第288話 慎太郎と楓
「海なんて久しぶり。当たり前だけど誰もいませんね。」
「そうですね。」
ーー楓と慎太郎は小山駅の隣にある亡来駅で下車し、駅から少し離れた所にある亡来海岸へとやって来た。
道中一言も交わさなかった2人だが、ここに来てようやく楓から口を開き、2人の間にあったなんとも言えない緊張感が少しだけ取り除かれた。
2人は波打ち際まで行く。すると楓が履いているハイヒールを脱ぎ、海の中に足を入れる。
「ウフフ、冷たくて気持ち良い。」
「波に気をつけて下さいよ?いきなり強いの来たらスーツがびっしょびしょになりますからね?」
「タロウさんもどうですか?」
「俺はいいですよ。」
ーー楓が少し屈んで両手で海水をすくう。そしてそのすくった海水を慎太郎にかけ出す。距離が近いから当然大当たり。慎太郎のTシャツの前部分がびっしょりと濡れてしまった。
「ちょっ!?何をしてんですか!?」
「えいっ!」
ーーパニくる慎太郎に対し、楓が二撃目を喰らわす。それもまともに喰らった慎太郎はジーンズの股間付近がびっしょりと濡れ、まるで漏らしたかのような感じになってしまった。
「ウフフ、タロウくんはその歳になってもお漏らししちゃったのかな?お着替えしまちゅかー?」
ーー楓が慎太郎を煽る。お気に入りの高いTシャツとジーンズを海水で濡らされてちょっと本気で怒ってる慎太郎はその煽りを簡単に受けてしまう。
「…ふーん。戦争だな。戦争をやろうって言うんだな。受けて立つぜ。」
ーー慎太郎が靴と靴下を脱いで戦争の準備に入る。だが戦時下にそんなモタモタしている馬鹿は簡単に命を落とす。
「隙あり。」
ーー楓が靴を脱いでる慎太郎に爆撃を加える。当然慎太郎の靴はびっしょりだ。無駄に15万以上する靴が海水でびっしょりだ。
「ああっ!?俺のイージーブースト350V2が!?こ、これいくらすると思ってんですか!?」
ーー慎太郎が怒りを露わにし出す。だが楓はしれっとした顔でそれを一蹴する。
「知りませんよそんな汚い靴。500円ぐらいじゃないですか?それより良い靴、100足ぐらい買ってあげますよ。ウフフ。」
ーー楓のその言い振りに慎太郎はとうとう堪忍袋の尾が切れた。海水の中に足を入れると、少し屈んで両手で海水をすくう。そしてそれを楓にぶっかける。
「きゃっ…!!な、何するんですか!?このスーツ高いんですよ!?」
ーー楓のスーツは50万もするブランド品である。
「知りませんよそんな酒臭いスーツ。リサイクルショップで5000円で買ったんじゃないですか?それより良いスーツ、俺が10着ぐらい買ってあげますよ。あはは。」
ーー慎太郎のその言い振りに楓はとうとう堪忍袋の尾が切れた。
「頭に来た!!やってやるわよ!!」
「よっしゃ、こいやダメープル!!」
「だ、ダメープル!?私の事を陰でそんな風に呼んでたのね!?酷い!!!訴えてやる!!!」
「本当の事でしょ。自分の過去の行動を振り返ってみればいいじゃん。」
ーードヤ顔の慎太郎に楓は最高潮にイライラしている。だが楓だって黙ってはいない。
「…自分なんて34歳童貞のくせに。」
「ぐはっ…」
ーー楓のその言葉に慎太郎のダメージはオバーキルであった。
「ぐぬぬ…言ってはならん事を言ったな…もう戦争だ!!!喰らえダメープル!!」
ーー慎太郎が海水をすくって楓の顔にぶっかける。それが見事に命中し、楓も完全にスイッチが入った。
「やったわね…34歳童貞のくせに…!!!喰らいなさい!!!」
ーー楓も海水を慎太郎にぶっかける。
茶番だ。くだらない程の茶番だ。ただイチャイチャしてるだけの茶番だった。これが十数分続くのであった。
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「びしょびしょ…」
「いい歳して俺たちは何やってんだか…」
ーー海水がたっぷりかかった事で頭が冷えた2人は戦争を中止した。
「わっぷ…!」
ーー慎太郎がバスタオルの半分程の大きめのタオルで楓の頭を拭き始める。
「いくら真夏でも濡れたままだと風邪引きますからね。拭いて下さい。」
「…準備良いんですね。」
「何かの時の為に入れてあるんです。」
