第7章 Fireworks 第4話

 ふたり、居間のソファでお互いに寄りかかって寝てしまったらしい。

「今何時……5時半か……」

 八木はソファの前のテーブルにあった携帯電話をパカッと開けてみて、現在の時刻を確認する。

「悪りぃちょっと電話するわ」

 RRRRR

 RRRRR


 その頃、毬子の息子カップルに乗っ取られてしまった格好の八木の部屋である。

 夏もののタオルケットの中で明日香が、祐介の裸の胸にひしと抱きついた。

 抱きつかれて祐介は、明日香の髪を撫でながら言う。

「今までで一番いい女だったで」

 明日香は祐介をさらにきつく抱きしめる。

 抱きつかれたところで携帯電話が鳴った。

 出てみる。

「はい」

『祐介くんか?』

「わわわ、すいません!」

『まだ帰っちゃダメか? 今日休みじゃないんよ』

「うわ、わかりました。すぐ出ますから。後でもっかい電話入れます!」

P! と電話が切れて。

「アスカ、起きろ……八木さん帰ってくるぞ」

「ん……なぁに~? ちゅ~」

 寝ぼける明日香に一度キスをして、

「八木さん帰ってくるってよ。それまでに出なきゃあかんやんか。ほれ着替えろい!」

「待ってよー」

「人待たせてるんやで。俺たちが大人になった時、あの人がまだ押上におったら、よっぽどのことをしなきゃ恩を返したとは言えねえことしたんじゃねえのか」

 と祐介に言われて明日香の血の気が引いた。

 テキパキと、枕元にあったウエットティッシュで体を拭いて、服を着始める。


「八木ちゃん、コーヒー飲む?」

「ありがとう。いただきます」

「砂糖とミルクは?」

「砂糖いらん、ミルク2杯」

 このやり取りの後、八木は電話を待ちながら、毬子が淹れてくれたコーヒーをひと口飲んだ。

 RRRRR

「はい」

『今夜はどうもすいませんでした。今から出ます』

「夏休みじゃけえって今後こがいななぁなしだでぇ?」

『はい』

「じゃあどこで鍵受け取る?」

『駅の改札のところで』

「了解」

 P! 

 電話を切った八木は、

「お世話になりました。もう帰るわ」

「少しは元、取れて良かったね」

「言うなや」

 と言うと歩いていく。毬子が後を追った。

 マンションのエントランスで八木は、毬子の頭をこつんと軽くたたいて、マンションを出ていった。


 あたし今、上手く笑えてただろうか?

 その辺正直、自信がない。

 うっかりキスして、意識し始めてる?


 帰宅した八木は真っ先に、布団の中と夏用タオルケットにファブリーズをかける。

 封の切られた避妊具の箱が、昨夜の出来事をより鮮明にした。

 使い方知ってたんかなあ、と思い、ええい気にしない、とシャワーを浴びることにする。

 12時出勤だから11時には家を出るのだ。


 祐介が戻ってきたのはそれから2時間後だった。

 毬子は、八木を見送ったままエントランスでボーっとしていて、

「朝からこんなところで何しとるの」

 と祐介に声をかけられて気付いた。

「アスカは香苗ねえに開けてもらうのに起きるの待って電話してた」

「あんた達、ひとに多大な迷惑かけたんだから、チャンスがあったら八木ちゃんに恩返しするんだよ」

「わかってるって。風呂入ってくる」

 言って祐介はバスルームに消えた。


「おかえり。どしたの朝帰りなんて。ひょっとして祐介? え? ひょっとして?」

「開けてくれてありがとう。風呂入ってくる」

 鍵を開けてくれたはいいが、昨夜何があったか根掘り葉掘り聞きだそうという香苗に、辟易という顔で明日香はバスルームに入った。 


 それから4日間、毬子は絵に向かってみても集中力がない。


 その4日後。毬子は4日ぶりに藤花亭に行った。祐介以外の人間、特に大人と話がしたかったのだ。八木と会ったらどうしようと思わないように昼間行く。勤め人とは昼間のが会いにくい。咳が出るのが気になるが。頻繁にため息も出る。左目の奥も痛い。口を閉じにくい。

「毬ちゃん、あがったよ、毬ちゃん!」

 ぶた玉の皿で毬子の左二の腕を突っつく隆宏。

「どうしちゃったんだろねー」

「何か店入ってからずっとこうよね」

「心ここにあらずっちゅうんじゃないか?」

 最後の台詞はプレスリー爺さんである。

 それまで何日も顔出さなかったところからしてなんかおかしい、というのは、絢子は黙っていた。

「こんにちはー」

「あー由美ちゃん久しぶりー、ちょっと聞いて、毬ちゃんがぼーっとしちゃって」

 毬子は毬子で、実はさっき、藤花亭に入る前に一度店の前を通り越してしまったのだが、口が裂けてもそれは言えなくなった。

「あんた顔赤くない? 風邪でもひいた?」

 と由美は別の可能性を言う。

 言われて毬子はゲホゲホ咳き込んだ。

「えー、風邪ならまずい。さっさと食べて帰って薬飲んで寝なさい」

 咳をしていない時はため息をついている。

 いつの間にか具合が悪い方向にされているものの、自覚が薄い毬子である。

 ため息の原因が八木だと思い込んで。


 昼間、帰宅してから咳が酷く、挙句の果てにお好み焼きをさらに細かくしてしまった(ため息はこの伏線だったようだ)。

 咳をして以来ここではじめて、自分が体調を崩している、との自覚が、毬子にできた。

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