第101話 50年分の前払い

約束の時間である午後6時まで10分を切った。学校が終わり、家に帰宅してから島村牡丹は時が来るのを居間で正座して待っている。

覚悟は決まった。自身を待ち受けている事がどんな事かも理解したつもりだ。この店を手放すわけにはいかない。その為ならこの身を汚されても仕方が無い。そう腹をくくっていた。

高校も通う事は叶わないだろうから退学届の準備も済ませ、後はポストへ投函するだけにしてある。

挨拶を済ませるような相手はほとんどいないが唯一済ませたかった田辺慎太郎には伝える事が出来た。と言っても嘘を伝えたに過ぎないが。

牡丹は理解していた。慎太郎にこの事が知れてしまえばきっと慎太郎は何らかの事をしようとする事を。だからそれをさせない為に自ら慎太郎との関係を絶った。慎太郎のような人が私のような人間の不幸を背負わせてはいけない。そう思っての事であった。


ーーガララッ。


店の戸が開く音が聞こえた。牡丹は立ち上がり居間から出て店内へと向かった。


「約束の時間より遅く来ると思っていました。」


牡丹は男たちの頭である龍崎にそう告げた。


「待ちきれなくてなぁ。」


龍崎と取り巻きの男2人が品の無い笑い声をあげながら牡丹に言った。


「私が身体で借金をお返し致します。」


その牡丹の言葉に取り巻きの男たちが馬鹿丸出しのいやらしい声で喜びの声をあげる。


「いやー、生でそんな台詞聴けるとは思わなかったぜ。AVの設定だろ。」


「それも牡丹ちゃんみたいなイイ女にだぜ。クヒヒ、堪らねえな。」


取り巻きの男たちが牡丹へ恥辱に塗れた言葉を浴びせる。だが牡丹の表情には変化は無い。必死で感情を押し殺している。


龍崎が口を開く。


「お前ちゃんとわかってんだよな?お前はまだ17だ。それで身体使って返すって事は真っ当なトコで働かせるワケじゃねぇんだぞ?非合法。それも生中出しだ。そこで5年は働かなきゃ返せない。それでもいいんだな?」


それを聞いても牡丹の表情には変化は無い。考えるまでも無く即答で答える。


「はい。きちんと働いてお返し致します。」


「ヘッヘッへ。その歳でこれだけのキツい現実突きつけても顔色ひとつ変わらねぇってのは大したモンだ。一応確認だが、お前は男の経験あんのか?」


「ありません。」


男たちはニヤつきながら目配せをする。


「だよなぁ。そんじゃあ今から研修すっか。」


「研修…?」


「そりゃそうだろ。客へのサービスの仕方を覚えなきゃいけねぇ。それに処女じゃ不都合だろ。きちんと貫通させてやるよ。」


龍崎が牡丹へ近づいて来る。それを牡丹は拒絶する。


「触らないで下さい!!」


その牡丹の態度に龍崎の目つきが変わる。明らかに苛立ちを持った鋭い視線に変わっている。


「…ふぅん。そうか、よく分かった。それじゃあこの話は無しだな。オウ、帰るぞ。」


「「ウス!!」」


男たちは踵を返して店から出て行こうとするので牡丹はそれを止める。


「ま、待って下さい!!…わかりました…やりますから…」


ここで牡丹の顔にようやく変化が現れた。悲しげな、悲痛な顔だ。だがその表情を男たちは楽しそうに眺める。


「そうか。そんなに研修がしたいのか牡丹は。とんでもない好きモンだなお前は。」


「ククク。」


「ヒヒヒ。」


龍崎は牡丹に屈辱的な言葉を浴びせる。


「なら俺にお願いしろ。『身体を使って借金を返済する卑しい私に男を教えて下さい』って言え。裸になって土下座してな。」


地獄。まさに地獄だった。齢17の少女にはとても耐えられない程の事であった。牡丹の気持ちの糸は切れてしまいそうだった。泣いてしまいそうであった。だがそれを必死に堪えた。


