

「!……」


=生命反応の消失は、ない。奴らの外套コートには防御力がある。安心しろ=


 腕を伸ばしたまま前を睨んでいたアキラの表情が、その返答でほっと緩む。

 脂汗を流した所長は、目の前で自分の魔法を複写した青年の横顔に言葉をかけた。


「……トーノ君」


「あ! は、はい! えと、これはその」

 我に返ってアキラが慌てるが、痛みをこらえながらマインストンが続ける。


「え?」

「違和感の正体が、やっと、わかったよ」

 少し所長が笑って、話を続ける。


「体勢を、立て直さないといけない。トーノ君。何ができるか、訊いてくれないか」

「訊く、って——」


「君は魔法を、。君はきっと、そのはずだ——

 でも、?」


「っと、その、自分は……」


 見渡すと上位兵をはじめ周りの兵も、こちらを見ている。幾人かは立ち上がれずに床に座り込み、表情には驚愕と恐れと、しかしわずかな期待も現れていた。


「時間がない。トーノ君。」

 辛そうに息を切らしながら、所長がもう一度、言う。


=なんでもやるから命令しろ、と伝えてくれ=


 声が応えた。その答えにアキラも覚悟を決める。

「——なんでもやると、言ってます。何をすればいいですか?」

「そうか。ありがとう」


 所長の表情がほっと緩み、そして。

 気丈に目を上げてアキラに命令する。


「前方に偏光障壁グラスバインドウォールを展開する。対物理有効。対魔力有効だ。わかるかね?」

=問題ない=

「了解です!」


「味方全員の魔導銃ブラスター光彩鍵スケルトンコード付与エンチャント。コード『藍宝ターコイス』。」

=了解=

「了解です!」


「障壁の硬度は——」

 額に脂汗を浮かべながら、マインストンが考える。


(連中の車輌ビークルはまだ残っている、魔導砲ビーキャノンの威力を相殺したまま応戦するには、弾の出力は5か6、硬度調整キュアリングは造れても5000が限度、それだと保って20分だろうか——)


=銃は出力最大で構わない。硬度調整キュアリングを16397.26で構築ビルドする。=


「出力最大で16397.26ですか?」


 アキラが復唱した。マインストンの目が見開かれる。

 強面の上位兵が、少し慌てて横から話す。


「それは硬度調整キュアリングの数字か? そんな巨大値を機器もなしに小数点レベルまで調整するのは無理じゃないか?」


「……トーノ君。1万ジュールオーバーだぞ?」

「できます」

 アキラが即答した。上位兵達は固まってしまう。


=こいつめ、やるのは私だぞ=

「できなきゃ、言わないよね」

 またアキラが声に呟いて返す。


「く……くっくっ……あ痛たた」


 所長が思わず声を出して笑ってしまい、胸を押さえて痛がったので、固まっていた上位兵二人が、はっと我に返る。

 所長の側に屈んで、また強面の方が小声で話す。


「大丈夫ですか所長——ヴァルカンを出しますか?」

「ダメだ。帝国には、見せられん。ここで追い払うんだ」


「しかし、この青年は魔導師です。一般人ならまだ現場の小競り合いで話がつきますが、魔導師となると帝都に追われる身になるでしょう」

「連行されたら、どうなると思う?」

「あれだけの力です——石を埋め込まれるのでは……」


 また脂汗が流れる。痛みに堪えて、マインストンが言い切った。


「彼は、我々を守るために、正体を明かした。——絶対に逃すんだ。帝都に渡すな。これ以上『宝玉憑オブシディアン』を増やすわけには、いかん」

「分かりました」


 上位兵が答えて立ち上がり、アキラに振り向いて言った。

「どのくらい、かかりそうかね?」


 アキラが頷いて、声に聞く。


(どうすればいい?)

