第2話 11月7日は「鍋の日」(365日小説)

「終わった、絶対に無理だ、そう思いました」

「やー、確かに今回はマジで放送間に合わないかと思ったね、ホント」


 三田村先輩がそう言って、ジョッキを持ってビールを口に運んだ。ぷっはあ、という彼女の景気の良い声が駅前の大衆居酒屋に響く。他の客が気にするのではないか? と思ったけど、そんなことはない。みんな似たようなものだった。


「辰彦くん、短いスケジュールでよくがんばったよ」

「でも当初の、納品目標は二週間前でしたよね。それが、メーカーチェックだなんだかんだ入ってリテイクリテイクで、二日前納品になっちゃったじゃないですか」


「メーカーものは、キャラクターのチェック厳しいからねぇ。向こうはそれがメインの商売なんだし、まあ仕方がないって」

「これでも精一杯、気をつけていたんですけどねぇ」

「クライアントの突然のクレームは、気をつけていても起こる、災害みたいなもんだからしょうがないっしょ。それでも漕ぎ続けて陸にたどり着いたんだからよしとしようよ」


「でも」と僕が言ったところで、三田村先輩がそろそろかな、と鍋の蓋を空けた。ふわりと湯気が立ち上り、中には様々な具材がぐつぐつ煮えている。鍋が一つの作品だとしたら、自分はなんなのだろう。


 お肉はやっぱり監督で、白身魚が脚本家、お豆腐はアニメーターさんたちで……いや、アニメーターさんはお豆腐よりももっと偉い。それにアニメーターさんには作画監督も原画マンも動画マンもいるから、一括りにはできないよなぁ。それに、声優さんもいる。


「なーに難しい顔して考えてんの?」

「鍋が作品の一つだとしたら、自分らアニメの制作進行は一体どの素材ですかね?」

「何言ってんの?」

「主役のお肉は監督で、みたいな。あっでも、監督は料理人ですかね」

「おっかしなことを考えるねぇ」


 アニメを観た人は、出演している声優さんや監督や脚本家さんをチェックするだろう。アニメの動きやエフェクトが好きな人は、アニメーターさんのクレジットもチェックする。でも、制作進行が誰かなんて気にも留めないはずだ。


 制作進行は、主にアニメ作りのスケジュール管理をしている。いつまでにこの絵を描いてくれませんか? とアニメーターさんに相談をし、描いてもらった絵を演出さんや作画監督のチェックをしてもらい、と仕事の内容は挙げ始めたらキリがないのに、視聴者には気にも留められない。


「僕らは、もやしかなんかですかねぇ」

「ちょっと卑下しすぎじゃない?」

「そうですか? でも実際、そうじゃないですか」

「自分は認められていない、と」


 認めて欲しい! 評価して欲しい! と騒ぐのはなんだか子供っぽい気がして、指摘されると恥ずかしくなってきた。でも、自分は何を期待しているのだろうか。


「この業界に入るまでは、違うイメージを持っていたんですけどね。すごいものを作って、みんなを楽しませるんだ! みたいな」

「今は違うの?」

「今は、目の前のことでいっぱいいっぱいで、目標みたいなものを見失ってきちゃいました」


 そう言いながら、鍋から煮えた具材を小皿によそい、三田村先輩に渡す。自分の分も取り分けて、一口食べた。白菜を齧ると、鶏ガラベースの出汁がじんわり口に溢れた。美味しい。


「辰彦くんは将来何になりたいの?」

「将来、役職とかですか?」

「なんでもいいよ」


「ないんですよ。絵が描けるわけじゃないからアニメーターにはなれないし、物語も思いつかないから脚本家にもなれないし、自分にできることなら、と思って制作進行やってるだけです。このままいけば、三田村先輩みたいに制作デスクになると思うんですけど、その先までは」


 制作デスクとは制作進行の制作進行みたいなもので、ざっくり説明すると制作に関わるスケジュール管理全部、ということになる。


「今、十分頑張ってると思うけどね。ミスはあってもミスをしない人はいないもの。わたしは辰彦くんがいたおかげで助かってるよ」


 ありがとうございます、と頭を下げる。人の役に立っていると言われるのは、ここにいていいんだよ、と言われているようで、ほっとする。


「三田村先輩は、将来の目標とかってあるんですか?」

「わたしはね」


 そう言うと、三田村先輩はビールジョッキを置いて、僕を見た。


「いつか監督になって自分のオリジナルアニメを作って、みんなに楽しんでもらいたい、と思ってるよ」

「すごいですね!」


 反射的に口にしてしまった。いや、本当にすごいと思ったからだ。僕はまだ制作2年目だけど、働いていると現実にぶち当たり、抱えていた希望とギャップを感じて去っていく人を何人も見た。それでもなお、いつか監督になりたい、オリジナル作品を作りたい、と夢を語れるのはすごいことだなと思った。


「演出になれるチャンスがあったら演出になって、それでいつか監督になれたらいいなと思うんだ」


 三田村先輩が未来を見つめるような視線で、天井を見上げた。


「いつになるかは、わからないけどねぇ。何事も下積みだよ」

「応援しています」

「辰彦くんを励まそうと思ってたのに、逆に励まされちゃったよ。ありがとう」


 そう言って、三田村先輩が優しく笑う。が、不意に真面目な顔つきに戻った。


「さっきの鍋の話だけどさ」


「鍋の話?」と尋ね返しながら、アニメの制作進行は鍋だったら何か? ということかと思い出す。


「アニメの制作進行は、鍋、そのものだと思うよ。鍋がなくっちゃ鍋はできない」


 三田村先輩の言葉がずしんと胸に響く。確かに、現場に僕ら制作進行がいなかったらアニメはできあがらないだろう。縁の下の力持ち、ということだろうか。


「でも、それを言ったら監督がいなかったらアニメもできませんよ?」

「そう、監督も鍋」


 うんうん、と三田村先輩が頷く。


「アニメーターさんも音響さんも撮影さんも動画検査さんも色指定さんも、他の人たちもみーんな全員、鍋!」

「そんな無茶苦茶な」

「いやいや、全員いなきゃできないんだから。どんな仕事も、自分が鍋なんだ! それくらいの矜持を持ってやってもいいんじゃない?」


 軽く背中を叩かれて、背筋を正す。


 目の前の鍋を見て、突然この鍋が消えてしまったらどうなるだろうかと想像する。具材がほうぼうに飛び散り、誰も味わうことができない。せっかくの料理が台無しだ。


 ぐつぐつと色々な具材が煮える鍋を見る。

 ふつふつとやる気がみなぎっていくような気がした。

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