[彼]の振舞が、結果として癲癇発作てんかんほっさと言う宿痾しゅくあを、ほぼ完ぺきに抑制したのかどうか。

それは正直なところ私にも分からない。

分からないが、[彼]の所望に答えるようになってからと言うもの。

[彼]には大発作はおろか小発作すらまったく起きなくなった。

そのことはカルテにも記されている厳然たる事実だ。


 <たまたまと偶然>は、日常目にするなんの変哲もない出来事を魔法のように様変わりさせることがある。

多くの場合、それはある出来事を願う者や待ち望む者限定でそう見えるただの錯覚に過ぎない。

だが、神様の気紛れで合理的な説明がし難くなった小事は時として、奇跡と名を変えることもある。

案の定、[彼]に対する飼い主の思い入れはどうだろう。

<たまたまと偶然>がもたらす些事さじによって、次第に強く深いものになっていった。

 [彼]は家族の間限定で、人間並みに利発で聡明な天才犬と言う共通の認識を持たれることとなった。

例えば[彼]に「新聞を取って来て」とお願いするとしよう。

[彼]はまず玄関のドアを前足と鼻面を使って押し開ける。

外に出てそのままトコトコと郵便受けまで行くと新聞を咥えて取り出す。

新聞を咥えた[彼]は玄関には戻らない。

玄関のドアは外開きなので[彼]には開けられないのだ。

[彼]は庭先に回ってリビングの掃き出しの前で待機する。

家族の誰かがサッシを開けてくれるまで尻尾を振りながら辛抱強く待ち続ける。

やがて足を拭いて屋内に入れてもらったら任務完了ということになる。

一連の行動は訓練で身に着けたものでは無く、初日にその犬自身が考えた振舞だそうだ。

 郵便受けから新聞を取って来るという作業は、犬種によっては簡単に訓練できるレベルのものだろう。

しかし、彼の仕事ぶりは一味違うという。

「新聞を取ってきて○○に渡してね」とお願いすると、ちゃんと○○の手元まで持って行くというのだ。

 犬は単語のレベルであれば人の言葉をかなり理解できる。

近年の研究ではそうしたことが明らかになっている。

作業犬が短い単語の発話で人の命令を遂行することは子供でも知っている。

「お手」

「お座り」

「マテ」

その程度の命令なら作業犬ではなくても身に付けることができる。

芸と言うほどのスキルではない。

残念ながら一方で、犬は構文による命令には全く歯が立たないことも分かっている。

例えば「お父さんに新聞を取って来てくれたらご褒美をあげるわね」などと犬に話しかけても無駄である。

 

 するとこのエピソードにもに誤解が生じたのだと考えられる。

犬が新聞という単語で新聞を取りに行く作業に掛かるのはこう説明できるだろう。

実は“新聞”という単語が、新聞を取りに行くという動作に対する命令になっていると考えられるのだ。

 お座りの訓練をするときに、命令の符丁を“立て”にすれば、犬は“立て”という人の声でお座りをするようになる。

座るという言葉の意味を理解してお座りをするわけではないことはこのことからも分かる。

 新聞を取ってくるという動作に特定の個人に手渡すという行動が結合するとどうだろう。

「新聞を取ってきて○○に渡して」

そうした構文による命令があたかも成り立っているかのように感じられる。

だが、[彼]は○○が家族の名前であることは理解しているので、それを次の行動に結びつけただけと考えられる。

おそらくは[彼]に「新聞をアウフヘーベンして○○にせよ」と命令しても同じ結果が得られたはずだ。

知っている単語を並べれば、ある程度こちらの意図を斟酌しんしゃくして犬が行動できることは確かだからだ。

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