発売御礼SS① 回想と狼とスイーツと



「3 何かが変わる音がする」 で、ティナが所長室を出て行ったあとの話です。

唐突にベオウルフという新キャラを出しておりますが、いつか何かの形で登場させられたら…思っているキャラクターです。


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 私の愛するティナ。彼女が大人に成長するのを、私がどれだけ待ち焦がれたか。初めて出会った時はまだ幼い子どもだった彼女も、ようやく先日成人年齢に達した。さてどうやって迎えに行こうかと考えていたところ、彼女の方から私のもと――正確には私の研究所――へやってきてくれた。


 ティナなら試験などなくても、無条件で入所させていた。しかしそれでは体裁が悪いので、他の入所希望者とともに入所試験を受けさせたのだが、予想に反して彼女は首席の成績をとった。履歴書に添えられていた論文も申し分のない素晴らしい出来で、人事担当者と全会一致で彼女の採用が決まった。つまり、ティナは実力で「研究員」の座を勝ち取ったということだ。


 愛する女性が自らの能力を用いて、私に近づくことを選んでくれた。これほど嬉しいことがあろうか。私の正体を知ってか知らずか、彼女は私を求めていたのだ!

 これはもう、運命に違いない。運命ならいっそ、私たちの再会シーンも後世まで語り継げるくらい素晴らしいものにしたい。そのため、安易に顔を合わせることだけは避けたい。次第に私はそう考えるようになっていった。


 彼女の面接日も入所初日も私は故意に不在にして感動の再会を先延ばしにしつつ、その間必死で最良の一場面を模索した。ところが、ああでもないこうでもないと考えすぎたうえ、仕事も立て込んでいたせいで結局、私は半年もの間、彼女と言葉を交わすどころか近づくことすらできずにいた。


 いっそのこと、幻獣をけしかけてティナを襲わせ、間一髪のところで私が助けに入ってはどうか。そうすれば、ティナからは命の恩人だと感謝されるし、格好いいところを見せ付けられるし、あわよくば吊り橋効果でティナも私に惚れてくれるだろう。などと計算していたところ、実際に今朝、ティナがガーゴイルに襲われるという事件が起きてしまった。


 あれは私が仕組んだことではない。幸いにも彼女の傷は軽く済んだが、私の計画だったなら、大切な花嫁に傷がつかないよう細心の注意を払っていた。

 だがしかし、結果として身を呈して彼女を庇うことができ、私が力のある雄(オス)なのだということを存分彼女にアピールできた。


 間近で見るティナは、遠くから眺めるだけで触れられないティナの何倍も輝いて見えた。抱き寄せた体の線は細く、甘い香りが鼻腔をくすぐり、怒涛のように押し寄せる彼女の生の情報に、あわや冷静さを失うところだった。心臓が飛び出る代わりに鼻血を出してしまったが、あのおかげで理性を保てたのかもしれない。ティナのこととなるとついつい盲目になってしまうが、彼女のためならキーゼルバッハ部位の一つや二つ、喜んで血の海にしようと思える。いや、理性を失っても許される関係になりたいとはかねてより熱望しているが。


 髪をクリップで留めているくらいだ、ティナはきっと几帳面な方ではないのだろう。「洗濯は私がするので白衣を渡しなさい」とでも言えば、きっと嬉々として渡してくれたはずだが、彼女がいる時にとっさにその言葉が出なかったことが今になって悔やまれる。

 今日は何も準備が出来ていなかったが、これでようやく対面できたのだし、機を見て彼女の好物を与え続けていけば、きっと――。


 彼女が所長室を去ってはや一時間が経とうとしていたが、私の興奮は未だ冷めることを知らなかった。そんな折、ドアをノックする音が響く。

 噂をすればなんとやらで、もしかしたらティナかもしれない。私は姿勢を正し、椅子に座り直す。

「どうぞ」

 きっとティナだ。そうに違いない。私のこの、恋い焦がれる気持ちを察して、一度は辞したものの再び会いに来てくれたのだ。


「失礼します」

 記憶にあるティナの声より、随分と太く低い声だ。

 いいや、ティナだ。そうであってくれ。ただ、今日のティナは風邪を引いたから声がしゃがれて低くなってしまっているに違いない。風邪はけしからんが、そうであってくれ。ティナ、ティナ、ティナ――


「どうも、アーキン研究室のベオウルフです。コックスが進めてる共同研究のことで博士にお話があるんですが」

 背の丈はティナの頭一つか二つ分高く、毛髪は金に近い茶色、堀りの深いゴツゴツした骨格。

 どう見てもティナではない。研究員の男だった。

「ああ……君か、ベオウルフ……」

 なぜティナじゃないんだ……。

 落胆どころか怒りすら覚える。だが、私のこの身のうちに湧き上がる負の感情など、彼にとっては理不尽極まりないものだということもわかる。

 冷静を装わなければと努めた結果が、先の返事。今の私にはこれが限界だ。


「……どうして俺の顔を見た途端、あからさまにガッカリするんすか」

「申し訳ない。肩を落としてしまったのは事実だが、用件を聞こう」

 研究所のトップとして、いついかなる時も、部下の話には真摯に耳を傾けたい。本音を言えばこんな男など放っておいて今すぐティナのことで頭の中を埋め尽くしたかったが、私は所長としての体面を保つことにした。