逃げる場所は無い。


誰も助けてはくれない。


この現実を受け入れるしか無かった。


折れそうな心を必死に支えながら牡丹は着ている長袖の裾を捲ろうとしたーー










「そんな事しなくていいですよ。」











店の入口から声がするので店内に居る4人がそちらへと目をやる。

そこに居るのはーー









「どうして…」










田辺慎太郎が店内へと入り龍崎たちの間を抜け、牡丹の元へと向かう。


「大丈夫。俺に任せて下さい。」


慎太郎は優しい顔で牡丹へと微笑む。


「誰だ兄ちゃん?俺たちは大事な話をしてんだ。帰んな。」


龍崎が不快感を露わにしている。だが慎太郎はそんな事は気にしない。


「俺も大事な話をしに来た。この人の借金は俺が返す。」


「な、何を言ってるんですか!?タロウさんには関係ーー」

「牡丹さん。俺に全部任せて下さい。」


慎太郎の強い眼差しに牡丹は言葉を出せなかった。


「そりゃあスゲェな。兄ちゃん、牡丹の借金いくらか分かってんのか?コイツの借金はなーー」


龍崎が喋っている途中に慎太郎は手にしていた紙袋から現金を取り出しテーブルの上に叩きつけた。


「300万。これで終わりだ。」


場が静まり返る。嘲笑っていた取り巻きたちの笑みも消え去っていた。

だが一瞬の間は空いたが龍崎が口を再度開く。


「いやぁ、これは恐れ入った。近頃のガキは金持ってんだな。ビックリしちまった。だが残念だ。その300万ってのは3日前までの額だ。また利息が増えちまってな。俺たちの利息は凄くてよ。現段階の牡丹の借金総額は600万だ。」


その額に牡丹は絶望した。それと同時にだから5年なんだと納得もした。

でも牡丹の折れそうだった心は今一度持ち直す事が出来た。慎太郎のおかげだ。この人がここまで私の為にしてくれるんだというその気持ちに涙が出そうだった。

この人への気持ちだけで頑張れる。そう思い、牡丹はもう一度覚悟を決められた。


「残念だったな。さぁ、その金持ってとっとと帰んーー」

「ほら600万。」


慎太郎はさらに300万を叩きつける。


その光景にこの場にいる慎太郎以外の人間は凍りつく。まさに開いた口が塞がらないとはこの事だろう。


「2度と牡丹さんに近づくな。この店にも来るな。」


龍崎への慎太郎の態度に取り巻きたちが怒りを露わにする。


「テメェ!!誰に向かって口利いてーー」

「やめろ。」


意外な事に龍崎が取り巻きたちを制止する。


「領収書書いてやれ。返済証明もな。」


「は?い、いいんですか!?それに今から牡丹で楽しむ予定じゃ!?」


「俺たちは玄人だ。それなら確実な返済を優先に考えろ。牡丹を風呂に沈めても600万入る保証は無い。自殺するかもしれねぇし、性病やエイズで死ぬかもしれねぇ。今コイツが金払うなら俺たちにとっちゃ得しかねぇよ。」


「し、しかし!!」


「いいから早くしろ。」


「…ウス。」


取り巻きが領収書と返済証明を作成し慎太郎へと手渡す。


「んじゃ帰るぞ。牡丹、良かったな。」


龍崎が牡丹へと言葉をかける。


「兄ちゃん、一応言っておく。あんま調子に乗ってっとそのうちハネられちまうから気ィつけとけよ。じゃあな。」


龍崎は鋭い目で慎太郎を睨みながら店から出て行った。


そして龍崎たちが出て行った時に牡丹が慎太郎の腕を掴み真剣な眼差しで口を開く。


「彼らを追いかけましょう。お金を返してもらいましょう。今なら間に合います。」


「いいんですよ。」


「良くなんかありません!!あんな大金…私なんかの為に…!!」


「…牡丹さん、覚えてますか。病院で俺は牡丹さんに『話を聞く事ぐらいならできる。話せば楽になるかもしれない。』そんな事言いましたよね。」


「覚えています。私はあなたに本当に救われました。あの時の温かいお言葉でどれだけ私は救われたかわかりません。」


「救われませんよ。」


「え…?」


「牡丹さんは優しい人だ。本気で俺の言葉に救われたって思っているのはわかります。でも…救われませんよ。救われる筈が無い。本当に苦しい時に聞いてくれたからって何があります?何もあるわけが無い。本当に苦しい時にして欲しい事は助ける事なんですよ。その状況から救って欲しいんですよ。俺がやった行為は、そんなのは自己満足の偽善者なんです。俺はそんな自分に吐き気がする程だった。大嫌いでしたよ自分が。」


牡丹は慎太郎の言葉に口を挟む事をせずに真剣にその想いを聞く。


「自分の生活があるから借金を肩代わりする事は出来ない。だから仕方ない。そう言い訳をして来ました。一方であなたの事が気になって毎日顔を出したりしていました。何も出来ない癖に。何もしようとしない癖に。」


そんな事はない。牡丹はよっぽどそう言おうと思ったが言葉を飲み込んだ。


「でも…一昨日のあなたの気持ちを聞いて決心しました。牡丹さんが俺を遠ざけようとした時に全ての腹をくくれた。」


「そうですよ。あなたにあれだけ優しくして頂いたのに私は冷たい言葉をかけて遠ざけたのです。それなのにどうして…?」


「あなたは俺を巻き込みたくなかったからそう言ったんですよ。身体で返済なんて選択肢を選んでいる事を俺に知られたらきっと無理をさせる事になる、そう考えたんですよ。」


「違います…私は…楽にお金を稼げるから…」


「牡丹さん。いいんですよ。あなたの気持ちは俺にはわかる。嘘なんて吐かなくていいんだ。」


牡丹は唇を噛み締め涙を流さないように必死に耐える。


「そんな優しいあなただから…俺は決心した。あなたを助けよう、救おうって。俺は正義の味方では無いから困っている人を全部救うなんて無理です。でも…助けられる人は助けたい。あなただけは絶対に助けたい。そう思ったんです。」


