第4章 MARIKO 第1話

「毬ちゃん、店、辞めてくれるかな……?」

 勤務する店「YASKO」にて解雇を告げられた瞬間、ふと見たカウンターに、花束があるのに気付いた毬子。

 赤と黄色の薔薇を中心にした花束。

 あれはあたしのものなのか。

 という毬子のココロ知らずに泰子ママは続ける。

「毬ちゃん長く働いてくれたから、退職金は弾むし、7月分までお給料払う。漫画好きなお客さんがいらした時は活躍してくれたものねえ。

 なんか最近、心ここにあらずっぽいな、と思ってたんだ。かといって相談してくれるでもなし」

「ブラック・ジャック」や「アドルフに告ぐ」の話ができるホステスなんて他にいないものね。と思いながら、

「わかりました。ありがとうございます」

「もともとこの仕事に執着してないっぽかったし、向いてないなとは思ってたのよ」

「よく素人臭いと言われました。お客さんじゃなくても」

 それも懐かしくなってきた。

 執着はなかったわけではない。子供を育てなきゃいけないんだから。

「まあ、頑張ってくれたから。今月いっぱいは店に在籍してることにして、7月までお給料払うからね。退職金も……8月に振り込むから」

 と言って、泰子ママは、少し離れたところにあるメモ用紙とボールペンを取って、かなり大きな数字を書いた。

 家賃2年分払っても2年以上暮らしていけるよコレ……

 毬子は思った。

「長い間、お疲れさまでした。

 今日店にいる? 帰ってもいいし、どっちでもいいよ。新人もいるし」

 ママは、お疲れさまでしたと言いながら、毬子に例の花束を手渡した。

「じゃあ、最近疲れ気味なので、帰ります、荷物は今出せるだけ出しますけど、残ったらまた、この時間でいいですか?」

 ぶっちゃけ居づらいっつーの。

「先にあたしに電話1本ちょうだい。そしたら開けてあげるから。あ、宅配って手もある! あと、鍵返してね」

 あたしが鍵開けてたのを思い出したか。

「わかりました」

 

 荷物をまとめるのに30分かかった。同じくらいの身長の仲の良い後輩がいないので、置いてあったハイヒールやスーツはまとめて宅配を頼むことにした。古い服や靴も一度持ち帰って、家や近所で着られるようなら着る。これからの季節、ノースリーブもいいものね。

 あ、りんだの結婚式、ノースリーブ使えるか?

 ハイヒールを履くと面白くない顔をするお客さん居たっけ。あたし背高いから。

 タクシーで帰るか電車で帰るか迷って、車窓からの景色を見たかったのもあるし、節約もすることにして、電車で帰ることにした。

 夏至直前の東京、夕方6時、まだ外は明るい。


「ただいまー」

「あれ? どうしたん? その花束」

 花束を持って、まず帰宅した。

 祐介に聞かれる。

 そりゃ当然だわな。

「クビになった」

「えーっ!

 どうすんだこれから」

「退職金がいっぱい出るって言ってくれたし、りんだが手伝ってって言ってたから、その話に乗る。他にもアシ先ないか調べてさ」

「ふーん」

「あんたもボクシング頑張ってよ」

「へーい」

「化粧直したら藤花亭行ってくる」

「あいよー」

 今日は祐介にお金を置いておいたので、彼はそれで食べることになっている。


 藤花亭に行く前に自室のベッドに座って、りんだの電話番号を呼び出して。

 RRRRR

『はい、先輩?』

「うん、こないだの、あんたを手伝う話、マジで乗らせてもらう。絵で食ってけるようになりたいから、いろいろ教えて?」

『ありがとうございます。お店辞めたんですか?』

「クビになっちゃってさ」

『えーっ!』

 それまでより大きなボリュームで聞こえたが、ちょうどいいくらいになっているあたり、辺りはうるさいらしい。

「退職金が出るらしいのよかなり」

『ほほう、それは。

 式の前に由美先輩も混ぜて一度飲みましょうね』

「おっけ。じゃあ……仕事再開するの何月?」

『8月1週目です』

「じゃあその時はよろしくね」

『はーい』

「式の準備は進んでる?」

『今までのツケが回ってきてますよー。手帳に毎日今日やることを書き出して、片付いたら潰してます。今日はブライダルエステ行ってきました』

「あたしは経験ないからこれしか言ってあげられないけど、頑張れ」

『はーい。じゃあそのうち』

 3人での飲みは多分実現しないな、と毬子は想像しながら、電話のために座っていた。


 一度、店用に施した化粧を落として、眉書いて口紅だけ塗って、藤花亭へ行った。口紅は地味目なピンク、グレーとの境目な色かもしれない。紫にも見える。

 いつもの通りを歩いて。

「こばわー」

「え? 毬ちゃん? お店どうしたん?」

 絢子が驚いて迎えてくれた。

「クビになった」

「えー、労働問題にならんかそれ」

 隆宏が口を挟みつつ、お客さんのイカ玉を焼き上げる。

「じゃあ今夜は飲みな! ほれビール!」

「はい」

「何食べる?」

「ミックス」

「ビールはうちで奢るから」

 と言ったきり藤井夫妻は、新顔のお客さんの相手ばかりで毬子の方を振り返りはしなかったけど、ふたりが働いているのを初めてじっくり見た気がした。

 前に見た時は子供の社会科見学だったような記憶で。


 翌日。

 電卓をたたいて、捕らぬ狸の皮算用をした後、家にあるものいろいろをデッサンすることにした。

 果物の入った籠、壁にかかった時計、ダイニングのテーブル。昨日もらって早速活けた花束。

 これからは漫画の模写もやってみるし、祐介や明日香たちもモデルにさせる。退職金が残ってるうちに絵をなんとかせねば。

 すぐ目に付く本棚に刺さっていたクロッキー帳は、開いてるページは残り2枚。

 よし。

 心機一転だもんね。画材屋行って買って来よう。

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