「否定しないんすね……」

「正直なのは美徳だからね。それでベオウルフ、本題は?」

 腑に落ちない、とでも言いたそうだったが、咳払いをして気を取り直すと、彼は険しい顔で喋り始めた。


「コックスの共同研究、幻獣の擬態を解く薬剤を開発しているって小耳に挟んだんすけど」

「中間論文がまだ出てきていないので、公にすることは控えるが……その通りだ」

 当研究所では、中間論文の発表でようやく所内での情報共有となる。しかしながら、雑談などで表面的に情報を交換することはある。

 ベオウルフがつかつかと私の前にやってきた。机を挟み、椅子に座る私を見下ろして威嚇する。

「どうしてやめさせないんです? あんな危険な薬……もしも開発が成功して、広範囲に用いられるようなことになりでもしたら、幻獣の生態系にどれだけの影響を及ぼすことになるか。悪用されることだって十分に考えられるのに」

「それは私も危惧しているところだが――」

「危惧している、だなんて甘いこと言ってないで、研究所所長の権限で即刻中止させてくださいよ!」

 机をバン! と強くたたきながら、彼は声を荒らげた。もちろん、そのくらいで怯む私ではない。 

「しかし、研究を承認してしまった手前、今の段階で研究凍結を言い渡すことは出来ない。君の懸念ももっともだが、――」

「はあ!? なに甘えたこと言ってるんすか! あんたはそれでいいんすか!?」


 砕けた敬語に、白衣の下には今時の若者の服。

 見ようによってはマフィアの下っ端構成員だが、そんな不真面目な見た目とは裏腹に、この男は非常に勤勉で熱血漢。暑苦しいのは苦手だが、研究所内で信頼を置いている者の一人である。

 幻獣に並々ならぬ情熱を注いでいる男なので、できればティナには引き合わせたくない。きっと話に花を咲かせるに違いないからだ。私以外の雄と楽しそうに喋る彼女の姿など、もしも見たらショック死してしまうかもしれない。

 ティナは私の伴侶だと、堂々と公言できないのが辛い。

「いいも何も、結果をまだ見ていないからね。研究所のあり方を変えるような事件でも起こらない限り、いくら私でも止めたくはない。どちらにしろ、私も中間研究発表を見てから判断したいとかねてより考えていた案件だ。倫理的な問題を彼らがどうクリアするか期待しているし、研究所内での詳細な情報共有もこれからという段階だ。君も待つべきだ」

「…………っ」

 ベオウルフの苛立ちが、ダイレクトに私にも伝わってくる。せっかくティナに会えてとても幸せな気分に浸っていたのに、これではまるで台無しだ。


「ときにベオウルフ」

「なんすか」

 私が彼の望む返事をしないので、彼の言葉もかなりぶっきらぼうだった。だが、気にしない。私の頭はすでに切り替わっているからだ。

「このへんで評判の菓子店など知らないかな」

「……菓子店?」

「そうだ。食べる者誰をも魅了するような、甘くて美味しい菓子を求めているんだが」

 はあ? と彼が顔を歪ませた。

「残念ながら俺は甘いものが大嫌いなんすよ。博士もそうかと思ってたんすけど……よく食えますね、あんなもの」

「いや、私が食べる用ではなくて」

 ティナだ。ティナに食べさせるに決まっている。

 若者ならば若者が好む菓子を売っている店にも詳しいかと思ったのだが、これは期待はずれだったか。

 知らないならなんでもない、忘れてくれ、と言おうとしたが、それよりも前にベオウルフの目が光った。


「誰かに贈るんすか? まさか……女?」

 こいつ、鼻が効く……!

「いや、そういうわけでは」

 詮索されたくなかったが、すでに遅かった。

「はっはぁ〜ん、女ね……へぇ〜……」

 ハイエナ科の食肉類のような笑みを浮かべながら、ベオウルフは私の顔を見つめている。さすがの私もこれは気分が悪い。聞かなければよかった。はじめから自分で調べればよかった。

「いやあ、俺は食べませんけど、いくつかの店とその評判くらいは知ってますよ? もしも博士が教えて欲しいって仰るなら、教えてあげないこともないんすけど……どうします? へえ〜、女ねえ……へぇ〜、研究一筋と思ってた博士が、ふーーーん」


 私も無駄に長く生きてきたわけではない。……いや、無駄だと思った時期もあったが、長い年月をかけて培ってきた忍耐力が、まさかこんな場面で生かされるとは思ってもいなかった。

「そのじとっとした目つきと下世話な詮索には腹が立つが、いいだろう、私に教えることを許可しよう」

「えっ、なにそれ、なんで上から目線なんすか!?」

 椅子に深く座り直し、私は足を組んだ。

 ティナのためだ、これくらいの屈辱はなんともない。

「私は忙しいんだ、早く教えたまえ。さあ。さあ!」

「腑に落ちない……」



 翌日、張り切りすぎた私は、開店の一時間前から店先で待ってしまったが、結果としてそれは正しい判断だった。ベオウルフから聞いた店は有名菓子店の一つで、開店五分前には私を先頭として長蛇の列ができていた。もしも開店後に訪れていたら、一番人気の商品を買い逃していたことだろう。


 菓子の材料には私が食べられないものも多く含まれる。だから菓子と聞けば種類問わず手を出す気にはなれなかったが、世の人間はこれに目がないようだ。事前の調査ではティナも例に漏れないし、必ずや彼女を喜ばせることができるだろう。

 限定商品のケーキを難なく手に入れた私は、研究所への道すがら、ティナの喜ぶ顔を想像して胸を弾ませるのであった――。

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