「で…も…」


言葉を発すると必死に堪えている涙が溢れてしまう為に牡丹は言葉を出す事が出来ない。


「だからもう安心して下さい。俺があなたを守るから。あなたが守りたいものを一緒に守ります。もう悩む事なんて無いんですよ。俺はあなたが心から笑った顔が見たい。」


慎太郎の言葉に牡丹は堪えていた気持ちが決壊した。両手で顔を抑え、溢れ出る涙を抑えた。


「本当は…嫌で堪らなかった…心が折れそうで…でも…どうしようも無くて…」


「うん。」


慎太郎が牡丹の頭を抱き背中を優しくさする。


「馬鹿な事をしてるのはわかってる…でも…守りたかったから…店を…思い出を…」


「うん。」


「助けて欲しい…救って欲しい…いつも願っていました…願わない日なんて無かった…」


「うん。」


「今日も…決心はしたけど…腹をくくったつもりだったけど…身体は汚されても心だけは汚されないって思ったけど…辛かった…苦しかった…地獄のようだった…」


「うん。」


「そんな中であなたが来てくれた時に本当は嬉しかった…心が高鳴ってしまった…でも巻き込みたくなかった…あなたは優しいから…きっと助けてくれるから…」


「うん。」


「本当に…本当に良いんですか…?あなたに助けを求めても…?」


「もちろん。俺があなたを守ります。絶対に。」


牡丹は声を上げて泣いた。今まで溜めていたものを全て吐き出すかのように泣きじゃくった。

慎太郎はそんな牡丹を優しく抱き締め、牡丹が落ち着くまでずっと待っていた。





「ありがとうございます。落ち着きました。」


落ち着きを取り戻した牡丹は慎太郎の腕の中を離れ深々と頭を下げる。


「タロウさん。本当にありがとうございます。お金は必ずお返しします。借用書はどのようにお書きすれば宜しいでしょうか。」


「え?借用書?要りませんよ。」


「え…?ですが…?」


「牡丹さんは何か勘違いしてますね。俺は牡丹さんにお金を貸したんでも借金の肩代わりをしたわけでもありません。」


牡丹は慎太郎の言葉の意味を理解出来なかった。頭の中は疑問符でいっぱいになる。


「すみません…仰っている意味が…」


「月に1万円を花代に使ったとして年間で12万円になります。それが10年なら120万円ですね。」


「は、はい…?」


「そして50年なら600万円。牡丹さんに払った金額と一緒だ。あのお金は前払いです。50年分の前払いですよ。」


牡丹の目からはまた涙が出て来た。慎太郎の気持ちが理解出来たからだ。恩を感じさせないようにという慎太郎の配慮が理解出来たからだ。


「どうして…どうしてあなたはそこまで…」


「それは簡単ですよ。だってこれは『俺が勝手にやってる事ですから。』」


慎太郎が言う前に牡丹がその台詞を言うと慎太郎は苦笑いをする。


「バレました?」


「バレバレです。」


慎太郎はまいったなと言わんばかりに頭をかく。

そして牡丹は真剣な眼差しでその想いを慎太郎へと語り始める。


「もう、この身も心も魂もあなたのものです。」


「え?」


牡丹は慎太郎に近づき、抱きつく。そして、


「だって私はあなたの事を愛しーー」







ーー慎太郎の視界が暗くなり牡丹の姿が見えなくなる。


ーーそして意識が無くなり眠りへと落ちる。

























「…う。あれ…?牡丹さんは…?」


目が醒めるとそこに牡丹さんはいなかった。いや、フラワーショップ島村に俺は居なかった。今俺がいる場所は何も無い真っ白な部屋に1人でいる。

起き上がろうと床に手を置いた時に何かが手に触れたのでそちらへ目をやると剣が1本置いてある。


「剣…?これって楓さんのゼーゲンに似て…」


そこまで言葉を出しかけた時に脳裏に嫌な予感が浮かんでしまった。それを否定しようとスマホを開く。すると一件の新着メッセージが入っていた。内容を確認する為に中を開く。



『いつもご利用ありがとうございます。俺'sヒストリー運営事務局です。20万人突破を記念致しましてゲリライベントを開催致します。エリアに30組のクランと???体のゾルダート、???体の???と???を配置させて頂きました。勝利条件はクラン数が10を切る事。又は???を倒す事になっております。報酬は一切御座いません。それでは皆様のご健闘をお祈りしております。』



「マジかよ…昨日やったばっかだろ…それに???って何だよ。フワっとしすぎだろ…」



ーーゲリライベントが幕を開ける。

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