第113話 島村牡丹

私は花屋の娘としてこの世に生を受けた。花が大好きで優しい父、身体が弱く寝込みがちだけど優しい母、その2人の子として私は産まれた。

私は家業の花屋がとても好きだった。店構え、雰囲気、何より店内を包む花の良い香りを毎朝感じるのが心地良かった。その匂いを嗅いで毎朝登校するのが私の幸せであった。


ーー両親の苦労も知らずに。


私は昔から古風な事が好きだった。それで剣道に関心を持ち中学入学を機に両親に頼んで入部させてもらった。剣道に打ち込む毎日はとても楽しかった。初心者ながら中学2年の全国中学校総合体育大会では優勝する事が出来た。それから卒業まで出る大会全てで優勝し、とても満足な結果を残す事が出来た。

勉強面でも学年トップを入学以来維持する事ができ、地元では最高峰の高校である雉ノ森学園高等学校に入学金、授業料全額免除の特待生として入学する事が出来た。

全てが順風満帆に上手く回っていた。人との付き合いが上手ではないので友達は少なかったけれど私は生きているのがとても楽しかった。


ーー自分の家が置かれている状況も知らずに。


高校に入学してからも私の人生は上手く回っていた。剣道では初出場のインターハイ、玉竜旗で個人優勝を果たす事が出来たし、定期テストでの学年トップは特待生として当然だが、全国模試で3位に入る事が出来た。私は自分が誇らしかった。大好きな父に名付けてもらった牡丹の名に恥じない人間になれたと思っていた。


ーーだがそれが崩壊する時がやってきた。


年が明けてすぐに父は亡くなった。過労死だった。私はその時に初めて家の実情を知った。私は自分を恥じた。呑気に過ごしていた自分を殴ってやりたかった。呑気に高校に通って働かなかった自分を殴ってやりたかった。

私は父に謝罪をした。そして誓った。必ず店は私が守ると。


ーー例えどんな事をしてでも。


私はすぐに剣道を辞め、学校から帰って来たら店の運営をする事にした。だが社会経験の無い16の小娘に運営などは出来るはずがなかった。付き合いのあった葬儀場からの契約は一方的に切られる事になった。当然ながら契約を繋ぎ止める術はあった。担当の男が『契約を継続させたければ誠意を見せて欲しい。女にしか出来ない誠意を。』いやらしい笑みを浮かべながら私はそう言われた。だが私はそれを断った。そんな事をする程落ちぶれたりはしない、そんな事をしなくても何とか出来る、そう思ったからだ。


ーー嫌な事が続く時には続くものだ。


ある日の事だった。小学校からずっと一緒の幼馴染の男の子が店に来た。最初は大丈夫か、辛く無いか、などの言葉をかけてくれたので私はとても嬉しかった。その言葉に涙が出そうになったぐらいだ。


ーーだがそれはこの男の本音では無かったのだ。


「なぁ島村…俺さ、一万なら出せるよ。」


「え…?」


「だからさ、わかんだろ?ヤラせてくれれば一万出すよ。」


こんな男の言葉に嬉しいなんて思った自分を殴ってやりたかった。私はこの時に男のなんたるかを悟った。


「…帰って。」


「じゃあ口だけでもいいよ!!それで一万やるよ!!」


「帰って!!」


「ちっ…貧乏人のくせにお高くとまりやがって。どうせ借金なんか返せねえだろ。俺が定期的に援助してやっても良かったのによ。じゃあな。」


彼が帰った後に私は部屋で泣いた。こんなに悔しい事は初めてだった。絶対に店を軌道に乗せて立て直してみせる。そう私は心に誓った。


ーーだが現実はそんなに甘くは無い。


それから5ヶ月であっという間に店の経営は成り立たなくなった。借金の利息すら払えなくなり、どうにか私でも働ける仕事は無いかとインターネットで検索していた時に俺'sヒストリーというゲームと出会った。そのゲームは過去を変える事が出来るというものであった。俄かには信じられない話だが一度プレイをしたらその考えを改めさせられた。

