第285話 嫌な予感

「ふぅ…これで今日の業務は終わりね。」


もう夜の8時か。いつもは定時に帰るのに遅くなっちゃった。 週の初めはどうしても仕事が多くなっちゃうわよね。それに来週からお盆休みだから仕事を前倒しではけないといけないからより一層大変になっちゃった。でも来週は旅行楽しみだな。友達と旅行なんて初めてだから今からウキウキしちゃうわよね。今日からみんなでワイワイしながら予定を立てなきゃね。ウフフ。

それに…その時にタロウさんとの距離を縮めないと。うまくみんなを出し抜いてそこで勝負をかけるしかないわ。タラタラしていても何の進展も見込めないのはこの2ヶ月で良くわかったし。それにノートゥングまで参戦するのは厄介よね。あの2人の相性の良さははた目から見ても明らか。油断したら一気に持っていかれるわ。でも…現状で一番厄介なのは牡丹ちゃんよね。今週末に2人っきりで一泊する事になってしまったんだから一歩間違えれば今週でこの聖戦の覇者が決まってしまう。誓約があるから当日の邪魔は出来ないけど、それまでの間に邪魔をしておくしかないわね。別件で美波ちゃんと打ち合わせしないと。うん。


ーー楓は身支度をして事務所が入っているビルを出る。楓が勤めている法律事務所はゲゼッツ法律事務所という業界最大手の事務所だ。顧客は基本的には社会的地位の高い人間しか相手にしない。早い話がお高いのだ。それにより本社ではなく支社であったとしても凄い所に事務所を構えている。茨城では地価の高い常陸市にある去年できたばかりの、地上30階建てのビルの上層5階を全て買い上げ、所属の弁護士全てに個室が与えられる程の待遇。そんな所に楓は勤めているのだ。本来ならば慎太郎なんかとは決して交わる事の無い人生を歩んでいるのが芹澤楓という女性である。


ーー楓がビルから出て駅へ向かおうと歩いていると背後から声をかけられる。


「芹澤先生。」


ーーその声に楓が振り返る。そしてその声の主を確認すると楓は一瞬嫌な顔をするがすぐにいつものキリッとした顔へと戻る。


うわぁ…最悪…まさかコイツに会う事になるとは…やっぱり早く帰るべきだったわ。


「お疲れ様です。珍しいですね?今お帰りですか?」


私に馴れ馴れしく話しかけてくるこの男は小木津修治。同僚の弁護士だ。私はこの男の事が好きではない。ただ一人の例外を除いて男は全員大嫌いだが、この男は特に嫌いだ。自分の学歴や地位をひけらかし、それで女を釣ったり、周りに自分は凄いんだアピールをしているのが腹が立つ。更には転勤して来てからのこの2ヶ月の間に幾度となく食事に誘われるのが鬱陶しくて仕方がなかった。下心があるの見え見えなのよね。はぁ…ついてない…


「お疲れ様です。小木津先生も今お帰りですか?」


「ええ。仕事が立て込んでいましてね。ギルギックインシュアランスの案件を請け負っているんですよ。ボスからの直々の指名でしてね。お陰で休みもありませんよ。ハハッ。」


…また自慢が始まった。この男の自慢話が一番癇に障るのよね。イライラするわ。


「大変ですね。ではお先に失礼致します。」


さ、帰りましょう。挨拶はしたんだからもう十分よね。こんなウザい男とこれ以上関わりたくないわ。


ーーだが楓が立ち去ろうとした時に小木津に呼び止められる。


「芹澤先生、少しお時間ありますか?あなたに相応しい店を知っているんです。僕にエスコートさせて頂けませんか?」


うわ…キモ…自分に酔ってるんじゃないかしら…?そんなギラついた眼の人間にくっついて行くわけないでしょ。あなたの見た目は弁護士じゃなくてチャラいホストよ。


ーー楓の言う通りこの小木津という男の見た目はホスト丸出しだ。歳は28だが、ホストの様な長髪で茶髪、色黒、香水臭い、といった楓が嫌いな三拍子を揃えたバッドガイだ。顔こそそこそこではあるが、楓のストライクゾーンには入らないのでアウトオブザ眼中なのである。


「いえ…大丈夫です。失礼しますね。」


逃げよう。何だが気持ち悪いし。そもそも早くしないと電車に乗り過ごしてしまうわ。東京と違って1時間に1本ぐらいしか走ってないから乗り遅れたら厄介よね。急ぎましょう。


ーー楓が小木津から逃げようと小走りで駅へと走り出す。だが小木津に腕を掴まれ行く手を遮られる。


「待って下さいよ。僕は本気なんです。」


「ちょ、ちょっと!離して下さい!!」


なんなのこの男は…!?はぁ…同僚だから我慢していたけど仕方ないわね。引っ叩いて帰りましょう。


ーーイライラが最高潮になった楓がビンタをかまそうと手を振り上げた時だった。


「楓さん?」


ーー楓は声のする方を向く。すると、そこにいたのは楓の想い人である慎太郎だった。コイツはこういうタイミングの時に現れるイケメン属性を持ってるのが腹が立つ。


「た、タロウさん!?ど、どうしてここに!?」


な、なんでタロウさんが!?私は夢でも見てるのかしら。間違い無くタロウさんよね。


ーー楓は突然の慎太郎の登場にパニくるが時計の針が止まる事は無い。粛々と事態は進行して行く。


「近くで仕事だったんですよ。」


ーー楓に言葉をかけながら慎太郎は小木津の事を見る。そして楓の腕を掴んでいる手に視線を移すと小木津がその手を離す。小木津が不快な表情を見せながら楓に尋ねる。


「芹澤先生、こちらの方は?」


「…友人です。」


「ご友人ですか。」


ーー小木津が品定めをするかのような目で慎太郎を見る。だが慎太郎はそんな事を特に気にする様子も無く小木津へ挨拶をする。


「初めまして。田辺です。」


「小木津です。芹澤先生とは同じ事務所の同僚という間柄です。今は。」


ーー小木津は慎太郎に対して挑戦的な態度で接する。


今はって何よ。あなたとは同僚以外何でもないわ。未来永劫ね。


「そうだ。では3人で飲みにでも行きませんか?こうして田辺さんとも出会えたのだから。色々とお話しもしてみたいですし。どうですか?」


…嫌な展開になったわね。この展開だけは避けたいのだけれど。


ーー楓が慎太郎へチラりと視線を送る。すると慎太郎はそれを察してか小木津へと返答する。


「私は構いませんよ、仕事も終わりましたし。いつもならこの後に行く所があるので難しいのですが、今日はその予定も無いので。」


そうだった。今日は牡丹ちゃんの迎えに行かなくていいんだった。明日模試があるからそれに備えて勉強する為お店の手伝いはお休みにしたのよね。絡みが悪かったわね。タロウさんとしては私に気を遣ってるのだろうけれど…


ーー楓はこの展開が非常に好ましくなかった。慎太郎と一緒の時に小木津とは会いたくなかったのだ。きっと慎太郎に嫌な思いをさせることになる。楓はそれを心配していた。


「では決まりですね。行きましょうか。良い店を知ってるんで。」


「わかりました。」


ーー話がまとまり2人が動き出すので仕方なく楓もついて行く事にした。

移動中、楓が唇を噛みながら何とか早く撤収する術と、余計な展開にならない話の流れを思案する。そしてその中で楓は、『こういう流れって少女漫画で見た事あるわ。大概ロクな展開にならない事が多かった気がする…』と、思い出した為、絶望色濃いめで店へと向かったのであった。

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