第105話 捕食
「ジャングル…ですか…?」
美波ちゃんが不思議そうな声で言った。今までの精神病院みたいな建物からいきなり密林にシフトすれば頭の中に疑問符が浮かんでも当然だ。
「楓さん!!美波さん!!」
後ろでアリスちゃんが呼ぶので振り返る。すると先程まで存在していた扉が忽然と消え去っていた。
「退路は無いって事ね。別に構わないわ。どうせ戻るつもりは無いし。」
「そうですね。それにしても…暑いですね…」
「気温も湿度も真夏の日本より遥かに上ですね…」
「こまめに水分補給はしましょう。絶対に遠慮はしちゃダメだからね。特にアリスちゃんは私たちと違ってゼーゲンで強化されてないんだから危険だわ。喉が渇いたらすぐに補給するのよ?」
「わかりました!」
「ここは何なんでしょうか…?白い通路と同じように次へ進む為の扉がまたあるんでしょうか?」
「もしかしたら『???』が居るのかもしれないわね。」
「疑問符で隠されていたやつのことですか?」
「ええ。1つ目の『???』は何体という風に表示されている事から考えれば恐らくはゾルダートの上位版が考えられる。そして2つ目の方は何体という記載は無かった。1体のみの可能性が高いわ。そして倒せばクリアとの記載がある以上、ボス的存在の線が出てくるわよね。」
「そうですね。相当強い存在を置く事により、倒せばクリアという条件を作ったと考えるのが自然ですね。」
「それに他のクランだって29もあるわけだから用心して行きましょう。なるべく戦いは避けてタロウさんと合流。『???』を見つけたら撃破してイベントを終了させる。これが私たちのオーダーね。」
「はいっ!」
「はい!」
ーーそれから私たちは1時間程歩いた。高温多湿の密林地帯をひたすら歩いているが特に変わった所は何も無い。生き物の声や気配も感じられない。不思議なのは30組のクランがここへ送られているのにまだ2人としか遭遇していない事だ。それ程までに巨大なエリアなのだろうか。それともタロウさんの方に集中しているのだろうか。2人を守る立場として自分を抑えているが本当なら胸が締め付けられる思いだ。タロウさんが窮地に立たされてはいないだろうか、傷ついて動けなくなっていないだろうか、そう考えると堪らない気持ちになる。早く、1分でも1秒でも早くあの人に会いたい。
ーーガサッ、ガサッ
ここで少し状況が変化する。葉を掻き分けて移動して来る音が耳に入った。距離はまだ大分あるが間違いなくこちらへと移動して来ている。美波ちゃんの耳にも聴こえたか確認する為に視線を送る。すると案の定、美波ちゃんもそれを把握したように私へと視線を返す。
「間違いないわね?」
「はい。確実に聴こえました。」
美波ちゃんとそれについての会話をしているとアリスちゃんが不安そうな顔で訪ねて来た。
「何がですか?」
「誰かこちらへと向かって来ているわ。」
「ゾルダートでしょうか?」
「甲冑の音ではないから恐らくはプレイヤーよ。私たちを狙っての事かどうかはわからないから茂みに隠れていましょう。戦闘は極力避けたいわ。もし戦闘になったら私が出るから2人は周囲の警戒をお願いね。以降は美波ちゃんの判断で動いてね。」
「わかりましたっ。」
「はい。」
「それとアリスちゃんは魔法を自分の身を守る以外に使っちゃダメよ。」
「え…?どうしてですか…?」
「私はまだ実際にアリスちゃんの魔法を見ていないけどタロウさんから聞く限りでは絶大な威力との事を聞いたわ。しかも使用制限は無しとまでね。」
「そ、そうです…だから私はみんなの為に貢献できます…!」
「でもそれだけの威力のモノが無制限で本当に使えるのかしら?魔法が使えるゲームには基本的にマジックポイントが必要だわ。そしてそれが無くなれば魔法は使えなくなる。そういった制約がオレヒスにだってあるわ。それなのに魔法だけ無いなんて不自然じゃない?私の予想では恐らく1回が制限回数なんじゃないかしら。それもスキルとは違って日付が変われば回復するようなモノではなく、シーンやイベントで1回。それを超えてまで使えば命を代償にするんじゃないの?」
「…」
アリスちゃんが黙ったという事はやっぱり予想通りという事だ。それならば絶対に使わせるわけにはいかない。
「アリスちゃん。私たちはアリスちゃんの命を削ってまで勝ち残りたくは無いわ。アリスちゃんの犠牲の上に生きたくは無い。死ぬ時は一緒よ。」
「楓さん…」
「そうだよっ!私たちはもう親友以上の関係、言ってしまえば家族なんだからっ!家族はお互いの事を守るものだよっ!アリスちゃんだけを危険な目に合わせない!」
「美波さん…」
「それにこのクランの戦闘担当は私なんだからアリスちゃんに魔法を使わせるような事態は起こさないわ。だから身を守る時にだけ使うって約束してちょうだい。いい?」
「…わかりました。私はサポートに徹します。」
「ウフフ、えらいえらい。」
