探偵志願
冷門 風之助
その1
俺はすっかり弱っていた。
考えてもみたまえ。ゆっくりと朝風呂に浸かり、前夜の二日酔いを追い出してようやく事務所に降りた時、いきなり現れた人物に、
『弟子にして下さい!』なんて言われたらどう思う?
もっともその人物がすこぶるつきの美女だったとすれば、
(秘書の一人くらいは置いてもいいか)と、流石の俺でもかすかには考える。
だが現実問題として、その日暮らしの文無しの中年私立探偵じゃ、それも無理なのだが・・・・
ま、それはともかく・・・・現れたのが今年高校を卒業したばかりの坊やときては話にならない。
彼は最初土下座をし、事務所の床に額を擦り付けんばかりにして、何度も俺に頭を下げた。
俺が『よしてくれ』といい、ソファに坐ることを勧めると、今度はそこに腰掛け、両手をテーブルの上に置いて、只管頭を下げ続ける。
『俺は弟子もいらん。助手もいらん。一人が好きなんだ』
『弟子にしてください!』
『駄目だ!』
『弟子にして下さい!』
『ノー!』
この繰り返しだ。
お陰でようやく追い出したと思った酒が、また俺の頭を刺激し始めた。
俺はため息をつき、流しに立ってコーヒーを淹れてくると、デスクに置いた。
これで少しは頭痛もなだめられるだろう。
『探偵になりたければ、まずどこか怪しげでない探偵学校にでも行くか、或いは大手の探偵社に就職するんだな。幾ら何でも順番が違い過ぎる』俺は素っ気なく答え、淹れたてのコーヒーを啜った。
『いえ、僕はそんな回りくどいやり方でなしに、本物の探偵になりたいんです。だからここへ来たんです』
彼は傍らに置いたバッグからファイルケースを取り出し、一枚の履歴書を取り出し、俺のデスクの上に置いた。おそらく三分間写真で写したのだろう。
真面目腐った顔をしたものが一枚貼り付けてあり、後は今時の子供にしては珍しく、几帳面な印刷したような字で、学歴、経歴、そして資格などが細かく書き記してあった。
ありきたりのどこにでもある。格別珍しくもない経歴だ。
小学校も中学校も、そして高校も全部都立。
スポーツは小学校の頃から柔道を始め、現在は弐段。
他に合気道と空手をやり、どちらも初段だという。
運転免許は普通自動車(AT限定)と、中型自動二輪を取得したばかり。
趣味はといえば小説を読むことくらいだという。
『何で探偵になろうと思ったんだね?』
俺は履歴書をデスクの上に置き、コーヒーを飲み干すと醒めた口調で訊ねた。
『好きだからです!憧れているからです!それ以外ありません!』彼は拳にした両手でテーブルを叩き、聞きもしないのに『探偵』に対する熱い思いを滔々と語った。
『憧れでは飯は食えん。夢や理想だけでは仕事は勤まらん。』
俺はコーヒーを飲み干した後、ポケットから取り出して咥えたシナモンスティックをぼりぼり音を立てて噛んだ。
『じゃ、なんで乾先生は探偵になったんです?』
『「センセイと 呼ばれるほどのバカでなし」って格言くらい聞いたことがあるだろう?背筋がぞっとする・・・・繰り返すが俺は一人が好きなんだ。恥をかくのも一人、痛い目に遭うのも一人。だからやってるんだ』
『そういう生き方にこそ、僕は憧れているんです!』
せっかくコーヒーで治めた筈の頭痛が、またしてもぶり返してきた。
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