三幕三(完)
その夜も、やはり閨に呼び出された。昼間のあれこれがあったから、雪樹はムスッと不機嫌に皇を待った。
雪樹の頭上では、例の髪飾りが光っている。侍女に無理矢理飾られてしまったのだ。
やがてやって来た蓮は、むくれている雪樹を一目見て、呆れたようにつぶやいた。
「随分殊勝な礼状をよこしたと思ったが……。やはり気に入らなかったのか」
蓮は頭をかきながら、畳に腰を下ろした。
「いえ、そういうわけでは……。でも、こんな高価なものをいただく理由がありません」
雪樹が訴えるたびに揺れる髪飾りに、蓮は満足そうな表情をして、手を伸ばした。
「あまり深く考えるな。似合っているからいいじゃないか」
その答えに、雪樹は目を伏せた。
「……蓮様は私が女だと知ってから、変わられました。元から性格はあまりよろしくありませんでしたが、人の嫌がることはなさらなかったし、わがままで癇癪持ちではあったけれど、人の気持ちを分かろうと努めていらっしゃったのに」
微妙に悪口が盛り込まれた指摘に、蓮はまなじりを吊り上げた。
「――おい、ケンカを売っているのか。ごちゃごちゃとうるさい女だな。贈り物など、はいはいと適当に受け取っておけばいいだろう」
「だって……! あなたはこんなもので女を飾り立てて、喜んでいるような人ではなかったでしょう!」
雪樹が吠えると、蓮は射抜くような目で彼女を睨んだ。
「――お前が、俺の何を知っている?」
「え……」
非難のこもった低い声でそう問われて、雪樹は固まった。責めているのは自分のはずなのに、なぜ責められているのだろう。
「お前が俺のことを本当に理解していたのならば、俺を置いて西国へ行くなどと、とても言えなかったはずだ!」
怒鳴られて、氷に触れたように身をすくませた雪樹を見て、蓮は彼女から目を逸らした。
「――なんでもない。今のは忘れろ。情けないことを、言った……。ほら、来い」
そして雪樹の手を掴むと、交合の間と化した隣室へ連れて行こうとする。雪樹もハッと我に返った。
「ま、待って……! 待ってください! 今日は本当に! 本当にダメです!」
昼間受けた講義の内容が、頭の中をぐるぐると回る。抵抗されるのは毎度のことだが、いつもとは若干異なる反応を返されて、蓮は雪樹を引く手を緩めた。
「そういえばお前、真百合婆と話をしているのか?」
「えっ、ええ」
今まさにあの老医師のことを考えていたので、雪樹は驚いた。しかし蓮は得心がいった様子で、雪樹から離れた。
「なら、仕方ない。何もしないから、とりあえず来い」
隣の部屋へ向かうと、さっさと横になって、蓮は布団をめくりながら言った。
「えー……」
散々したい放題されたから、「何もしない」という彼の言葉が信じられない。しかし睨まれたので、雪樹は仕方なく、蓮の隣に寝転んだ。
「あの、お部屋に戻られたほうがよろしいのでは?」
いつもすることをすると、蓮はさっさと自室へ帰ってしまう。なんでも蓮は毎朝五時には起きて、勤めを始めているそうだ。最近は雪樹を構い過ぎて就寝時間が遅いようだが、本来は早寝早起きの人なのである。
「別にいたっていいだろう」
蓮はうつ伏せになってわずかに体を起こし、枕元の行灯の火に、ふうっと息をかけた。辺りが暗くなってから、隣で体を固くしている少女を引き寄せる。男の広い胸の中にすっぽりと収まって、雪樹は戸惑った。
思えば、いつも意識を失う寸前まで攻め立てられて、ふと気づけば、蓮は姿を消している。こうしてただ側にいて、共に時を過ごすのは久しぶりだ。妙に緊張する。
蓮からは焚き染めた香の香りがした。落ち着く匂いだ。目を閉じてまどろんでいると、伸びてきた手が脇腹を摘んだ。
「!」
「ふん。少しは痩せたかと思ったが、その気配はないな」
「人を肥満のように言わないでください! 一応、いちおう、これでも痩せているほうなんです!」
「ふーん」
蓮はますます強く、雪樹を抱き締めた。
「やわらかいな……」