私は父を生き返らせる事が出来るという喜びに心が震えた。しかもそれだけではなくゲームクリアをした暁にはどんな願いでも叶えてくれるというのだ。この借金も無かった事に出来る。それから私は一心不乱にこのゲームを進める事にした。運が良かったのかチュートリアルガチャでアルティメットレアを手に入れる事が出来た私は他を圧倒し、”闘神”という位にまで上り詰める事が出来た。だがその時に気づいてしまった事もある。恐らく私にはゲームをクリアする時間は無い。借金の取り立てはそこまでは待ってくれない。きっと迫られる事になる。店を手放すか、この身を捧げるか。

私は絶望に包まれた中で生活を送っていると”闘神”の会合というものに呼び出された。もう俺'sヒストリーにさしたる興味は無い。そう思いながらも僅かな希望にすがるようにゲームを続けていた。会合に行くとクセのある者たちがいる中でとても綺麗な女性と出会った。優しそうな心地良い雰囲気が出ていたので内気な私としては珍しく自ら声をかけてしまった。そんな私を快く受け入れてくれて友達になる事が出来た。久しぶりに嬉しい事があったと思える日だった。


ーーそんな私に1つの出会いが訪れた。


居間で内職をしていると久しぶりに店の扉が開く音がした。私は嬉しくなって店内へ出ると男性が花を見ていた。男性という事に落胆しかけたが不思議と嫌な空気が無かった。凄く心地良い雰囲気を出している優しい顔の男性だった。


「いらっしゃいませ。」


私が声をかけるとその男の人は私をじっと見ている。何だろう顔に何かついてるのかな。


「あの…?」


「あ、す、すいません。ぼーっとしてしまいました。」


今まで見た事の無いタイプの男性だ。裏表が無いような方に見える。


「何かお探しでしょうか?」


「すいません…これといって探してる物があるわけではないんです。お店の雰囲気が良くて惹かれて入ってしまいました。花屋さん自体入ったのは初めてなんです。あ!でも冷やかしじゃありません!ちゃんと買います!」


やっぱり裏表の無い人だ。なんだかそれがおかしくて私は笑ってしまった。


「正直な方ですね。」


「…お恥ずかしい。」


「でも惹かれて入って頂けたのでしたら嬉しい限りです。ご迷惑でなければ私がお見繕い致しましょうか?」


「ぜひお願いします。」


「かしこまりました。どのような花が好きとかございますか?」


「小学校の時に朝顔を育てたぐらいしか経験が無いので特に何が好きっていうのは…あ!でも花は好きです!本当です!」


こんな人もいるんだな。


「ふふ、本当に正直な方ですね。」


「…度々お恥ずかしい。」


「贈答用ではなくご自宅で育てられるんですよね?」


「はい。」


「ご予算はおいくらぐらいでしょうか?」


「それはお任せします。店員さんの好きな花でしたらきっと良い花だと思いますので。」


「ふふ、ありがとうございます。ではこちらではどうでしょうか?」


何故だかはわからない。わからないけど私はこの方に牡丹の花を勧めていた。


「凄く綺麗な花ですね。一目惚れしました。何という花ですか?」


「牡丹です。私はこの花が大好きなんです。実は私の名前もこの花と同じ牡丹と言います。牡丹の花言葉は誠実。父が牡丹のように美しく誠実な人間になって欲しいと願いを込めて付けてくれました。私にとってこの花はとても特別な存在です。」


