プレーン・ヨーグルト

カワヤマソラヒト

プレーン・ヨーグルト


 3歳離れているというのは、学生でいるまでの間はなかなかの格差がある。

 中学校と高校では、同時に通うことは本来ない。

 小学校の頃なら年齢差以上にずいぶん年上、またはずいぶん年下に見えてしまう。

 大学なら新入りの1年生と卒業間近の4年生かもしれない。

 だとすれば、10代と20代という違いもある。

 同じ長さの時間だというのに、昭和と平成の違いや20世紀と21世紀の違いまで考え出すと、まるで生きている時代がまったく異なるかのような印象すら受ける。

 私は昭和の終わり頃に生まれ、きみは平成の初め頃に生まれた。

 この時点で既に1980年代と1990年代という違いがあった。

 21世紀になったとき、私は中学生できみは小学生。

 四捨五入したらふたりとも10歳で同じになるとしても、お互い世界の見え方は別物であるかのようにかなり異なっていただろう。

 私はきみより3年分、より多くのものを先に知ってしまったはずだ。

 その頃のきみが私のそばにいたなら、私は実年齢よりもずうっと上のお姉さまに見えたのかもしれない。

 大学生になるとそこまでの差は感じない気がする。

 という節目があっても、大学生になったときにその節目は誰もが先取りしていたのではないか。

 4年間を標準的に過ごしてしまえば、大学院に進まないなら通常は社会人になるものだ。

 すると今度は、社会人と学生という隔たりが生じる。

 実際に社会に出てみると、この隔たりは予想を遥かに上回るものであると感じるだろう。


      *


 一緒の時間を、ふたりでいる時間を過ごしているときには、私たちの間を隔てるものは何もない。

 きみがどう思っているのか訊いたことはないが、少なくとも私はそう思っている。

 きみだって社会に出ればまず社会人と学生との隔たりに気がつき、追って3歳程度の年齢差に意味はないことも早々に気づくだろう。

 にも関わらず、この差というものはいつまで経っても変わることがない。

 私が死んでしまったら、なんて、縁起でもないことは考えていない。

 生きていられる時間の長さは生まれた順とは無関係であるにせよ。

 今はむしろいつまでもふたりで長生きしてる方がたやすく想像できる。

 平均寿命が100歳超になる可能性が大きくなっているらしいし、私がその年齢になるとしたらその頃は今と比較にならないほど科学が進歩して 世界の有り様が変わっているかもしれない。

 しかし人生がいくら延びたところでどうにもならないもののひとつは、自分が生まれた日時だ。

 永遠に縮まることがない、この世に生を受けた日時の差。

 私はずうっときみの3歳年上で、きみは私の3歳年下であり続ける。

 私は世にはばかるつもりなので、きみが年齢的に私に追いつき追い越すことは、やがて実現するにしても遥か遠い未来のはずだ。

 きみが油断して先に逝ってしまわないように、私は幾度となく強く念を押している。

 なのにきみはそんな私の念を今もなお受け入れてくれたようには見えない。


── 心配性なんだから、○○さんは。


 微笑みさえ浮かべて、きみは言う。


── でも、こんなに心配してくれるのは他の誰でもない、○○さんだけだ。本当にありがとう。感謝してる。


 そんなお礼を言ってくれるのだから、私の念は報われていると認めていいのか。

 或いは、認めてしまうならば私の弱さのせいではなかろうか。

 きみに「心配性なんだから」と言われてしまう私は、その原因は生まれた日時にあると結論づけている。

 仮にきみが私より3歳年上だったら、どんな対応を私にするだろうか。


      *


 きみが私より若いということはもうこれ以上ないほど理解している。

 だから、ときどききみが無邪気で幼く見えてしまうことを否定はしない。

 そうは言っても、私にはうまく理解できないことだってある。

 例えば、こうして私のすぐ目の前にいるきみがとるありふれた行動。


 どうしてきみという人はそんな食べ方をするのだろうか?


 400グラム入りの容器から直に、スプーンで、大きく開けた口に運ぶ、プレーン・ヨーグルト。

 嬉しさいっぱいの表情でいかにもおいしそうに食べるきみの様子は、見ている側でもすがすがしいくらいだ。

 でもプラスチック製の容器からではなく、何か別のものに取り分けてそこから食べてみるという選択肢は、きみの頭にはないらしい。

 手頃な大きさの食器はお皿でもボウルでもふたつずつすぐそこにあるのに、使う気配はまったくない。

 私には使ってみる絶好の機会だと思えるのに、きみはいったいいつ、どんなときならそれらを使うのだろう?

