第3章 Discharged 第2話

 その頃。

 墨田区立××第6中学校では、球技大会が行われていた。

 体育館。

 バレーボールのネット。

 ネットの上に上がったボール。

「おりゃーっ!」

 みゆきがパワフルにスパイクを決めている。

「やったね」

 チームメイトと腕を上げて手を叩き合う。

 髪をみつあみ2本にした明日香が後衛に下がった。

 サーブを打つ。

 敵チームは返せない。

 ピーッ。

 その時ホイッスルが鳴った。

「3年B組対3年D組は15対7で3年B組の勝ちでーす」

 審判が言った。

 ネットを挟んで選手があいさつをする。


「さ、ベスト4だ。あと2つだよ」

「それよりお腹すいたよ。アスカあ」

「今日は祐介が作ったからね」

「やったあ」

「たまにはおまえも作って来いよな」

 有事の際の弁当を交替で豪華に作っているのである。

「あたし料理できなーい」

「甘えンな」

 明日香とみゆきは教室へ戻る。

 窓辺に寄って、グラウンドを見た。

「あ、ネモちゃんだ」

 みゆきの方が見つけるのが早い。

 さすが片想い、というか。

 サッカーの試合中のグラウンドで今にもシュートを決めそうなのは、祐介である。

 一哉は、今祐介が居るのと反対のゴールの前で腰を落として戦況を見つめていた。


「えー、祐介がこの人に因縁つけたんですか?」

 麻弥がやや大袈裟に驚いてみせる。

「そうなのよ。まったく」

「パチンコすればよかったのに」

「おいおい」

 麻弥と毬子の会話に八木が割り込んできた。

「彼いくつなんですか?」

「中3。ここの次女の明日香と、ツインタワーと同じクラス」

「ツインタワーってあたしの弟ですよ」

 八木の素朴な疑問に毬子が答え、瑞絵がひとこと入れた。疑問が解けた八木は、そりゃパチンコなんかしちゃまずいやろ、と思っている。

「瑞絵ちゃん一哉くんが可愛くてしゃあないもんね」

「もう1人はそこのマツキヨの一番上の娘」

 と、毬子は、知らないうちに八木のアパートの方を指差していた。

「仁科さん家もすっかりなじんだよね」

「まだ2年くらいでしょ」

「話を戻しましょうよー」

 麻弥が言った。

「それで、広島弁だったからここへ案内したら香苗がしなだれかかっちゃってさあ」

「あいつはもう……。

 すみませんでした」

 麻弥は八木に向かって深々と頭を下げた。

「いや、麻弥ちゃん、親友の不始末を君が謝る必要はないんだよ」

 毬子は麻弥に言ったが、

「2度としないでって伝えてくれん?」

 と八木は言った。

「わかりました」

 と言ったのは香苗の父親だった。母親は、

「ところでビール飲む?」

「飲む飲む」

 絢子の勧めに瑞絵がノリノリで言った。

「毬子さんは?」

「あたしゃこれから仕事だよ」

「どーせ仕事で飲むんでしょうが」

「飲んで出勤していい仕事なんかないの」

「あの、仕事何やってんすか?」

 八木が素朴な疑問を言うと、

「ああ、銀座の女。見えないでしょ?」

「えっ!?」

「ちなみに香苗はちっちゃい会社の新人OL。嘘みたいでしょ?」

 驚いた八木に麻弥は追い討ちをかけた。

 このひとはこうして見るととりあえず酒飲むとこの仕事には見えない。逆にこないだしなだれかかってきた女(香苗と言う名前なんだな、と八木はやっとわかった)の方がキャバクラのねーちゃんっぽい。

 キャバクラって……札幌で一度だけ行ったか。札幌のキャバクラの評判の割には大人しい店らしかったけど。

「あ!」

 八木は手を打った。

「どうしたの?」

「さっき大将が言った意味がわかりました」

「なんか言ったっけ?」

「あたしの方が素人っぽいってあれでしょ。よく言われるのよ。店でも銀座に染まってないねってお客さんに言われるもの。でも店に来るお客さんは銀座ずれしてる方がいいんだってさ」