「お父さんの想いが伝わる良い名前ですね。そしてその願い通りに成長された。お父さんも鼻が高いでしょうね。」


「いえ、私なんてまだまだです。名に恥じない人間になれるように精進しております。そうすれば父も喜んでくれるかな…」


「お父さんに何かあったんですか?」


「…父は半年前に亡くなってしまいました。」


「すみません…」


「気になさらないで下さい。もう受け入れてますから。」


今日初めて会った人に身の上話をするなんてどうかしてる。それだけ心が弱ってるのかな。


「この花…牡丹を頂けますか?」


「よろしいのですか?」


「はい。店員さんが進めてくれたのですから間違いは無いと思います。何より僕が一目惚れしましたから。」


「ありがとうございます。ではお包み致しますので少々お待ち頂けますか。」


「わかりました。」


凄く良い人だな、こんな男性もいるんだな。誠心誠意を込めてお包みしよう。そうだ、育てた事無いって言ってたから育て方も描いてあげよう。


「お待たせ致しました。3480円になりますがよろしいでしょうか?」


「はい。5000円でお願いします。」


「お預かり致します。では1520円のお返しになります。中に水やり方法などを書いたカードを入れておきましたので宜しければ参考になさって下さい。」


「ご親切にありがとうございます。育て方がわからなかったので助かりました。」


「よかった。喜んで頂けたのなら嬉しいです。」


「大事に育てます。ありがとうございます。」


「ありがとうございました。是非またいらして下さい。」


男性が帰ると何だかぽっかりと心に穴が空いてしまったような気分になった。もう少しお話をしたかったと思ってしまう私のこの気持ちはなんなんだろう。寂しいのかな…でも…凄く幸せな時間だった…



そんな事を考えてレジに座っていると店の戸が開く。お客さんが入って来たのかと思い、挨拶の声を出す。


「いらっしゃいまーー」


…これが現実だよね。


「いらっしゃいましたー!!」


「おう、邪魔すんぜ。」


借金取りの男たちが店内に押し入る。男たちは我が物顔で店内をうろつき始める。


「…何の用でしょうか。」


「おいおい牡丹ちゃん。そりゃあねぇんじゃねぇのか?今月分の利息がまだなんじゃないかい?」


「…わかっています。月末までには何とかご用意致します。」


「月末ねぇ。本当に用意できんのか?ちっとも儲かってねぇじゃねぇか。」


「……」


私は本当の事を言われ何も言い返す事が出来なかった。


「なぁ牡丹。もうこの店を手放しちまった方が楽なんじゃねぇか?お前も苦しいだろ?」


「…店は手放しません。」


「ならよ、俺が良い仕事紹介してやるよ。お前ならそんな借金すぐに返せるようになるぜ?どうだ?」


「やめて下さい!!牡丹に変な事を吹き込まないで!!」


突然の怒号がするので振り向くと店の奥からお母さんが出て来た。


「お母さん!?」


「寝てないと駄目じゃない!!ここは私がーー」

「いいから!!黙っていなさい!!」


お母さんが男たちのリーダー格の男の前に立つ。


「借金は必ず返します。ですから牡丹に変な事を吹き込むのはやめて下さい。」


「ふぅ…島村さんね、借金返す返すって言いますけどいつ返すんです?返せないでしょ?俺たちも馬鹿じゃねぇんだ。おたくの店の経済状況は調べてんだよ。だったら店を売るか、娘を売るかしかねぇだろ?」


