第4話

 ところがそのとき、

「おい!」と声をかけるものがいました。

 ふりむくとそこにはだれもいません。

「そら耳かしら?」とつぶやくと、

「ここだよ」と

 えらそうに自分をゆびさすものがありました。それはトキの影法師でした。

 コールタールでかいた絵のような影法師は、せわしい身ぶりでへらず口をたたきます。その黒ん坊のいうことには、トキはじつにわがままな子どもである。わしがついていなければ、すくなくとも天罰を十回はうけただろう。きみが生きているのは、わしのおかげだというのです。

 自分の影とはいえなんて生意気なヤツでしょう。しゃがみこんで影法師のおでこを人さし指でつつきました。するとあらふしぎ、トキのおでこがコンコンとつつかれたのです。おどろいてしりもちをつくと、

「ばかだなあ。わしはきみの影法師だよ。

 わしをつつけば、きみがいたい思いをするのさ」

「そんなの卑怯よ。

 あなたをつつけばわたしがいたいだなんて!」

 トキはくやしがって影法師をぎゃふんといわせる方法をかんがえました。あいつをつつくとわたしがつつかれる、ならば・・そうです。トキはいたみをがまんしてじぶんの頭をコツンとたたきました。するとぜんぜんいたみは感じないのに、

「いたたたた!」と影のヤツが苦しがりました。

 こいつは愉快です。影がたたかれるとわたしがいたい。わたしがたたかれると影がいたい。ということは、心にもこのような具合のつごうのよい(わるい)仕組みがあるのかもしれません。わたしの知らないあやまちで影が苦しみ、影の知らないあやまちでわたしが苦しむ。でも、まてよ。影の知しらないあやまちでわたしが苦しむ?

「わかったわ。

 やっぱりあのお月さまね」

 森には、アークライトのようにこうこうと三角形のお月さまが照っていました。

「あの月をたいじしなければ、わたしはこのままずっとふつうにはもどれない」

 そこでトキは影法師にたずねました。

「ね。あなたは、ほんとうのお月さまのいどころを知っているでしょう?

 知っているならおねがい。教えてよ。」

 影法師がシュンとして、

「悲しいことをきいてくれるね。」とボヤくので、

「どうしたの?」とたずねると、

「にぶいヤツだなあ。わしは三角月夜の影法師だよ。

 三角月がきえたなら、きみとは永久にあえなくなってしまう」とこたえました。

 なるほど。そういわれるとトキもみょうに胸がしめつけられました。わかれはいつでもつらいものです。それが自分の影法師ともなればなおさらのことでしょう。でも、背に腹はかえられません。

「わたしの影法師。よくきいてちょうだい。

 あなたのいたみはわたしのいたみ。わたしはあなたのことを決してわすれないわ。わたしもさびしいの。

 でも、わたしのいたみはあなたのいたみなのだから、あなたはわたしにほんとうのお月さまのありかをおしえてくれなければならないわ」

 影法師はトキの理屈にうなずいて、はじめてやさしくほほえみました。そこには、うっすらとおさないころの自分のすがたがうつったのです。

 ところが、影法師はさっと身をひるがえすと、

「わしゃ、さびしくなんかないわい」といって一ぴきの黒ねこにすがたをかえました。ねこはぷいっとつむじを曲げたようにだまって森のなかへとかけていきました。

「影法師が猫だとすると、

 わたしはもしかして猫なのかしら?」

 そんな疑問もつかのまでした。トキの影はきえていたのです。そのせいでしょう。からだが綿のようにフワフワとしておちつきません。

「ちょっとまってよお!」

 トキは猫を、いや影をおいかけました。影は森のまんなかの細道をどんどんはしっていきます。ところがその道ときたら、鹿でも足をおりそうな岩だらけの道なのです。トキのからだが羽のようにかるくなっていなかったなら、ころげて死んでしまったかもしれません。

 でも、影をなくした人間なんてまるで幽霊じゃありませんか。トキは青ざめました。

「もしかするとわたしは、

死んでいるのかもしれない!」

 そう思うとなんだかこわくなって、もときた道をひきかえそうとしました。ところがどうしたことでしょう。ふりむくと、シーソーのようにガクンとそちらが下りになります。ふりむくたびに上りが下りになってしまうのです。斜面はしだいにするどくなり、靴はぬげ、どうにもとまらなくなりました。からだがふるえ、手足がバラバラにちぎれてしまいそうでした。このまま地のそこへ落ちてしまうのでしょうか。トキは目をとじて運を天にまかせるしかありませんでした。

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