第3話 11月8日は「いい歯の日」(365日小説)

 家を出る前、洗面台の鏡を見る。唇を横に引き、目を細めてにっこり笑う。

 わたしの笑顔は本物か?

 偽物だけど、笑顔には見える。


 そこいるのは、ボブカットでアンダーリムの眼鏡をかけた、セーラー服を着た百五十二センチの地味な女子高生だ。奥二重だしまつげは長くないし、鼻も決して高くなく、痩せていてチャームポイントと言えるものもない。ニキビを隠すために薄くファンデーションを塗っているから、目立つものもない。


「高松さんってあんまり笑わないよね」


 昨日の放課後、同級生の吉野に言われた言葉を思い出し、こめかみがぴくりと動く。


 高校二年の男子サッカー部員はクラスのムードメーカーだから、他人になにを言っても良い発言権があると思っているのだろうか。


 無神経なことを言いやがってこのクソが、お前はグランド走ってボール蹴ってりゃ良いんだよと思ったけど、わたしはちゃんと「そんなことないよ?」とすぐに返事をした。


「そうかな? なんか声あげて笑ってるところ見たことないなと思ってさあ」

「女の子だから、滅多にそんな笑わないよー」


 吉野と隣の席になって一月が経つ。休み時間になると他の男子にちょっかいを出す為に席を立つし、会話は挨拶程度で世間話もしたことがない。


 無害な奴だと思っていたのに。


 昨日はわたしと吉野が日直で、部活が休みだという彼と、学校から駅までを一緒に下校した。


 男子と二人きりで帰るのが初めてだから、緊張した。担任が顧問だと気を抜けないんだよなぁ、なんて愚痴を聞きながら、うんうんそれは大変だねと一所懸命相槌を打った。


 改札まで行き、「わたし駅ナカの本屋寄って帰るからじゃーねー」と別れようと思っていた。


 が、平和な下校にヒビが入る。


 吉野はそういえば、と思い出したかのように、口を開いた。


「高松さんってあんまり笑わないよね」


 わたしはちゃんと笑っている。


 クラスで浮いてるわけではない。ちょっと仲の良い女子グループだってある。みんな大人しくてそれぞれに趣味があるけど饒舌ではない。みんなわたしとどこかで似ている。クラスの中心ではないから日陰なイメージがあるけど、日陰は日陰で涼しくて居心地は良い。


 わたしは、ちゃんと自分の笑い方は心得ている。


 危なくなったら、手元に口をやる。


 マスクをすれば安全だけど、ずっとマスクをしているのは嫌だった。あいつずっとマスクしてるよな、と思われるのではないか、とビクビクしてしまう。マスクをしてると逆にマスクの下が気になるの人の心理だと思う。


 心から笑えない理由は、つまらないからじゃない。


 ふーっと深呼吸をして、口を開ける。


 わたしは歯並びが悪い。がちゃっとし、前歯がなんだか斜めに生えている。


 なんだよ、これは、と憤りを覚える。


 ふざけんな! 理不尽じゃん!


 この歯のせで、思いっきり笑えない。同級生の発言にいちいちイラっとしてしまう。暗くて地味な女の子グループにいて、彼女たちを少しだけ見下して、自分はまぁまだマシじゃん? と安心してしまう。


 わたしが綺麗な歯並びをしていたら、ちゃんと笑える女の子になっていただろう。お喋りになっていたかもしれないし、カラオケの誘いにビクビクだってしない。


 教室全体におっはよーって挨拶する生徒になっていたかもしれないし、嫌味なく自撮りしてインスタにアップして「いいね」をもらえて、嬉しいやったね自己肯定、とか思えていたかもしれない。


 なんでこんな歯並びなのか、それは完全にお母さんの遺伝だ。


 お母さんのことをそれで恨んだこともある。


 けど、お母さんはにこにこと笑っているし、ちゃんと働いているし、お父さんという伴侶もいる。


 その事実のせいで、わたしの憤りはますますやり場がなくなる。


 神様がいるなら、ええもちろんわかっていますよ、と言ってやりたい。


 他人の外見と自分を比較してほっとしたり、サッカー部ってだけで陽気なバカだと決めつけたり、自分の写真撮ってアップして満足してる同性をほくそ笑んでいるなんて、間違っていますよ。


 それでも、わたしはそう思ってしまうのだから、仕方がない。なんだか、歯の歪みは性格の歪みのようの表れのような気がしてしまう。


 そんなに気にするなら、歯医者に行って矯正すりゃいいじゃん、と思われるかもしれないけど、調べたら百万円近くするようだった。歯医者の野郎、人の足元を見てやがる。


 家は裕福じゃないから、そんなお金のかかることを要求できないし、お母さんに「あんたに似て損をしたから金をかけて直させろ」と言えない。


 ……いや、お金が問題なのではない。高い金を払ってまでして、みんなに受け入れられそうな自分になりたいのか? と思っている自分がいる。


 わたしは、歯並びが悪いせいで性格が悪いのだと言う。


 性格が悪いから、歯並びが悪いのかもしれない、と感じる。


 だったら歯を直せばいいじゃないかと思うけど、それを実行しようとしない。


 歪んでいる。


 歯も心も、なにもかも、わたしは歪んでいるのだ。


 このまま一生誰にも好かれない気がする。


 だけど、わたしは、この歪んだわたしのことが、憎めない。それが問題なのだ。この性格も歪んだ歯でさえも!

わたしくらい、わたしのこと全てが好きでいてもいいじゃないか。


 わなわなと唇が震えていた。奥歯を噛み締めてる所為で痛くなっていた。自分が好きなせいで、なんで苦しまないといけないのだろう。誰に文句を言えばいいのだ。


 我に返り、鏡を見る。そこには眉を歪め、くしゃくしゃな顔をしている歯並びの悪い17歳の女の子がいた。なんだよお前、なにも泣くこたあないじゃないか。


「わたしはあんたのこと嫌いじゃないよ」


 今日も歪んだ自分を隠して生きていくのだろう。


 もう一度深呼吸をする。


 鏡に向かって、にっこり笑う。

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