「…どちらも選びません。」


「チッ。俺たちも甘く見られたもんだな。オイ、ちょっと怖い目みしたれや。」


「ウス。オラァ!!!」


男たちが店内を荒らし始める。鉢植えやテーブルなどをひっくり返し、店内には鉢が割れる音が響き渡る。


「やめて!!!」


お母さんが男たちを制止しようと体に掴みかかる。

だが、


「すっこんでろババア!!!」


「ああっ…!!」


お母さんが男に突き飛ばされ、床に叩きつけられる。


「お母さんッ!?」


私はお母さんに駆け寄る。体を抱き起こし店の奥側に避難をする。男たちはそれを見ると顔をニヤつかせながら続きを始めようとした時だった。



「おい、警察を呼んだからな。」


男性が店内へと入って来る。警察というワードを聞き、下っ端の男たちが狼狽え始める。


「龍崎さん…どうします…?」


「チッ…引き上げんぞ。」


その男性の言葉に屈したのか龍崎たちは店から出て行った。


「あ…先程のーー」


男性にお礼を言おうとしたその時、ドンという音がするのでそちらへ目をやると、お母さんが倒れていた。


「お、お母さんッ!?しっかりしてッ!?」


「牡丹さん!!身体を揺すらないで!!救急車呼びますから!!落ち着いて!!」



その男性…タロウさんのお陰でお母さんは何事も無く済んだ。そしてタロウさんに私は自分の置かれている状況を全て話した。彼が聞いてくれたお陰で凄く気持ちが楽になった。それだけでは無い、私を家まで送ってくれたり、荒れた店内の片付けを手伝ってくれた。何の見返りも求める事無く。こんな人がいるなんて思わなかった。私は確かな幸せを感じていた。


それからはタロウさんが店に来てくれるのが嬉しくて堪らなくなった。そして自分の気持ちにも気づいた。私は彼に恋をしている。一目惚れのような感じになってしまったけどこの胸の高鳴りに嘘は無い。でも私と彼が結ばれる事は無い。私の不幸を彼に押しつけてはいけない。近いうちに彼との別れが来る。そんな予感を感じていた。


ーーそして予想通りになる時がやって来てしまった。


いつもと同じようにタロウさんを待っていると龍崎たちが現れて私に最後通告をして来た。店を手放すか、身体で払うかの二択を突きつけられた。当然ながら私の答えは決まっている。3日後が私の刻限。それまでにタロウさんとの別れを告げなくてはいけない。彼に気づかれてはいけない。彼は優しいから…きっと…手を差し伸べてしまうから…だから心を鬼にして冷たく別れを告げる。私は心にそう誓った。



約束の時間である午後6時まで10分を切った。

覚悟は決まった。自身を待ち受けている事がどんな事かも理解したつもりだ。この店を手放すわけにはいかない。その為ならこの身を汚されても仕方が無い。そう腹をくくっていた。

タロウさんにも別れを告げた。でもこんなに辛い事はなかった。それでも彼を巻き込まないように精一杯私は振る舞えたと思う。


ーーガララッ。


店の戸が開く音が聞こえたので店内へと向かった。


「約束の時間より遅く来ると思っていました。」


私は男たちの頭である龍崎にそう告げた。


「待ちきれなくてなぁ。」


龍崎と取り巻きの男2人が品の無い笑い声をあげながらそう言った。


「私が身体で借金をお返し致します。」


その言葉に取り巻きの男たちが馬鹿丸出しのいやらしい声で喜びの声をあげる。


「いやー、生でそんな台詞聴けるとは思わなかったぜ。AVの設定だろ。」


「それも牡丹ちゃんみたいなイイ女にだぜ。クヒヒ、堪らねえな。」


取り巻きの男たちが私へ恥辱に塗れた言葉を浴びせる。私はそんな事で負けたりはしない。


龍崎が口を開く。


「お前ちゃんとわかってんだよな?お前はまだ17だ。それで身体使って返すって事は真っ当なトコで働かせるワケじゃねぇんだぞ?非合法。それも生中出しだ。そこで5年は働かなきゃ返せない。それでもいいんだな?」