対して蓮の体は締まっていて、大きい。彼のたくましい腕が金属でできた鎖のように絡みついてくるが、雪樹は出て行きたいとは思わなかった。
――これは困る。憎む気持ちが萎えてしまうではないか。
眠くなってきたのか、蓮の腕が段々緩んできた。不安になって、つい雪樹から抱き締め返す。うつらうつらしながら、蓮は尋ねた。
「何か……困ったことはないか。家に帰せとか、そういった希望は聞けないが、それ以外なら……」
「……部屋にいるのに飽きました。もういい加減、外を歩かせてください」
「分かった。明日にでも、皇宮内なら自由に……」
雪樹の頭の上で、くすっと笑い声がした。
「なんですかっ!」
からかわれているのかと思って、つい尖った声を出すが、蓮は意に介さず笑っている。
「いや、こうやって誰かと眠るのは、初めてだが……。悪くないな」
「…………………」
蓮は生まれ落ちた瞬間に、母親と引き離されたそうだ。素行があまりに悪かった先皇を見て、その子には、もっとマシな皇になってもらおうとしてのことらしい。
蓮はその後、一流の教育者たちの手によって、育てられた。
母親とは会えないわけではなかったそうだが、日常を別に過ごしていれば、親子としての情は希薄になるものなのかもしれない。昼間会った珀桜皇太后のことを、雪樹はあまり良く思っていないが、そういった背景を思えば、皇太后が蓮の母親というよりは一人の女性として生きているのも、仕方のないことかもしれなかった。
それよりも、息子である蓮のほうが心配になる。寂しくはなかったろうか……?
どう尋ねたら失礼にならないか考えているうちに、蓮は寝息を立て始めた。
規則正しい呼吸を繰り返す彼を見上げながら、雪樹は、昼間講義に入る前に、真百合が語ったことを思い出した。
『雪樹さん。これからあんたに色々教えるのは、その理由は、あんたのためを思ってのことじゃないの。申し訳ないが、蓮坊のためなのよ。
蓮坊とは、あの子が赤子の頃からのつき合いでね。あたしはあの子が本当の孫のように思えてならないの。恐れ多いことだけどね。幸せになって欲しいと思っているよ。
だから、あの子の后には、あの子の人生に寄り添ってくれる女性に、なって欲しいの。あんたはとても賢くて、いい子だと思うけど、あんたには他にやりたいことがあるんでしょう? だから、蓮の相手は無理だ。
――責めているんじゃないの。人には皆、望んだとおりの人生を送る権利があるからね』
「誰かの人生に寄り添う」。
十六の娘には、人生という言葉の重みが、うまく理解できない。だが、大切で大好きだった幼なじみの蓮が、実は深い孤独を抱えていることは、ここにいる一月の間、なんとなく分かってきた。
自分勝手に好き放題やっていたと思っていたのに、本当は国のために忙しく働いていることも。
――彼に自由なんて、ないということも。
確かに、誰かが蓮を支えてやる必要があるのだろう。真百合の言いたいことは、よく分かる。
でもそれを自分ができるとは思えない。自分にはやりたいことが……。
――本当に、あるの?
高等学問所へ進学し、勉強したい。その先のことはあとで考えようと思っていたくらい、雪樹の望む未来は漠然としていた。
――だったらそれを、蓮様に捧げてもいいんじゃないの?
いや、それは悔しい。人のことを突然襲っておいて、謝罪もなく、冷たい侍女たちばかりの後宮に閉じ込めておいて。そんな相手に、自分の一生を犠牲にしてまで仕えるなんて、腹立たしいではないか。
――でも、私がここを去れば、こうやって蓮様に抱かれて眠るのは、違う女になるのか……。
そう思うと、なぜか胸がキリキリと痛む。この感情はなんだろう。その正体は、きっと知ってはいけないものだ。
ひどく汚い、何か……。
雪樹はそれ以上考えることをやめて、頭の中を真っ白にするよう努めた。やがて訪れた眠気に抗わず、雪樹は瞼を閉じた。
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