=右手を天井に向けて広げろ。腕は真っ直ぐに=


 言われてアキラが右手を上げた。


=振り下ろせ!=


 それがどういうことか、アキラにはわからない。しかし。彼が腕を振り下ろした瞬間に。広い格納庫の中空に。


 横一直線に光の帯が出現し、そこから天地に向かって強烈な勢いで透明な壁が上下に地響きを上げて、前後の空間を遮断した。


 同時に。兵士たちの銃が一斉に、青緑の輝きを発して唸る。


「うおッ……!」


 誰ともなく、驚愕した兵士たちが声をあげた。

 出現した壁は、異様に分厚い。ひと一人が内部に収まるほどの厚みを持った透明な障壁が空間を二つに分断して、表面にはばちばちと火花が上がっている。


=全て完了=


「で、できました……」

 腕を下ろしたアキラが、振り向いて恐るおそる声を出す。上位兵たちは呆然として声が出ない。


「……これは、どうあっても渡せんな……」

 横たわるマインストンが苦笑いした。



=大ごとになってしまったな、案の定=

(でもどうしよう? このままじゃ済まなくない?)


=応援が来るだろうな。私たちも、もうここには居られない=

(車を借りて逃げるとか。無理かな)


=国境まで三日と言っていたぞ、帝国兵とカーチェイスでもするか?=

(うーん、あの車は興味あるけど、三日は嫌だなあ) 


=まあ、脱出のアテがなくはない=

(これ?) 

 アキラが左手の甲を指す。例の魔法陣である。


=正解だ。やはり何か我々とは違う動きがあるようだ=

(あの片目の先生、猫とウサギも知ってたし。何か外と繋がりあるんじゃないかな)

 そう声に答えてアキラが周囲を見渡す。


=先ほど、それっぽい通信も傍受した。艦長というのが、紛れ込んでいるらしいな=

(艦長って、船の艦長? ここに?)




◆◇◆




「1班報告! 負傷6重傷2! 8名離脱! 2名無事です!」

「3班報告! 全員無事です!」

「4班報告! 全員無事です!」


「2班報告ゥ! 重傷7! 介助3! 全員離脱ゥ!」

 2班の一人が、負傷者を介助しながら離れた煙の向こうで叫ぶ。


?」


「緊急ありません!」

「——残22名か。どうする、おい? あの男も魔導師だぞ?」


 運転手の兵士が隊長に訊く。


 どうやら彼が副隊長格のようで、隣でぜえぜえと息の荒れている隊長に代わって小隊の点呼を取っているところであった。隊長だけでなく、どの兵士も焼けた外套からぐすぐすと焦げた臭いが漂っている。


「……ありゃあ、何だ? 外套がなけりゃ危なかったぞ、ちきしょう……特殊級アンコモンを日に二回くらうなんざ初めてだぜ……」


「二回で済むかな、応援を呼ぶか?」

「馬鹿言うんじゃねェ、それだと手柄も本部の総取りじゃねえか。車二台、潰してんだぞ。あいつさえ捕まえりゃ、それも帳消しだ。違うか?」


 顔の左半分には大きな火傷ができているが、兜からぱりぱりと光が熱傷部を覆っているのは、何らかの鎮痛効果があるらしい。物ともせずに隊長が吠える。


「いいかァお前ら! 獲物は魔導師だ! だが一人だ! 一人だけだ!」

 隊長が檄を吐く。


「あいつを仕留めて辺境抜けだ! 帝都入りだ! 気張れェ!」

 おう! おう! おう! と兵士が応えた。


 焦げた顔で隊長が笑った。

「へっへっ……これが正念場ってやつだぜェ」


 この装備で戦うのは嫌って言ってたのはお前だろ、と運転手の兵士が思う。

 言うのも野暮なので声には出さない。出さないが。


 運命は、読み間違うと恐ろしい。

 嫌な予感が頭から離れない。


(ホントに正念場か? ホントに魔導師だけ、なんだろうな……)



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