第3章 Discharged 第4話

 ふたりが今目撃しているのは、祐介の言う通り、三村芳樹と岩淵由美である。

 毬子にとっては、妹の夫と親友にあたる。

 先の方に書いたが、この2人は元同僚である。

 話を戻して。

「え!?」

「声でかい」

「それって不倫じゃない?」

 言われて明日香は声を潜めた。

「だろうな」

「そうに決まってるよ。ここを歩いてて建物の中に入ってないなんてあたしたちくらいだよ」

「とんでもねえもん見ちまったな……」

「由美さん相変わらずカッコいーね」

 ふとその時、由美が振り返った。続いて、あたりをキョロキョロする。

「どうした?」

「いや、なんか呼ばれた気がして……」

「俺たちを知ってる奴がいたら大変だろ」

「そーだね、ハハッ」

 一度止まってこのような会話を交わした後、2人は神泉駅の方へすたすた歩いて行った。

 祐介は、自覚してるならなぜここに居るんだ、と思いながら、口を開く。

「おい、このことは誰にも言うなよ?」

「どーしよっかなあ」

 言いながら明日香は上を向いた。

「ふざけろ」

 本当にどついたろかとか思った祐介である。

 これはえらいことである。

 そもそも、中学生が何でそんなところに居るんだという突っ込みが来そうだが。

 見てしまったものは見てしまったのだ。

「帰ろうか」

「ああ」

 やっと帰る気になってくれたぜ、と少しホッとしている祐介だった。

「携帯貸して」

 4人組で携帯電話を持っているのは祐介のみである。

「あ、もしもし、おかーさん? あたし。今渋谷……予約してたCD……」

 母親の携帯電話にかけたようだ。


 明日香が母親に電話をかけるに先立つこと数分。

 藤花亭に到着した時はバテていた一哉とみゆきが、ジュースを飲んだりしたおかげで大分回復してきた。

「姉ちゃん、ケータイ貸してよ。どうせここから動かねえんだろ?」

「……失くしたり壊したりしたらただじゃ置かないからね」

「はーい」

 RRRRR

「おっと、あたしか」

 絢子が言った。今日から変えたエプロンのポケットから携帯電話を出す(昨日まで割烹着を着てた)。

「ハイ」

『あ、もしもし、おかーさん? あたし、今渋谷……予約してたCD……』

「明日香かね。そんなところで何やっちょるん? 祐ちゃんはどうしたん?