 スプーンを口に咥え容器の蓋を閉じると、きみは冷蔵庫に食べかけのプレーン・ヨーグルトを戻す。

 無脂肪・無糖で、この部屋の近所にもある大きくチェーン展開をしているスーパーの、プライヴェート・ブランドのもの。


── 安い上にうまいんだからから言うことなし、最高。


 お気に入りのものがあることは素晴らしい。

 どんどんなくなってしまうのよ、「最高」なんて言えることは。


── もうね、全然飽きないし、いくらでもイケル。


 そう断言したきみだから、あの中には400グラムのうちどのくらいが残っていることだか。


── ひとり暮らしのクセが抜けなくてさあ。


 ひとり暮らしのクセ。

 直に、スプーンで……の理由が?

 きみが言うのだからそうなのだろうが、目の前に私がいるときぐらいは「食べる?」と訊いてくれてもよさそうなものだ。

 一度くらいは、そんな場面があってもいい。

 別に私は物欲しそうにしているわけではないが、そこはきみの気持ちを覗いてみたくなる。

 きみは意地悪をしているのではない。

 いくら大好きなプレーン・ヨーグルトだからって、独り占めするつもりはない。

 私はよく分かっている、そのくらいなら。

 でも、プレーン・ヨーグルトに限らず、どんなモノやコトでも、お互いにシェアしようとする気持ちが大切。

 そこらじゅうにありふれた言葉なんかよりもずっと、分け合ったり共有したりすることの方が、お互いの絆を確かめ、より強靭にしていくことに繋がる。

 そう考えている私は、きみから見るとどうやら「古いタイプ」で「カタイ頭」をもったイキモノであるようだ。

 きみがそう言ったのではないが、私がきみの折々の言葉を整理するとそういう意味になる。


── 何事もマジメなのは○○さんらしくて、オレは好きだけどな。


 きみはなかなかうまいことを言えるほど強くなった。

 私に嘘を言っているようには聞こえないが、きみの言葉遣いは時として尊大に聞こえるくらいだ。

 私の方が年上だから負けないようにしているとか、遠慮する必要がなくなって自分らしい話し方をしているとか、私をリードしたいとか、いくつかの理由があってのことらしい。

 私は特に気にしていないし、そんな言葉遣いをしてみせるきみは可愛いと思う。

 可愛いなんてきみに言うとムキになって怒るところがさらに可愛い。

 そんなきみを見たくなって、私はわざとちょっかいを出したくなる。

 きみより3年ばかり先に生まれた私の、ささやかな特権だ。


      *


 金曜日の夜、私が一週間分の疲れとストレスを引きずりながら部屋に帰ると、きみはときどき食事の準備を整えて私を待っていてくれることがある。

 そんなときのメニューが常にきみの作ったお得意のカレーでも、私はとても嬉しくなって、疲れやストレスはどこかに置き去りにしてしまう。

 時にはきみから連絡があって、私はまっすぐ帰宅することなくきみと外で待ち合わせをすることもある。

 きみの指示に従ってみると、私は思いがけない場所に建つビルの中にいて、とてもおいしいタイ料理を食べていたり、きみの背中を追ってどこかの街の一角にあるちょっとした路地へ入っていて、きみは素敵な佇まいの小さな紅茶屋さんの扉を開く。

 そんなふうにだいたい無言のまま私の先を行くきみは、目的のお店に着くとやっと表情を崩して、ひとことだけ言う。


── どう?


「そうね、なかなかいいわ」


 私は努めて冷静に言ってみる。

 けれど、どうしても表情が緩んできてしまう。

 いったいどうやってこうしたお店をきみは見つけることができるのか、私には想像できない。

 そしていつまでも想像できないままでいいと思う。


      *


 スーパーに買物に行くと、きみは必ずプレーン・ヨーグルトを買う。

 雨の日も風の日も晴れの日もいつもいくつも。

 稀に売り切れていると、きみは次に買えるときまで間違いなくブルーになっている。

 条件をクリアしなければきみは感情を表に出さないから、大抵の人は気がつかないと思う。

 もしかしたら、そのことに気がつけるのはこの世界でまだ私だけかもしれない。

 きみがあのスーパーのプライヴェート・ブランドのプレーン・ヨーグルトにだけ首ったけで、どうしようもなくメロメロで、他のブランドにはもう見向きもしないことだって、きみの嗜好と性格まですべてを知っているのは、おそらくまだ私だけだと思うから。


── 子供の頃に喜んで食べていた小さい瓶入りの「ヨーグルト」って、いったいなんだったんだろう?


