四幕二





 宮殿の一階、北の隅には、図書室があった。所蔵されている本の数は、一万冊ほど。学門所等が管理する図書館に比べれば数は少ないが、しかし建国当初に記された国宝級の書物なども、ここには保管されている。

 図書室には、誰もいなかった。性別を偽って蓮の元へ通っていたときに、雪樹もここには何度か入らせてもらったことがあるが、そういえばいつも人の気配はなかった。ここが人気がないのは、蔵書のラインナップに問題があるからではないか?と、雪樹は密かに思っている。


「それで、お前は何が不満なんだ」


 抱え運んできた雪樹をその辺へ放り出し、蓮は尋ねた。


「だから! こんなものを送りつけられても、迷惑なんです!」


 雪樹が葛籠を前へ突き出すと、たっぷりと詰まった中身がガシャガシャと重たい音を立てた。


「いらないなら、捨ててしまえばいいだろう」

「そんな、勿体ない……!」

「なら、使えばいい」

「だーかーらあああ! いくらご好意だとしても、多過ぎるんです! この間もいただいたばかりなのに……」


 雪樹はそっと片手を上げると、頭につけた可愛らしい花の形の髪飾りに触れた。


「お前が好きそうなものを選んで、渡したんだがな。とりあえず、全部つけておけばいいじゃないか」


 蓮から贈られた品は、髪飾りから耳飾り、ペンダントにブローチ、腕輪に指輪、アンクレットまである。そんなもので、上から下まで飾り立てた日には……。


「とんでもなく悪趣味な成金にしか見えません!」


 じゃらじゃらと全身に宝石を纏う自分を想像して、雪樹は思わず叫んだ。蓮はピンと来ないのか、首を傾げている。

 自分だって質素な格好が好きで、アクセサリーなんて一切つけないし、それどころか服だって地味なものしか着ないくせに。どうして分かってくれないのかと、雪樹は蓮を恨めしく思った。


「ともかく、お返しします!」


 有無を言わさず押しつけると、蓮は渋々といった風に葛籠を受け取った。

 それにしても男とは、そんなにも女を飾りたいものなのだろうかと、雪樹は疑問に思った。

 昔、雪樹には、男性からの貢物の多さを自慢していた友人がいた。その友人が言うには、「男は女が自分の贈り物を使っているのを見て、征服欲を満たすのよ」とのことだったが……。蓮が、そういった愚かな男たちと同じような俗物だったとは、意外でもあり、がっかりでもある。

 蓮は突き返された葛籠を机に置いて、ぶつぶつと文句を言った。


「昔話にあったな。大きな葛籠と小さな葛籠、しかし実は大きなほうには化け物が、小さなほうには財宝が詰まっている。正直者の爺さんは遠慮して小さな葛籠を受け取り、めでたしめでたしだったわけだが……。お前は小さな葛籠すら受け取らない」

「それならいっそ、大きな葛籠が欲しいですよ。宝石なんかより、お化けのほうが楽しそう」

「…………………」


 蓮は黙ってしまった。呆れられてしまっただろうか。

 しかし贈り物なんて、下手に受け取ってしまったら、蓮にされた数々のひどいことを、許したようではないか。


 ――絶対に許さないんだから。


 そうは思うが、しかし彼のことを憎みきれないのも事実だ。蓮のことを心底嫌いになっていれば、軽口なんて叩けないし、同じ部屋で同じ空気を吸うことすら、拒否したくなるはずだろう。


 図書室の窓の外には、本が傷まないよう、簾(すだれ)が下げられている。その隙間から入り込む、か細い陽光が照らす蓮は、知らない誰かのように見えた。


 ――男の人、だ。


 蓮はいつも、雪樹にいやらしいことをする。それなのに、優しい。強引だが、甘い。

 怖いようで、もっと側にいたいような……。


 ――ううん、これはきっと何かの間違いだ。


 本棚の前に立つ蓮の大きな背中につい見惚れてしまって、雪樹は自身を叱咤した。

 そう、錯覚なのだ。皇宮で彼女とまともに話してくれるのは、医師の清田 真百合と、蓮だけだ。そんな孤独な環境が、雪樹に蓮の行いを許容させようとしている。憎み続けるより、許してしまったほうが楽だから。

 確かこういう心理状態には、名前がついていたはずだ。すとっくほるむ……なんとか。


 ――なんていったっけ……?