 早よ帰ってきんしゃい。みゆきちゃんや一哉くんが汗水たらして走り回って、あんた達探し回っちょっとったんよ!」

 その後は娘に相槌を打って電話は切れた。

「渋谷やて。今から帰る言うた」

「何でそんなところに居るのあいつら」

「予約してたCD取りに行ったんじゃ言うとった」

「なんでそんなところまで……」

「とりあえず、携帯貸すのナシにしていいね? 一哉」

「あーい」

 と言った一哉は緊張から脱したか、カウンターにへたばった。腕で輪を作って間に頭を置いている。

「さて、毬ちゃんにメールせんと」

「電話の方がいいんじゃない?」

「瑞絵ちゃんそう思う?」

「うん」

「じゃあ電話にしよっと……もしもし、毬ちゃん? あたしあたし……」

 電話がつながったようだ。


 明日香と祐介が押上に帰って来たのは、藤花亭が夜の開店をしてからだった。

 藤花亭の扉をくぐったのは明日香ひとりだったが。

「明日香! よその街行くのなら断って行かんかい!」

「はーい」

「みゆきちゃんと一哉くんとに探させてごめんって謝って、あと祐ちゃんは? ご飯に連れておいで」

「はいはい、祐介ね」

 明日香は身を翻して外へ出て行った。


「もしもし、毬ちゃん? 祐ちゃん帰ってきたから。もう心配要らないからね」

 絢子は、毬子の携帯の留守電に、メッセージを吹き込む。


「まったく、おまえが携帯切れって言うからとんだ騒ぎじゃねえか。責任取れよ。疲れてるから行きたくねえって絢子おばちゃんに伝えて」

 毬子と祐介のマンションの玄関。

「仁科には電話しとけよ」

「うん……シャワー貸して」

「まだ言うかこの口がー!」

 祐介は明日香の後ろに廻って、彼女の口を横に広げた。

「痛いイタイイタイ!」

 明日香は右手で祐介の片腕をとんとんと叩いた。これは柔道などでよくある「ギブアップ」の意思表示である。

「ごまかさないでよ。今のと同じだよ。コミュニケーションじゃん」

「コメント避けさせて。おやすみ」

「……おやすみ」

 ばたん、とドアが開閉して、明日香が消えた。


 七瀬家から帰宅した明日香は、藤花亭の店の方に廻った。

「祐介疲れてるから来たくないって。今日球技大会だったんだ」

「あー、祐ちゃん活躍したでしょう」

 小さい頃から身体能力は高いのである。

「得点王とってたよ」

「そりゃ呼んで悪かったわ。でも携帯は切らないように言わんとね」

 この母の意見に返事をしなかった明日香は、裏から自宅に入ると、言われたとおりみゆきに電話する。

「もしもし、仁科さんのお宅ですか? いつもお世話になってます藤井です。みゆきさんいらっしゃいますか?」

『はい、今替わります。おねーちゃーん、アスカさーん』

 小学5年生の、みゆきのすぐ下の妹が出て、受話器を塞がずに後半の台詞を叫んでいる。

『ばーか、入ってンじゃん……もしもし、あたし。あんた今日どこ行ってたのよ』

「渋谷。CD取りに行っててさ」

『言って行きなさいよー。七瀬に携帯切らせたでしょー。よっぽどあたしたちが邪魔だったの? 毬子さんがそんなこと言い出してさ』

「うん、邪魔」

『……アスカ……』

「でも祐介その気なさそうなんだよね……」

『あたしは七瀬じゃないからわかんないよ』

「だってあたしたち付き合い始めてまだ4ヶ月だよ」

『あたしなんか片想いだよ。彼氏いたことないから付き合ってる人のことはわかりません』

「もっと盛り上がってもいいのになあ」

『幼なじみにそれを求めるのが間違ってるんじゃないの?』

「そうかなあ……」

 電話は続く。


「いや。だから自動車はこれから……」

 空いているグラスを見つけて、毬子は水割りを作り直した。

 隣では太った熟年男性が、自動車業界について熱く語っている。

「もう今日はそんな堅い話はよしましょう。紗里奈ちゃんに来てもらって……」

「いいですねえ」

 あたしじゃ物足りないですか? と先ほどからその席について水割りを作っている毬子は思う。

 毬子のいるソファの近くを泰子ママが通った。

「ママ入ってよ。ママ」

 ととある偉そうな客が泰子ママを呼んでる。

「はいどうなさいました?」

 泰子ママはとびきりの笑顔をつくって、ソファに着席した。

 ママがひとこと言う度ごとに席がわっと盛り上がる。さすがはママ、盛り上げ上手だ、というかそれが仕事と言って良い。

 盛り上がる中、泰子ママは毬子にこっそり耳打ちした。

「明日話があるから早く来て」

 ? と思う毬子である。


 仕事が終わって、タクシーの中の毬子。

 あ。

 りんだに電話しなきゃ。

 RRRRR

『はい、先輩?』

「起きてた?」

『ぐっすり眠って元気いっぱいっすよー。どうかしました?』

「おとといの朝の真相がわかったよー」

 少しウキウキする毬子。明日の夕方には不安があるから。

「おてんば屋でバルサン炊いて、ハローに断らないでおてんば屋のえらいひとが先に帰っちゃって、センサーがキャッチして、それで消防車が来たんだって」

『なるほどねえ……バルサンか……これいつか漫画に使おう』

「今の話で使えるかね」

 りんだこと里奈は現在月に2本連載を持っているが、どちらもファンタジーである。先日毬子が手伝った方の作品は、最初から、現代日本と違う世界のファンタジー、手伝ったことのない作品は、異世界転生型のファンタジーだ。

『知りたいって言ったの憶えてくれてたんですか? 先輩ありがとうー』

「どう致しまして」

『先輩今仕事終わったとこ?』

「うん」

『お疲れさま。うちでも待ってるよー』

「考えてみる」

『じゃあおやすみなさい』

「おやすみー」

 電話を切る2人。

 毬子はそれっきり、シートに身を沈めて、車が押上に着くまでぼーっとしていた。なんか最近疲れるな、と思いながら。


 翌日。午後3時半。

 早くと言われたので午後3時半に到着。

「あれ?」

 店の扉が開いた。

「毬ちゃん、おはよー」

「おはようございますママ」

「悪いわね早く来て貰って」

「いえ、何か……?」

「うん、それがねえ……」

 泰子ママは一度言葉を切って、姿勢を正した。

 そして。

「毬ちゃん、店、辞めてくれるかな……?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る