 もちろん、それはヨーグルトに決まっている。


── 子供だったからって、よくあんな甘いものを食べられたもんだ。


「そう言えるくらいなのだから、味をよく覚えているってことよね」


── それはそうだよ。でも、あのヨーグルトと、今のオレが主食にしているこのプレーン・ヨーグルトとじゃあ、淡水と海水ぐらい違うと思うんだ。


 わーお。

 主食、だって。


 きみは今もまた私の目の前で400グラムの容器から直にスプーンでプレーン・ヨーグルトを口へと運ぶ。

 私にはおかまいなしに。

 もう飽きるほど見ている光景だし、私はこれと言って世間のヨーグルトに目がないわけではない。

 気にすることもなくなってきた。

 お気に入りのおもちゃを取り上げてしまうと、子供なら大騒ぎになってしまう。

 きみのプレーン・ヨーグルトについての主張は、どういうことかいつだって年齢がかなり若い子の言い草に聞こえる。

 同じようなものだと、私は思っている。

 淡水と海水なら、塩化ナトリウムが溶けているかいないかだけで、私には大した違いはないような気がする。


── ○○さんはね、まだまだ足りないからそんなふうに思っちゃうんだ。


「足りない?」


 問い返してみよう。


「私に、何が?」


── ヨーグルトが。当然なんでもいいんじゃなくて、プレーン・ヨーグルトでなけりゃいけないよ。


「ああ……」


 そういうこと、ね。


 私は肯定も否定もしない。

 もうお風呂に入ったし、疲れているから眠ることにする。


── えっ。


 どうしてきみは驚くのだろうか?

 週に5日間真面目に働いている私は、金曜日の夜にはエネルギーが切れそうになっているものよ。


── そんなふうにトシをとったフリをするのはズルイな。


 そのうちきみにも分かる。

 きみが送っている学校やアルバイトの時間と、私が送っているデスク・ワークの時間は、時計で確認したら同じ長さでも、その正体はまったく別の何かなのだと。


── ○○さん、オレとみっつしか違わないのに。


 そうよ。


── たったのみっつだけだよ。


 今までだって、これからだって、まだまだ何度となくきみは言うだろうか。


「ええ、そうね」


 私は何度となく思い、答えるだろうか。

 、みっつ。

 

 永遠に縮まることがない、この世に生を受けた日時の差。

 淡水と海水ぐらい違うときみは思うだろうか?

 それとも、きみの大大大好きなプレーン・ヨーグルトについて、きみの深層意識に潜んでいる情熱と、表層から消えてなくなってしまったように見える私への気持ちと、無理にでも比べてしまいたくなる私と、私の目の前で400グラムの容器を大切そうに持つきみと、何がどれくらい違ってどれほどの差があるのか……。


 きみに考えてもらうのがいちばんいいかもしれない。


── なんだか勝手にひとりで納得してるよね、また。


 また?

 そう?


 あくびが出そうになった私は、冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取り出す。

 いつものグラスに半分だけ注いで、私は静かに飲み干した。

 透きとおった淡い緑色の、私の手にちょうどいい大きさの、グラス。

 眠りにつく前の最後の儀式。

 私は間もなく私のスウィッチをオフにする。

 ミネラル・ウォーターを冷蔵庫に戻す私の目に、プレーン・ヨーグルト、400グラムの容器が映る。


── オレはまだ全然眠くないけど。


 きみが私と見たいからと言って借りてきた映画のディスク、ふたつ。

 どんな映画なのか聞いていないけど、ひとりで見てもいいんじゃない?


 そんな言葉を、私はもう言わずにおく。

 徐々にスウィッチはオフになっていく。

 ベッドまであと数歩。

 私はきみを振り返ることもなく明かりを消して、ブランケットを手にする。

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