「はい。きちんと働いてお返し致します。」


「ヘッヘッへ。その歳でこれだけのキツい現実突きつけても顔色ひとつ変わらねぇってのは大したモンだ。一応確認だが、お前は男の経験あんのか?」


「ありません。」


男たちはニヤつきながら目配せをする。


「だよなぁ。そんじゃあ今から研修すっか。」


「研修…?」


「そりゃそうだろ。客へのサービスの仕方を覚えなきゃいけねぇ。それに処女じゃ不都合だろ。きちんと貫通させてやるよ。」


龍崎が私へ近づいて来る。私は拒絶する。


「触らないで下さい!!」


その態度に龍崎の目つきが変わる。明らかに苛立ちを持った鋭い視線に変わっている。


「…ふぅん。そうか、よく分かった。それじゃあこの話は無しだな。オウ、帰るぞ。」


「「ウス!!」」


男たちは踵を返して店から出て行こうとするので私はそれを止める。


「ま、待って下さい!!…わかりました…やりますから…」


大丈夫…私は負けない…心だけは汚されない…


「そうか。そんなに研修がしたいのか牡丹は。とんでもない好きモンだなお前は。」


「ククク。」


「ヒヒヒ。」


龍崎は私に屈辱的な言葉を浴びせる。


「なら俺にお願いしろ。『身体を使って借金を返済する卑しい私に男を教えて下さい』って言え。裸になって土下座してな。」


私の気持ちの糸は切れてしまいそうだった。泣いてしまいそうであった。だがそれを必死に堪えた。


逃げる場所は無い。


誰も助けてはくれない。


この現実を受け入れるしか無かった。


折れそうな心を必死に支えながら着ている長袖の裾を捲ろうとしたーー










「そんな事しなくていいですよ。」











店の入口から声がするのでそちらへと目をやる。

そこに居るのはーー









「どうして…」










タロウさんだった。夢では無い。現実にいる紛れも無いタロウさん本人だった。

彼が私に近づく。


「大丈夫。俺に任せて下さい。」


タロウさんは優しい顔で私へと微笑む。


「誰だ兄ちゃん?俺たちは大事な話をしてんだ。帰んな。」


「俺も大事な話をしに来た。この人の借金は俺が返す。」


「な、何を言ってるんですか!?タロウさんには関係ーー」

「牡丹さん。俺に全部任せて下さい。」


タロウさんの強い眼差しに私は言葉を出せなかった。


「そりゃあスゲェな。兄ちゃん、牡丹の借金いくらか分かってんのか?コイツの借金はなーー」


龍崎が喋っている途中にタロウさんは手にしていた紙袋から現金を取り出しテーブルの上に叩きつけた。


「300万。これで終わりだ。」


場が静まり返る。嘲笑っていた取り巻きたちの笑みも消え去っていた。

だが一瞬の間は空いたが龍崎が口を再度開く。


「いやぁ、これは恐れ入った。近頃のガキは金持ってんだな。ビックリしちまった。だが残念だ。その300万ってのは3日前までの額だ。また利息が増えちまってな。俺たちの利息は凄くてよ。現段階の牡丹の借金総額は600万だ。」


その額に絶望した。それと同時にだから5年なんだと納得もした。

でも私の折れそうだった心は今一度持ち直す事が出来た。タロウさんのおかげだ。この人がここまで私の為にしてくれるんだというその気持ちに涙が出そうだった。

この人への気持ちだけで頑張れる。そう思い、私はもう一度覚悟を決められた。


「残念だったな。さぁ、その金持ってとっとと帰んーー」

「ほら600万。」


タロウさんはさらに300万を叩きつける。


その光景にこの場にいるタロウさん以外の人間は凍りつく。まさに開いた口が塞がらないとはこの事だろう。


「2度と牡丹さんに近づくな。この店にも来るな。」


龍崎へのタロウさんの態度に取り巻きたちが怒りを露わにする。


「テメェ!!誰に向かって口利いてーー」

「やめろ。」


意外な事に龍崎が取り巻きたちを制止する。


「領収書書いてやれ。返済証明もな。」


「は?い、いいんですか!?それに今から牡丹で楽しむ予定じゃ!?」


「俺たちは玄人だ。それなら確実な返済を優先に考えろ。牡丹を風呂に沈めても600万入る保証は無い。自殺するかもしれねぇし、性病やエイズで死ぬかもしれねぇ。今コイツが金払うなら俺たちにとっちゃ得しかねぇよ。」


