とある獣医師の犬談義ー予兆:Canis sapiensー
岡田旬
1
ふと気が付くと私も先の知れた年齢に成っていた。
来し方を振り返ってみれば特別な感慨があるわけではない。
しみじみ反芻したくなる様な、何か立派な業績を上げた覚えはない。
まして、みんなのお手本になるような人間だったこともない。
そんな人生だったろうか。
仕方が無いので、もうそう長くは無いはずの未来に目を転じて見た。
すると、晩年という言葉が頭に浮かんだ。
自分に残された時間に見通しが利くようになる。
そうした年月のことを晩年と言うに違いない。
そう
それは大層な気付きの様に思えたが、なんのことはない。
若い頃に目指していたはずの坂の上の向こう側。
見果てぬ先だったはずの向こう側を、いつしか
私はただ、そのことに気付いてしまっただけだった。
親族に迷惑を掛けぬよう生きていく。
それには日々のたつきを得るため仕事を持たなければならない。
どうせ働かなければならないのなら、好きなことをやっていこう。
私はそう思い定めて学校に通い資格を取った。
学校を出てからの誰しもがそうであるように、私も若造なりの苦労は経験したと思う。
ちっぽけな自尊心を何度か踏み
不思議に人の縁と幸運には恵まれた。
恩人と呼べる人に
自ら望む職に就いて、今日までなんとか生きてこられた。
そのことはひとえに。
人生の節目節目で、懐かしい人々から与えてもらった好意や善意の賜物と言える。
私はそう確信し老いた心に感謝の気持ちを温め続けている。
お陰様で過もなく不足もなく。
他県ながら東京の郊外と言ってもお叱りを受けない程度の田舎で、のんびりと生きてこれた。
人並みに家庭を持ち子供たちも
妻も心身ともに健康だ。
彼女の内心を知ることはできない。
だが有難いことに、彼女を見る私の目は今だ曇ることはない。
揚げヒバリに耳をすませ、南の風に海を思う。
そうした穏やかな日々が過ぎていった。
ある時、ふと明日に目を向けてみればどうだろう。
自分の晩年がそれと意識せぬまま始まっていた。
だからなのだろう。
晩年の意味が天啓のように閃いたと感じて今更ながら驚き。
それから「なーんだ」と思った。
家庭を持つのと独立して仕事を始めるのはほぼ同時期だった。
その結果、職にまつわる記憶は子供の成長や妻との日常に混じりあい、家族の物語の一部となっている。
仕事柄、職場と自宅が一緒なのは私にとっては幸いだった。
そのせいで家族と共有した時間の記憶は、職場での出来事と自然に結びつくことになった。
俗に『亭主元気で留守が良い』などと言う。
その伝から言えば、妻には思うところが多々あったろう。
だが私にとって仕事をしながら家族と共に重ねた
上の子供が幼い頃は仕事も暇で
まだ家に帰りたくないと大泣きする息子の声が、開け放たれた窓から、毎日のように聞こえてきたものだ。
職場から道路を挟んだ向かい側には、林に抱かれるように奥へと広がる公園がある。
息子は家事を済ませた妻に連れられ、午前中の大半をそこで過ごしていた。
彼の泣き声は、もうすぐお天道様が南中の位置に達すると言う知らせだ。
若かった妻が優し気に微笑みながら、しゃくりあげる息子の手を引いてなにか慰めの言葉を掛けている。
私はいつでもそれを窓からぼんやり眺めていた。
どうやら自分は今かなり幸福らしい。
胸の中に生じた柔らかな熱がそれを教えてくれた。
そうして日々繰り返し生じたささやかな熱量はどうだろう。
私だけではなく妻や子供達を幸せにするためのエネルギーとして十分だったろうか。
そうであったのなら良いのにと心から思う。
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