第八幕 復讐

八幕一


 蓮の母である珀桜皇太后は、元は下級貴族出身の娘であった。

 皇家入りする前は「桜子さくらこ」という名で呼ばれていた彼女は、皇宮のとある催しに参加した折に、先皇、澄花楽善夢蕨すみはならくぜんむけつに見初められ、寵姫にと望まれたのである。

 その後、夢蕨むけつ皇の子を産み、国母となった桜子については、女性版の立身出世物語として語られることも多い。しかし羨望を集める者の周辺にはありがちなのか、悪意をもって囁かれる噂も、また、あったのである。

 曰く、「珀桜の産んだ子は、夢蕨皇の血を引いていない」――。

 最初は流言飛語の類と一笑に付されていたそれは、だが蓮皇子が成長していくにつれて、まことしやかに語られるようになった。なぜなら皇子は、父である夢蕨皇に、ほんの僅かも似ていなかったからだ。

 蓮は長身痩躯で、切れ長の涼し気な目が特徴的な美少年である。

 しかし夢蕨皇ときたら、まず背は低い。顔といえば、重たそうな瞼が小さな垂れ目を今にも塞いでしまいそうだったし、鼻も低く、口元はだらしなく常に緩んでいる。ついでに言えば、長年の不摂生の産物である脂肪をでっぷり蓄えた、肥えた体の持ち主であった。この皇を見て、「美形」との感想は到底出てこないし、むしろそんなことを口にしたならば、とんでもない嫌味を申し述べたとして、罪に問われるのではないか。

 それくらい、似ても似つかぬ容姿をしている皇親子を前にして、多くの者が皇后、珀桜の不実を疑ったのである。実際彼女には、寵姫となる前に、相思相愛だった婚約者がいたという過去があった。その事実が、人々の疑念を補強してしまったのだ。

 だが蓮が生まれたのは、くだんの婚約者が急死してから、二年後のことである。後に他の男をたらしこんだという可能性も、珀桜の性格からいって考えづらい。

 珀桜はとかく臆病で、それ故にしたたかなのだ。残忍な夢蕨皇の怒りを買って粛清されるよりも、彼に気に入られようと媚びるだろう。そうしておいてから、裏では傍若無人の夫に虐げられる不幸を嘆き、周りの同情を買うのだ。――自分の生きる場所を、少しでも居心地良くするために。

 母のそんな性格をよく知っている蓮は、だから己の出生について、疑問を持つことはなかった。自分は夢蕨皇の子供だと、微塵も疑わず、生きてきたのである。


 ――蓮が真実を知ったのは、雪樹を後宮へ閉じ込める、その直前のことであった。


 その日蓮は、これまでに描いた書画や、稽古を続けていた楽器などを腕に抱き、宮殿の一階にある図書室に足を向けていた。

 図書室には地下にも部屋があって、過去の皇たちの私物が収められている。手元に置いてあると未練ばかり残るから、蓮は思い切って趣味の品々を、ここへ仕舞うことにしたのだ。

 石畳の床に荷物を置いて、蓮は辺りを見回した。カビ臭い空気が充満している薄暗いそこでは、開けっ放しにした扉から入ってくるわずかな光を受けて、いくつかの棚がぼんやりと浮かび上がって見える。

 滅多に来ない場所だから好奇心が疼いたらしく、蓮は丁度目の前にあった古ぼけた棚に、なんとなく腕を伸ばした。

 ――運命とは、そのようなものなのか。

 蓮が偶然手に取った書物は、彼の父、夢蕨皇が書き残した日記だったのである。









 空が夕暮れに染まり始め、鳥たちもねぐらへと帰っていく。

 いつもならば、そろそろ松明に火を入れる頃合いだろう薄暗闇の中、人々は時折吹きつける季節外れの冷たい風に、首を縮めた。しかし誰一人、声を発することなく、目の前のやりとりを凝視している。

 人垣の中には雪樹の姿もあったが、突然突きつけられた真実によほど衝撃を受けたのか、彼女もまた凍りついたように、立ち尽くしている。

 音といえば、退屈した馬の鼻息と、イライラと蹄で大地を蹴るそれだけしか聞こえない。

 唯一、皇に発言を許された羽村 芭蕉は、しかし、馬上にて沈黙していた。


「父上の日記には、珀桜……母上との間にできた跡取り息子を、下賎の子とすり替えられた、とあった。そしてそのような狼藉を働いたのは、羽村 芭蕉だと。兄を殺された仕返しのつもりだろう、ともな。父上は自分のやったことなどお忘れになったように、お前のことを、女々しく執念深い男だと書いていた」


 くだらない冗談を笑うように、蓮は唇を歪めた。

 愚かな先皇には少しも似ていない、知性と雄々しさが滲む顔つき。良い男だと、芭蕉は蓮のことを、素直にそう思う。こういう面構えをした男は、どの道に進んでも大成するものだ。

 もう呪いは解けている。蓮は二度と騙されない、騙せない。ごまかしも効かない。


「下賎の者、馬の骨などと、そんな表現はふさわしくない。あなたにだって、真祖霧椿皇の血は流れている」


 重い口を開いた芭蕉の、その弁に取り繕う様子がないのを確認した蓮は、油断なく馬上を見据えながら尋ねた。


「俺を、どこから連れてきた?」

「あなたから数えて、五代前の礼柊皇れいしゅうこう、その妹君が嫁した家が、現在も残っております。そこから、あなたをお譲りいただきました」


 蓮の顔からは微笑が消え、複雑な思いがそのまま表れていた。諦観や、自らのルーツを知ったことによる安堵や……。意外なことに、怒りや興奮といった、荒ぶった感情は全く見えなかった。代わりに、濃い疲労の色が浮かんでいる。


「父上は日記に、お前が復讐のために、本当の皇子と俺をすり替えたのだと書いていたが」

「いいえ……。誓って申しますが、そのようなことは、決してございません」


 手綱を握り締めて、芭蕉は目を閉じた。

 夢蕨皇は、どこまでも卑怯な男だ。しかし芭蕉も同じ男として、本当のことを記せない先皇の気持ちも、分からないではなかった。



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