第7話 11月12日『新しい皮膚、新しい自分』(いい皮膚の日)

 俺には、新しい皮膚がある。


 自分の全身を覆っていて切り離せないものだ。


 朝起きて、制服を着て、イヤフォンをはめてロックンロールを聴く。ぴたっと音楽が体に張り付く。こいつのおかげで何が起こってもノーダメージで、毎日を過ごすことができる。


 雷に打たれたことはないけど、ロックンロールに打たれた衝撃ならわかる。それは、生きることを俺に教えてくれた。いじめられっ子で周囲の顔色ばかりを気にしていた俺に、強く生きていくとは何かを教えてくれた。


 今日は久しぶりに学校へ行くから、気分を切り替えたい。


 今朝の気分は、oasisだった。


『ロックンロール・スター』を聴きながら登校する。イカしたギターリフに胸を躍らせながら、いくら連中に笑われたって俺の中では夢こそが現実、今夜俺はロックンロール・スターなんだ、と歌と自分を重ねる。


 高校へと向かう長い坂を歩きながら、生徒たちの中に紛れる。みんなつまらなそうな顔をして、スマホを見ながら歩いている。月曜日だし憂鬱だよな、と同情しながら歩くが、腐らない。俺は、ロックンロール・スターになるからだ。


 が、まだロックンロール・スターではないので、昼休みに先生に呼び出されたら職員室に行かなければならない。


「なんで学校来なかったんだ?」

「ちょっと忙しかったんすよ」

「あれか? ロックか?」

「そうです。俺はロックンロール・スターになるんで」


 俺が素直に答えると、生活指導の日下部は禿げ上がった頭をなぜながら、老眼鏡に手をやった。大げさに鼻から息を吐き出し、「まいった奴だ」という視線を向けてくる。


「新曲作ってたんで、学校休んでました。コンペが近いんすよ」

「お前なあ、学生の本分は学業だろうが」

「俺の人生、どう使おうが自由でしょう。27歳で死ぬかもしれない。あと10年しかないんすよ」


 27? と日下部が眉根に皺を寄せる。ジミ・ヘンドリックスも、カート・コヴァーンも、ブライアン・ジョーンズも、ジム・モリスンもみんな27歳で死んだ。が、そのことを日下部が知るはずもない。


「そうやってなあ、憧れや夢ばっか見て、結局なれなかった奴をおれは何人も見てきたぞ」

「そいつらは、やめたからなれなかっただけですよ」


 すぱっとそう言うと、日下部は顔をしかめたが、思い出したように意地悪くにやりと笑った。


「この前、なにかに勝ったからもう大丈夫だとか言っていなかったか? レコーディングがあるとか、偉そうに吹いてたよなあ。なのにまだ、ミュージシャンになれてないじゃないか」


 思わず舌打ちしそうになった。


 このじじい、よく覚えてやがる。


 俺は高校に入ってからずっとコンペに応募しているのだが、数ヶ月前、新人発掘のコンペで優勝した。


 初めて優勝したから舞い上がったが、CDを出そうという直前になって主催者がバックれた。問い合わせたら、担当者が変わったらしく、企画は立ち消え。連絡なしで逃げるかね、大人のすることじゃねぇ。若いからってナメられたのか、これだから大人は信用できねえと思った。


「まだ、ね」


 そう返事をして、不敵に笑ってみせる。


 自分に才能がないことはわかっている。が、才能なんてなくてもできる。


 俺は腐らない。元々、大人は信じちゃいない。


 人生はいつだって十字路にぶつかって迷うことになる、臆せずに荒野を行け、道を切り開け、歩いたら足跡は残るんだ、ロックンロールは俺にそう教えてくれた。


 俺がこの世で信じているのは、俺を救ってくれたものだけだ。ロックンロールだけだ。


「これからですよ、先生」


 俺はそう言って、そっと心の中で耳に栓をする。


 日下部は口をぱくぱくさせ、こめかみをぴくぴくさせている。久しぶりの説教だからか、膝を叩きながら熱弁振るっている。興が乗った様子だ。


 耳をすませば、


「自分の人生を変えられる唯一の人間は、自分だけなんだよ」


「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれろ」


「月に手を伸ばせ、たとえ届かなくても」


 と偉大なロックンロール・スターたちの言葉が聞こえてくる。


 俺の全身をロックンロールが包み、守っている。


 今夜は駅前で弾き語りをする予定だから、力がみなぎってくる。


 本当はライブハウスでやりたいが、チケット代のノルマもあるし、今は金欠なので無理だ。アルバイト代はミキサーを新調したり、スタジオでの練習代金で飛んでしまったし、ミュージシャンになることを親からも反対されており、飯を出してもらえないので、自分でコンビニでパンを買わないといけない。


 ふっと周りを見ると日下部が激しく何かを言っているせいで、周りの先生と生徒たちから視線が集まっていた。冷やかすような、バカにするような目をしている。


 客観的に見たら、と考える。


 彼らから見りゃ、俺はただの口だけ野郎なんだろう。ミュージシャンになると言って学校を休む、成績も良くないはみ出し者だ。「レコーディング」の話も職員室で語ってみせたが、今となってはホラ話に聞こえてしまう。


 口だけ野郎を俺は嫌いだが、実際のところ俺も口だけ野郎だ。自分が口だけ野郎なのが、とても恥ずかしくなってきた。早く結果を出したいと、拳を強く握りしめる。


「わかったか!」


 上気している日下部が、そう言い放った。はっと我に帰り、「はい」と返事をする。


 昼休みが終わるから戻るようにと言われ、


「失礼しました」


 と言って一礼をし、職員室を後にする。


 昼飯を食べそびれたが、昼飯を買う金はないから別にいい。


 ポケットに手を突っ込みながら、教室に向かって歩き出すと、ぽんっと背中を叩かれた。振り返ると、そこには他クラスの若い女性教員が立っていた。授業がないから、話したこともない。


「なれるよ、がんばんな!」


 からっとした口調でそう言うと、先生はすたすたと歩いて行った。


 叩かれた背中から、びりびりと電気が走り、体が震える。初めての言葉に動揺しながら、慌てて口を開く。


「知ってるっつうの!」


 少し声が裏返ってしまった。


 先生が歩きながら右手を挙げる。キザな真似をしやがって。


 一息吐き、ポケットからイヤフォンを取り出して、ロックンロールを聴く。


 新しい自分をイメージする。


 俺はいつでも、なれる。

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