 素人臭い理由は漫画が好きだからかな、などと考えなくもない毬子である。

「毬ちゃん、居直らないで」

「でもさ、親子2人食ってくために必死なのよ」

「産まなきゃ良かったって思わない?」

「瑞絵ちゃん……」

 蜂の一刺しのような瑞絵の言葉に絢子が彼女の名前をこぼす。

「ちょっとね」

 と言って毬子は舌を出した。

「え!?」

 また八木が驚いた。

「どうしたん八木さん」

 絢子が口を挟んだ。

「いや、ホントの親子なんだって……」

「えーっ? そんな風に思ってたの?」

「だって似てないじゃないですか。

 旦那さんはどうしたんです」

 つい嘴を入れていた。

「最初からいない。話すと長いから、いつかね」

 毬子のこの発言で、誰も口をきかなくなった。

 有線が浜田省吾の「君に捧げるLOVE SONG」を流し始めた。


 午後。

 バレーボールで優勝を決めた明日香とみゆきは、グラウンドに出て、祐介と一哉に会いに行った。

「あとひとつじゃない」

 明日香は後ろから祐介の肩をたたいた。

「おう」

「ネモちゃんは?」

「水飲みに行ってる。あ、ほれ、あそこ」

「みゆきだ」

 見ていると、みゆきは、一哉がいる水飲み場の手前7メートルのあたりで派手にすっ転んだ。

「あーまたやった」

「あいつなんでああなんもないところで転べるんだ?」

「謎だよねえ……。さっきあれだけ派手にスパイク決めてた人がさあ」

 転んだみゆきに気づいた一哉が、彼女を叱っている。


 サッカーの決勝戦か始まった。

 敵のシュートを一哉が防ぐ。

 防いだボールを右手でテークバックして……。

 投げる!

 縦に一本、きれいに通った。センターラインを超える。

 小柄な少年が胸で受け止めて、ドリブルする。

 ディフェンスが寄って来たので、パス。

 祐介に渡った。

 祐介が足をあげる。

 シュートッ!

 決まった!

 わああああっ! とグラウンドは一気に盛り上がった。

「いっけえー!」

「いけいけB組―」

 明日香たちB組は、一心に応援する。


 有線から尾崎豊の「15の夜」が流れている。

「これ昔歌ったなあ」

「八木さんギター弾けるんですか?」

「ちょっとね。バンドやっちょったし」

「すごーい」

 麻弥が言う。

「大したことなおらん。ただ、うちのバンドにはエンターテイナーがいてな、物真似うまいから、客を一気に引き込んじまって、文化祭じゃそいつヒーローじゃったよ」

「でもこれくらいの子っていつの世も変わらないんだね」

 絢子が言った。

「へ?」

「明日香がねえ。先生と折り合い悪ぅてね。このままじゃ高校行くのに何かされるんじゃないかってね。まだ内申書ってあったかね」

「こないだのウェーブの黒髪の子ね」

 と八木に補足する毬子。

 瑞絵が言った。

「そういえばアスカ、いきなりパーマかけてくれってうち来てさ。毎度うちでかけてくれるけどなんでわざわざパーマかけるのかわからないんだよね。中学パーマ禁止じゃないの?」

「そうだよ。でもね、あれ、抗議行動なんよね」

「どういうことなん?」

 八木はなんとなく話題に引き込まれていた。

「1年生のときあの子たちのクラスにいじめられとる子がおって、その子かばいよったら先生にまで目の敵にされよったン。それで抗議行動でパーマかけてスカート長くしよったんじゃと。今は短くするのは陳腐だから、よりインパクトあるからやて。あと、脚出したくないらしいし。