「し、しかし!!」


「いいから早くしろ。」


「…ウス。」


取り巻きが領収書と返済証明を作成しタロウさんへと手渡す。


「んじゃ帰るぞ。牡丹、良かったな。」


龍崎が私へ言葉をかける。


「兄ちゃん、一応言っておく。あんま調子に乗ってっとそのうちハネられちまうから気ィつけとけよ。じゃあな。」


龍崎は鋭い目でタロウさんを睨みながら店から出て行った。


そして龍崎たちが出て行った時に私はタロウさんの腕を掴み真剣な眼差しで口を開く。


「彼らを追いかけましょう。お金を返してもらいましょう。今なら間に合います。」


「いいんですよ。」


「良くなんかありません!!あんな大金…私なんかの為に…!!」


「…牡丹さん、覚えてますか。病院で俺は牡丹さんに『話を聞く事ぐらいならできる。話せば楽になるかもしれない。』そんな事言いましたよね。」


「覚えています。私はあなたに本当に救われました。あの時の温かいお言葉でどれだけ私は救われたかわかりません。」


「救われませんよ。」


「え…?」


「牡丹さんは優しい人だ。本気で俺の言葉に救われたって思っているのはわかります。でも…救われませんよ。救われる筈が無い。本当に苦しい時に聞いてくれたからって何があります?何もあるわけが無い。本当に苦しい時にして欲しい事は助ける事なんですよ。その状況から救って欲しいんですよ。俺がやった行為は、そんなのは自己満足の偽善者なんです。俺はそんな自分に吐き気がする程だった。大嫌いでしたよ自分が。」


私は彼の言葉に口を挟む事をせずに真剣にその想いを聞く。


「自分の生活があるから借金を肩代わりする事は出来ない。だから仕方ない。そう言い訳をして来ました。一方であなたの事が気になって毎日顔を出したりしていました。何も出来ない癖に。何もしようとしない癖に。」


そんな事はない。私はよっぽどそう言おうと思ったが言葉を飲み込んだ。


「でも…一昨日のあなたの気持ちを聞いて決心しました。牡丹さんが俺を遠ざけようとした時に全ての腹をくくれた。」


「そうですよ。あなたにあれだけ優しくして頂いたのに私は冷たい言葉をかけて遠ざけたのです。それなのにどうして…?」


「あなたは俺を巻き込みたくなかったからそう言ったんですよ。身体で返済なんて選択肢を選んでいる事を俺に知られたらきっと無理をさせる事になる、そう考えたんですよ。」


どうしてこの人は私の気持ちをわかってくれるんだろう。そう思いながら私は泣き出しそうな自分を必死で堪えていた。


「違います…私は…楽にお金を稼げるから…」


「牡丹さん。いいんですよ。あなたの気持ちは俺にはわかる。嘘なんて吐かなくていいんだ。」


私は唇を噛み締め涙を流さないように必死に耐える。


「そんな優しいあなただから…俺は決心した。あなたを助けよう、救おうって。俺は正義の味方では無いから困っている人を全部救うなんて無理です。でも…助けられる人は助けたい。あなただけは絶対に助けたい。そう思ったんです。」