私はアリスちゃんの頭を撫でると彼女は幸せそうな顔をして喜びを示している。だけどきっと窮地に陥った時にはアリスちゃんは回数制限を超えて魔法を使うだろう。特にタロウさんの危機が訪れた時には尚更だ。私はそれをさせないようにしないといけない。それが私に課せられた役目だ。
私たちは茂みに隠れてソレが現れるのを待つ。すると葉が擦れる音が次第に近くなりアリスちゃんの耳にもはっきりと聴こえるようになる。そして激しい息遣いと共にソレが姿を現した。
「はあっ…はあっ…はあっ…」
女だ。私より少し年上な感じの女が現れた。他に人も居ない。この女1人なのは間違いない。
疲れたのか女は動きを止めて木に体を預けている。
「ちくしょう…!アイツら…散々私の身体を弄んでおいてヤバくなったら囮にしやがって…!クソ…!!クソ…!!!」
女が木に拳を叩きつけて怒りを露わにしている。
「…仲間に見捨てられたんでしょうか?」
女の台詞に同情したのか美波ちゃんが小声で話しかけて来た。
「…台詞を聞く限りではそうでしょうね。でも同情はダメよ。彼女は私たちの敵なんだから。」
「…そうですよね。すみません。」
美波ちゃんの気持ちはわかる。同じ女がそんな扱いを受けているのなら救ってあげたい気持ちはある。でもそれで寝首をかかれるような事態を招く訳にはいかない。あくまで彼女は敵なのだ。
「あの変なヤツらどこに行ったんだ…?もう追って来ないのかな…?」
女は先程の怒りの様相から一転して怯えた表情を見せる。ナニカを探すかのように周囲の様子を伺っている。
「…何を探してるんでしょうか?」
「…ヤツらとか言ってるから誰かに追われてるのかな?」
「…囮とか言ってたしね。複数のプレイーー」
ーーその時だった。茂みの間からぬうっと黒いモノたちが現れ女を取り囲んだ。
「う、うわぁー!!!やだ!!!嫌だ!!!」
女はその場で尻餅をつき大声で騒ぎ騒ぎ始める。
「…な、なんですか…アレ…?」
「…黒い…ゾルダート…?」
あの黒い甲冑のモノたちを私は知っている。
「…アレはフェルトベーベルよ。」
「…フェルトベーベルって楓さんが前に戦ったっていう?」
「…ええ、それが3体もいるって事は最初の『???』の方はフェルトベーベルの事だったのね。」
「…強いんですか?」
「…SSを2つ使えるから随分強いと思うわ。複数体集まればアルティメット級の力があってもおかしくは無い。」
だが奇妙なのはフェルトベーベルの気配は全く感じられなかったし、音も何も聴こえなかった。葉に擦れる音すらもしないなんて妙だ。私が会ったフェルトベーベルとは違うのだろうか。
「お、お願い…!!助けて…何でも好きな事していいから…!!」
女がフェルトベーベルたちに対して必死に命乞いをする。だが1体のフェルトベーベルは無言で女へと近づきそのまま女を押し倒す。
「あぁぁぁぁ…!!!イヤァァァァ…!!!誰か…!!!誰かァァァァァ!!!!」
強姦を始めた訳では無い。フェルトベーベルが身に着けている黒い甲冑に女を取り込んでいる。女の皮膚がフェルトベーベルの甲冑へと吸い寄せられ吸収されているのだ。
「…何をやっているんですか…?」
「…食事をしているみたい…」
「…極力気配を消して。得体が知れないアレと戦闘するのは正直避けたいわ。」
次第に女の悲鳴が止む。頭を吸収され声を出す器官が無くなったのだ。そして身体を全て食されるとフェルトベーベルが立ち上がった。
『アハアハアハ…!!!ワタシ…ヲ…オトリ…ニ…シヤガッテ…モテアソンダクセニ…コロス…コロシテヤル…!!!アハアハアハ…!!!』
「…しゃ、喋った。」
「…フェルトベーベルは喋れるのよ。」
「…でもあの女の人を吸収したやつだけが喋ってますね。もしかして…プレイヤーを食して知恵を得ているんでしょうか?」
「…どういうこと?」
「…あのフェルトベーベルの台詞ってさっきの女の人が言っていた事です。仲間への恨みの言葉…それってあのフェルトベーベルには全く関係ありません。という事はフェルトベーベルはあの女の人の知性というか記憶を継承しているんじゃないでしょうか…?」
「…可能性はあるかもしれないわね。」
しばらくフェルトベーベルがその場で笑った後に残り2体のフェルトベーベルを連れて密林の奥へと戻って行った。不思議な事に今度は女を食したフェルトベーベルからは気配と葉が擦れる音が聴こえた。
「…いなくなりましたね。」
「もう小声じゃなくて大丈夫ですよね?」
「そうね。彼らは完全にここからは去った。問題無いと思うわ。」
「なんだか一気に危険度が上がりましたよね。」
「そうだね。あの黒い甲冑がすごく不気味だった。ゾルダートとは明らかに違う異様さを感じたもん。」
「極力彼らとの戦闘は避けた方がいいわね。クランの数を減らした方が楽かもしれない。早くタロウさんと合流する事を急ぎましょう。」
「はいっ!」
「はい!」
私たちは密林へと再度足を進め始めた。
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