 それ以来、いじめとる子と先生と戦いの日々や。

 学校で髪三つ編みにしとるのは後ろの席の子に髪が邪魔で黒板見えん言われて、その子に恨みはなかったけえ、結んどるんじゃと」

 絢子が言った。

「あいつ短いスカート全然履かないじゃん」

 瑞絵が嘴を入れた。

「あの時の連中でしょ。彼女のグループ」

 八木は七瀬親子と初めて出会った日を思い出す。

「そ。良識派を自認する人らはあの子達を不良と呼ぶんじゃけど、いい子達じゃけエ。会ったら邪険にしないでやってな」

「姉妹で全然違うんだよここの娘」

 屈託なく笑う毬子。

 八木は表情が少し緩み始めていた。


「そういえば八木さん、前はどこに住んでらしたんですか?」

 隆宏が皿を洗いながら口を開いた。

「ほじゃねえ。広島ですか?」

「いや、札幌です。高校まで広島で、大学京都で、就職して2年札幌にいました」

 その時倉木麻衣の「FEEL FINE!」が流れ始めた。

「この子大学卒業したんだっけ? 京都だよね?」

「そーそー。あ、八木さん大学京都ってことは、この子とおんなじとか!?」

「この歌歌ってる子? そうですよ。見たことないですけどね」

「すごーい」

 何がすごいんだ。

 別に言わなくてもいいことじゃないか。

 なんでしゃべってるんだろう。

「すいません、トイレどこですか?」

「あ、こちらへどうぞ」

 絢子が手を指して教えたのは、座敷の奥だった。

 8人座れるカウンターがあって、カウンターの真正面が出入り口で、カウンターの左手に座敷が3組分あって、その奥。カウンターにくっつく厨房の奥が藤井さんのおうちの部分だ。


 用を済ませて鏡を見て。

 え!?

 どうして俺は涙なんかこぼすんだろう。

 八木は左目から涙を流している自分に呆然としていた。


 涙を拭いた八木がトイレから出てきて。

「さー、明日香の誕生日の話はこれでいいでしょ? 麻弥ちゃん、昨日の朝の消防車の真相、話してくれるよね?」

 毬子は麻弥をまっすぐに見た。

「八木さんと祐介の話に比べりゃ大した話じゃないですよ。

 おてんば屋でおとといバルサン炊いたんですよ。それで、水野さんうちに断りもしない、警備会社に連絡もしないで帰っちゃって」

「なあんだ」

「そういや昨日の朝早く、サイレン聞いたなあ……毬子さんそれ見てたの? なんで?」

 瑞絵は更にわからないという顔をした。そこで毬子は、

「りんだの手伝いしてたのよ。りんだ昨日で結婚前の仕事全部終わったんだって。

 あ、昨日のメンバーは、漫画家とアシスタントだったんですよ。売れてる少女漫画家があたしの中学の後輩に居るんです」

 と前半は瑞絵に、後半は八木に言った。

「俺の方は……あいつが朝の飛行機で札幌に帰るから、駅まで送る途中でした。で、水野さんて?」

 と八木が質問もする。

「おてんば屋の店長です」

「そうなの? 誰かが言ってたけどそうなの。

 にしちゃえらい騒ぎじゃないの」

 毬子は絡む。

「だから、連絡しないと警備会社が自動的に消防に連絡しちゃうんですよ。うちでもバルサン焚く予定だったけどやめました。バルサンには懲りました」

「ホウサン団子仕掛けてみたら? うちそれよ」

 絢子が言った。

「そういえばここでゴキ見たことないねえ」

「よく効くよー」

「うちもホウサンにしたら効いてる」

「毬子さん家もそうなの? うちもそれにしようかなー。なんせうち古いからさ……」

 瑞絵が老朽化する我が家兼職場の愚痴をこぼし始めた。


 それからあーでもないこーでもないと盛り上がっていたのだが(来訪者は来なかった)、4時になった。

「あたしそろそろ帰って準備しなきゃ」

「お疲れ様でーす」

 という声が出たところで、扉の向こうから声がした。

「毬子さんいるー!?」

「大将―!」

「電源入れちょらんから手で開けえ」

 隆宏は、呼ぶ声におっとりと言い慣れた台詞を言う。

 ガラッと開いた。

 そこには、白いシャツに黒いズボンの一哉と、白いブラウスに紺無地のプリーツミニスカートのみゆきが立っていた。毬子が「あ、ツインタワー」と小声で言うのが八木と麻弥には聞こえた。

 本当にでけえな。

 マジで中3かよ。この子ら。

 多分この男の子、俺より背高い。

 女の子も俺くらい身長ありそう。胸もありそうだし、佐藤江梨子みてえ。

 おっと、と八木が思う横で瑞絵が弟に聞く。

「どうかしたの?」

「姉ちゃん、ケータイ貸して」

「だからなに?」

「七瀬と藤井がいないんだよ!」

「あらま」

 毬子が目を丸くした。。

「連絡ナシに突然いなくて、ケータイ切ってるし……」

「学校帰りにどっか行ったンじゃないの?」

「あんたたち邪魔にされたのかもよ。あんまりいつも一緒だからたまにはふたりきりになりたーいって」

「……」

「ちょっといいスか?」

「どーぞどーぞ。ジュースでも飲む? えらい走り回ったみたいだもんね」

 中学生ふたりはカウンターに身をぶつけるように座った。

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