どこにいる?
「どこにいる?まぁいい。今からお前を殺しに行く。必ず探し出してやる」
突然かかってきた非通知の相手は、鬼気迫る声色でそう告げた。その言葉に狂気を感じたぼくは驚き、家を飛び出した。車はあいにく持っていない。とにかく家はまずい。きっと見つかってしまう。走ってできるだけ遠くへ逃げよう。
しばらく走っていくと海岸に出た。ここなら見通しも良いし、奇襲される可能性は低い。頭上は曇天、海は大荒れだった。右手の海を眺めると、一面灰色の世界が広がっている。
灰色の高い波が連なり、砂浜に打ちつける。それらは消波ブロックや、砂や、遠くに見える堤防にぶつかって砕ける。白く薄い波がしつこくこちらに迫ってきて、また海へと引き返していく。
白い霧のような潮が辺りに立ちこめている。波が砕けるたびに、煙が立ち上るようにそれは宙に漂う。空気はひたすらに湿っていて、べとつく。視界が悪い。けれど今は好都合だ。目立たぬよう、周囲を警戒しながら足早に移動する。
またしても携帯電話が鳴った。おかしい。先ほど電源を切ったはずだ。恐る恐る画面を見ると、やはり非通知だった。
「もしもし?」
「どこにいる?出てこい。お前は僕を裏切った」
それだけ言うと電話は切れた。ますます気持ちが悪い。ぼくが裏切った?彼は誰なんだ?疑問が頭の中で渦を巻く。見当もつかない。ぼくは、誰かの恨みを買うような真似をしたのだろうか。
思い当たる節が無くはないけれど、それにしては手が込みすぎている。いま思い浮かんだ人々は、果たしてここまでするだろうか?
なにより彼には理性が感じられない。狂気的だ。ぼくがどこにいるのかも分からないまま、ただひたすらに殺してやると脅してくる。とても、ぼくの知り合いがやりそうなことではなかった。
分からない。ただただ怖い。気づくと走り出していた。とにかく遠くへ、この海岸沿いを走る。
息が切れて立ち止まった。かなりの距離を走ってきた。灰色の世界に霧のような潮が広がっている。それが余計に不安を駆り立てる。波の音が地響きのように地面を伝っている。空は今にも泣き出しそうだった。
また電話が鳴った。相手は確認するまでもなかった。
「どこにいる?早く出てこい。お前がどこに居ようと、必ず見つけて復讐してやる」
「一体お前は誰なんだ!ぼくに何の恨みがある!」
「お前を絶対に許さない。お前は僕を裏切った」
またしても電話が切れる。何なんだ。一体何が目的だ?声色から感じられるのは怒りと狂気。理屈が通じる相手ではない。わけが分からず、焦りばかりが募っていく。
一度立ち止まり、落ち着けと自分に言い聞かせる。なにかヒントはないか?相手の正体を突き止められれば、対処法も思いつくかもしれない。
話している内容はよく分からないから、声について考えてみる。明らかに男の声だ。けれど今まで聞いてきた誰の声とも違う。いくら知り合いの顔を思い浮かべても、あの声に合致する人間は見つからなかった。
どこかで聞いたことのある声だ。どこでだ?必死に思い出すが分からない。
そのとき、雨が降ってきた。とても激しい雨。傘も持たずに飛び出したので、為す術なく濡れる。視界がさらに白く霞む。雨粒が灰色の海を叩く。
立ち止まっているのも落ち着かないのでまた足早に歩き出す。雨はすぐに止んだ。それと同時に、電話が鳴った。
「お前は、僕の希望だった。お前は、僕のすべてだった。僕は、お前を信じていた」
「わけが分からない。いい加減にしてくれ!お前は何なんだ!」
こちらの話を聞く気はないらしく、電話が切れる。頭がおかしくなりそうだ。灰色の空の下、携帯電話を見つめる。と、突然、大音量で音楽が鳴り始めた。止めようと操作するが、いうことを聞かない。音楽は流れ続ける。まずい。このままでは見つかってしまうかもしれない。
再び走り出した。ポケットから音楽が流れ続けている。知っている曲だ。ぼくが、大好きだった曲だ。ボーカルが叫ぶように歌う。
『お前が見えない。お前はどこにいる?』
うるさい、黙れ。携帯電話を投げ捨てようとも思ったけれど、どうしてもそれはできなかった。なぜか怖くて仕方がなかった。
走り疲れて立ち止まる。白い霧の向こうに人影が見えた。思わず凍りつく。まずい、逃げなければ。そう思うが、足が動いてくれない。
人影はこちらに近づいてきた。徐々にその容姿が明らかになる。パーカーのフードを被っている。男だ。顔はよく見えない。ぼくの一メートルほど手前で立ち止まった。彼はフードを脱いだ。
「なあ、どこにいる?僕は、お前のどこにいる?」
目の前には、ぼくの知る僕が居た。
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