第2話


「キエル!!」



 パタパタと後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえたのかキエルはゆっくりと振り返った。

 真っ黒でお洒落でも何でもない外套。ただの雨風を凌ぐためだけの地味なそれだ。

 なのに彼が着るとまるで流行り物の服のように見える。

 満開の桜の花びらが風によって綺麗に舞った。



「ディア」


 金色の髪が太陽に反射してキラキラと輝いた。

 サラディアナはそのまま速度を緩める事なく、キエルの腕に勢いよく飛び込む。

 サラディアナより3つ年上の18歳の青年はその衝撃を物ともせずに受け止めた。



「ディア痛いよ」



 クスリと笑った彼は、唯一自分を"ディア"と呼ぶ。

 それが幼馴染サラディアナの誇りで特別だった。

 いつもならその特別にふわりと笑顔で応えるサラディアナだが、今日は菫色の瞳を揺らしてすがりつくようにキエルの服裾を掴んだ。



「キエルは宮廷魔導師になるの?」



 それは朝方母から聞いた衝撃の言葉だった。

 "キエルが宮廷魔導師の試験を受けて合格したんだって"

 母にとっては、何気ない話。

 娘の幼馴染の吉報を喜んで話したそれだけのこと。

 でも自分は、朝食を用意する母の背中を凝視してあんぐりと口を開けて眠気も吹っ飛んで固まってしまった。



 宮廷魔導師。

 この世界には魔法が存在する。

 記録に残るだけでも1000年以上の歴史があるキャパニア王国でも、魔法について未だに解明されていない所が多い。

 殆どの人は僅かな魔力しか持っていないが、魔法石と呼ばれる石を媒体にした魔法道具によって魔力を補い操作する事で生活を成り立たせていた。

 そんな魔法を石を使わずに自在に操れる人が稀に生まれる。

 キエルもその1人だ。



 キエルの魔法はとても綺麗だった。

 暖炉にくべる火は太陽のように輝いていたし、水は透明で柔らかく美味しかった。

 肌に触れる風は優しくて、氷はキラキラガラス玉のよう。癒しの力はポカポカ暖かくて深い傷でもすぐに治した。

 誰もがその力に驚愕し、感嘆の声をあげ未来のキエルの姿を楽しみにしていたものだ。




 そういえば、いつか誰かが言っていた。

 "キエルはこの村にはもったいない存在ね"

 "いつか王都から使いが来て召し上げられるかも"

 "国一番の魔導士になるかもしれないね"



 その言葉を聞いた時自分は「そんな事ない」とたかを括っていた気がする。

 だって、彼はずっと私のそばにいたのだから。

 これからもずっと一緒に居られると思っていた。

 それが....





「キエルは、私の隣からいなくなっちゃうの?」



 ポツリと

 頭で考える前に口からでた言葉は、キエルの耳にしっかり届いてしまったようだった。

 困ったように眉を下げ、空色の瞳が揺れる。

 違う。そんな困らせるつもりで言ったんじゃないの。

 そう伝えたくても今度は思うように口が動かなくて、代わりに間を埋めるように再び彼に抱きついた。




「ディア....」

「.....」


 そっと彼の手が自分の髪を撫でる。彼に言わせると"暖かな赤銀色ピンクの髪"がその人の手によって揺らされた。




「宮廷魔導師の試験を受けたんだ。なんとか合格して来週この村を出る」



 再び紡がれた彼の言葉は、サラディアナの胸を締め付けた。

 彼はゆっくりサラディアナの髪を梳きながら話を続ける。



「宮廷魔導師になってこの力をもっと専門的に使いこなせるようになりたいんだ」

「....今でも凄いわ」

「こんなんじゃダメなんだよ」



 サラディアナの頭上から声が落ちてくる。 昔は同じ目線だったのにいつからこんなに届かなくなってしまったんだろう。

 懐かしい昔の記憶を思い出し目の前が霞んでいく。



「ディア....異国の言葉で"親愛なる"という意味がある。....僕の愛しいディア」





「きっと戻ってくる。だから....元気でいてくれ」


 そう言い残してキエルはサラディアナを自分の胸からゆっくり引き離す。

 優しく微笑む姿はポタポタと溢れる涙のせいでよく見えなかった。




 これがキエルとサラディアナが交わした最後の会話だった。





 近くにいる事は当たり前ではないのだ。

 大切な幼馴染は、いつのまにか恋慕の対象にになっていた。




 そしてサラディアナは、恋を自覚した瞬間に失恋したのだった。



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