ーーそういう所がズルいんだと楓は心の中で思っていた。
「…出会ってからなんだかんだで結構時間過ぎましたね。」
「3ヶ月ぐらいですね。でも一年以上一緒にいる気分ですよ。ほとんど一緒にいるからですね。」
「美波ちゃん、牡丹ちゃん、アリスちゃんとの出会いはロマンティックなのに私との出会いは最低でしたよね。女の子を奴隷にしてるとんでもない屑男だと思ったから憎しみを向けていましたからね。」
「あはは。そう言えばそうでしたね。懐かしいな。」
「そして…あなたと行動をともにするようになり、あなたという人を知って惹かれていきました。」
「…そうですか。」
「決定的だったのは第一回クランイベントの時です。あの時の私は死を覚悟していました。美波ちゃんを守るって約束したのにその誓いを果たせずに散っていく。そんな惨めな自分を受け入れていました。でも…あなたが来てくれた。心から安心出来た。その時に気づいたんです。あ、この人の事が好きなんだ、って。」
ーー楓が慎太郎に抱きつく。
「だから…そんな事言わないで下さい…忘れろだなんて言わないで下さい…あなたがいない人生なんてもう考えられない…あなたがいる事が恥ずかしいなんて思うわけないじゃない…あなたにおはようって言ってもらえて、あなたにおやすみって言ってもらえるだけでいいの…それ以上何も求めない…言いたい奴には言わせておけばいい…だから…私のそばにいて欲しい…」
ーー楓が泣きながら慎太郎に懇願する。
ーー慎太郎が楓を抱きしめ返す。
「ごめん楓さん。俺は捻くれてた。俺が楓さんのそばにいる事で迷惑かけてるって思ってた。でもそれは言い訳だった。小木津に言われた事で楓さんに八つ当たりしてたんだ。それでさも自分を正当化していた。本当にごめん。本当は俺だって楓さんといたいよ。」
ーー楓が慎太郎の言葉を聞いて声を上げて泣きじゃくる。
「馬鹿ッ…!!女を泣かせるなんて最低ですッ…!!」
「ごめん。」
「頭を撫でて下さい。」
ーー慎太郎が楓の頭を撫でる。
「…もうあんな事言わないで下さい。」
「言わないよ。約束する。」
「お陰でこんな所まで来て帰るの遅くなってるから、さっきから凄い勢いで牡丹ちゃんから電話とメールとラインの通知が来てるんですからね。知りませんからね。」
「どうしよう。家のドア開けたら牡丹が包丁持って立ってそうで怖いんだけど。」
ーーそれはリアルにありそうで怖い。
「…私にそばにいて欲しいですか?」
「うん、いて欲しい。」
「私にだけ?」
「…ごめん。最低ついでに言わせてもらうと美波にも牡丹にもアリスにもいて欲しい。」
そう答える事もわかっていた。でも私はそれでもいい。
「…しょうがないな。今日の所はキスしてくれればそれで納得します。してくれますよね?」
「もちろん。」
「今、この一瞬だけは私だけを好きでいてくれますよね?」
「…はい。楓さんだけです。」
彼との口づけを交わす。誰もいない夜の海で。外気の暑さに負けじと私たちも濃密で熱い口づけを交わした。
「…ウフフ、激しい。そんなに私の事が好きなんですか?」
私は自分が優位な気分になりたくて彼に意地悪な質問をしてみた。返ってくる答えがわかっているくせに。
「当たり前じゃないですか。大好きですよ。誰にも渡したくない。」
彼の甘い言葉が私の胸を熱くする。やっぱり彼のいない生活なんて考えられない。
「そもそもまともな仕事をしてないとか、紹介出来ないとか何とか言ってましたけど私を選んでくれた時はタロウさんは家にいてもらいます。」
「え?」
「私が働いてタロウさんは家で家事をやって下さい。それが一番です。だからそんな事を考える必要なんて最初からないんです。」
「…俺、ヒモみたいじゃないですか。」
「ウフフ、良いじゃないですか。私がずっと養ってあげます。」
「…仮にそうなったら全力で楓さんのサポートしますよ。」
「お願いします♪」
「じゃ、帰りましょうか。」
「はい♪」
ーー未来の私へ。あなたは今、誰といますか?願う事なら、その隣に彼がいる事を切に願っております。
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