 せっかく本に囲まれているのだ。詳しく調べてやろうと、雪樹は周囲の棚にみっちりと収められている本の背表紙を、目で追い始めた。


「ここは普段、開放されているのですか? 私が通っても構いませんか?」

「確か夜には鍵がかけられるはずだが、日のあるうちは自由に出入りできるぞ。暇なら、いつでも来ればいい」

「ありがとうございます。そうさせていただきます」


 たくさんの本をぐるりと見渡して、雪樹は目を輝かせた。

 入所予定だった霧椿西方高等学問所も、もう既に新学期が始まっているはずだ。いつから通えるようになるか分からないが、授業にすぐ追いつけるように自習しておきたい。


 ――そうだ、絶対に諦めない。


 雪樹は改めて決意した。

 宮殿内のほとんどの施設は畳張りだったが、図書室だけは例外で、床には木の板がはめられている。書物の詰まった棚と、閲覧用の机や椅子を受け止めたそこは、歩くたびギシギシと音を立てた。


「お前は昔から本が好きだったな」


 本棚から数冊を引き抜くと、蓮は近くの椅子を引き、座った。彼が選んだ本は、タイトルを見るに、どうやら異国について書かれたもののようだ。


「私に本を読む楽しさを教えてくださったのは、蓮様ですよ」


 雪樹も犯罪心理学だとかそういった物騒な本を探すのはやめて、だいぶ前にベストセラーとなった随筆集を持って、蓮の前に座った。

 この図書室は古典には強いが、流行には疎い。だから囚われの身になる前の雪樹は、蓮のために、売り出されたばかりの本をせっせと運んでやったものだ。


「お前とは、本の趣味が全く合わなかったな」

「というか、蓮様のストライクゾーンが広過ぎなんですよ……」


 幼い頃、文字を覚えたての蓮は、兄貴風を吹かせて、よく雪樹に本を読み聞かせたものだ。蓮が好んだのは子供らしいお伽話だったり、男の子らしい軍記物だったり。そして成長するにつれ、彼の読書の幅は、恐ろしいほどの広がりを見せ……現在は男女の性愛を赤裸々に描く、いわゆる官能小説にうつつを抜かしているようである。

 

 ――そういえば……。

 

 雪樹は図書室の隅にある扉に、ちらりと目をやった。


「蓮様。あそこの扉は、どこへ通じているのですか?」

「ん? ああ、地下室だ」

「地下室!」


 色めき立つ雪樹を見て、蓮は不思議そうな顔をした。


「あの扉は、皇族以外は入れないよう、施錠されているが……。お前、入りたいのか?」

「蓮様。あなたはあそこに、いやらしい本を隠していらっしゃるのではありませんか?」


 雪樹は舌鋒鋭く詰問した。が、蓮はあっさり口を割る。


「あそこには代々の皇の、私的な文書が保管されているだけだが。なんだ、お前、読みたいのか? エロ本」


 そう言うと、蓮は近くの棚からおもむろに大きな本を取り出し、広げた。そこには一糸まとわぬ男女が、淫らにまぐわう図が……。


「はっ、破廉恥です!!!!」


 雪樹は慌てて後ろを向いた。


「お前が言い出したことじゃないか。しかし、見ろ、この格好。これはもう組み体操だな。快楽と苦痛は紙一重とは、よく言ったものだ」


 蓮は平然とページをめくり、そこに描かれている男女の営みをじっくりと堪能している。


「ああ、そうだ。この間、異国から取り寄せた小説もなかなか良かったぞ。糞尿を飲食し、性的興奮を得る男の話なんだが、その辺りの心理がこと細かく書かれていてな。実に興味深かった。あっちの棚に置いてあるから、読んでいいぞ」

「読みません! 蓮様のお話を聞いているだけで、気持ちが悪くなってきました……。そういう危険物は、きちんと隠しておいてください!」


 雪樹は口を押さえながら、半ば懇願した。それにしても、世の中には様々な性癖があるものだ……。

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