「で…も…」


言葉を発すると必死に堪えている涙が溢れてしまう為に私は言葉を出す事が出来ない。


「だからもう安心して下さい。俺があなたを守るから。あなたが守りたいものを一緒に守ります。もう悩む事なんて無いんですよ。俺はあなたが心から笑った顔が見たい。」


彼の言葉に私は堪えていた気持ちが決壊してしまった。両手で顔を抑え、溢れ出る涙を抑えた。


「本当は…嫌で堪らなかった…心が折れそうで…でも…どうしようも無くて…」


「うん。」


彼が私の頭を抱き背中を優しくさすってくれる。


「馬鹿な事をしてるのはわかってる…でも…守りたかったから…店を…思い出を…」


「うん。」


「助けて欲しい…救って欲しい…いつも願っていました…願わない日なんて無かった…」


「うん。」


「今日も…決心はしたけど…腹をくくったつもりだったけど…身体は汚されても心だけは汚されないって思ったけど…辛かった…苦しかった…地獄のようだった…」


「うん。」


「そんな中であなたが来てくれた時に本当は嬉しかった…心が高鳴ってしまった…でも巻き込みたくなかった…あなたは優しいから…きっと助けてくれるから…」


「うん。」


「本当に…本当に良いんですか…?あなたに助けを求めても…?」


「もちろん。俺があなたを守ります。絶対に。」


私は声を上げて泣いた。今まで溜めていたものを全て吐き出すかのように泣きじゃくった。

彼はそんな私を優しく抱き締め、私が落ち着くまでずっと待っていた。





「ありがとうございます。落ち着きました。」


落ち着きを取り戻した私は彼の腕の中を離れ深々と頭を下げる。


「タロウさん。本当にありがとうございます。お金は必ずお返しします。借用書はどのようにお書きすれば宜しいでしょうか。」


「え?借用書?要りませんよ。」


「え…?ですが…?」


「牡丹さんは何か勘違いしてますね。俺は牡丹さんにお金を貸したんでも借金の肩代わりをしたわけでもありません。」


彼が何を言っているのか理解出来なかった。頭の中は疑問符でいっぱいになる。


「すみません…仰っている意味が…」


「月に1万円を花代に使ったとして年間で12万円になります。それが10年なら120万円ですね。」


「は、はい…?」


「そして50年なら600万円。牡丹さんに払った金額と一緒だ。あのお金は前払いです。50年分の前払いですよ。」


せっかく止まった涙がまた出て来た。彼の気持ちが理解出来たからだ。恩を感じさせないようにという彼の配慮が理解出来たからだ。


「どうして…どうしてあなたはそこまで…」


「それは簡単ですよ。だってこれは『俺が勝手にやってる事ですから。』」


彼が言う前にその台詞を言うと彼は苦笑いをする。


「バレました?」


「バレバレです。」


彼はまいったなと言わんばかりに頭をかく。

私の気持ちにもう嘘はつかない。私の気持ちを彼に伝えよう。

私は勇気を出した。


「もう、この身も心も魂もあなたのものです。」


「え?」


私は彼に近づき、抱きつく。そして、


「だって私はあなたの事を愛しておりますから。」






ーーそれを伝えると同時に視界が暗くなる。


だがそれも一瞬の事ですぐに明るくなり、私は知らない真っ白い部屋に居た。そしてスマホの通知音が鳴り響くので私はそれを確認する。

なるほど、イベントが始まったのね。ならばすぐに終わらせる。そして早く彼に会いたい。


「絶対に死ねない。もうこの身体は彼のものだから。」


私はゼーゲンを引き抜き扉を開けた。だが妙な感じする事にも気づく。どうしても彼が近くにいるような気がしてならない。それに彼の匂いを感じる。私は本能の赴くままに彼を感じる方へと歩き出した。



段々と匂いが近くなる。やはり彼の匂いだ。彼もプレイヤーなのだろうか。だがそんな事はどうでもいい。早くタロウさんに会いたい。


ショッピングモールのような場所へ着くとより一層彼の匂いが強くなる。心配なのは血の匂いが混じっている事だ。妙な胸騒ぎがするので私はエスカレーターを駆け上がる。

するとそこにはやはりタロウさんがいた。だが彼は傷つき命を狩り取られる寸前であった。私の全身を巡る血液が沸騰するように熱くなるのを感じる。彼を傷つける者は誰であろうと許さない。


ーー私は彼の前に立ち男の剣を受け止める。


「まさかあなたが俺'sヒストリーのプレイヤーだとは思いませんでした。やはり私とあなたは運命で結ばれているのですね。」


「な…なぜ貴様がここにいる…!?」


男が驚愕の表情で私を見る。


「どうして…ここにいるんですか…?」


彼が私に尋ねる。私はタロウさんへと振り向き微笑む。


「少し待っていて下さい。すぐに終わらせますから。」


私の大切な人を傷つけたこの男は決して許さない。


ーー見せてあげましょう、剣神の力を。

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