第45話



「食え」


「……」


「いや、なんでそんな上からなんだよ、鹿戸惑ってるだろ」


「人間様が餌を恵んでやると言っているんだ、別に上から言っても問題はないだろ」


 高志達は鹿公園で鹿に餌をあげていた。

 鹿せんべいを買い、高志と優一はそれを鹿に差し出す。


「普通に渡しても問題ないだろ……」


「そんな態度だと鹿に舐められるだろ」


「まぁ、別な意味ではベロベロ舐められてるがな……」


「おわっ!」


 優一からもっと鹿せんべいを貰おうと、数匹の鹿が優一の制服をペロペロ舐めている。

 優一は直ぐに鹿から離れ、ハンカチでべとべとになった制服を拭く。


「よく食べるなぁ……」


「お腹空いてるのかな?」


 あの後、泉と由美華はいつも通りの感じに戻っていた。

 何事も無かったかのように二人は鹿にせんべいをあげている。

 強引ではあったが、優一のおかげで班の空気も良くなっていた。

 色々と心配していた高志と紗弥の心配も無くなり、二人もいつも通りに戻る。


「紗弥、さっきからなんで俺の後ろに?」


「だ、だって……鹿って意外と大きくて……」


 紗弥は先ほどから鹿の迫力に驚き、高志の背中に隠れている。

 チャコと普段から遊んでいるので、動物は大丈夫なのだと思っていた高志だったが、紗弥の予想外の様子に少しだけ驚いていた。

 そんな紗弥の背後から、餌をを貰おうと一匹の鹿が忍び寄る。


「きゃっ!! う、後ろにもいた!」


「大丈夫だって紗弥、大人しいから」


 高志はそう言って、鹿にせんべいを差し出す。

 鹿は待ってましたと言わんばかりに、せんべいに食いつき、ムシャムシャと食べ始める。

 その間も紗弥はずっと高志にしがみついていた。


「だ、大丈夫? 襲ってこない?」


「襲ってこないって。でも以外だな……紗弥は動物得意だと思ってたのに」


「お、大きいのはちょっと……」


 紗弥はそう言いながら、高志にしがみつく手の力を強める。

 そんな紗弥を見て高志は頬を赤らめてこう思っていた。


(あぁ……メッチャ可愛いなぁ~……)


 もちろん鹿の事ではない、紗弥の事がだ。

 紗弥は気がついて居ないかもしれないが、いつもの紗弥とは違い、余裕がない様子で高志の腕にしがみつき、ビクビクしている。

 そんな紗弥の様子など見たことも無かった高志は、紗弥のそんな新鮮な姿に思わず頬を染める。


「た、高志……早くあっち行こ!」


「えぇ~、俺まだ鹿せんべいあるしなぁ……」


 こういう時は少し意地悪したくなってしまうのが、男と言うものだ。

 紗弥は高志のそんな言葉に、口をへの字に曲げ「うー」っと唸る。

 

「なんでもしてあげるから! 早くあっちいこ!」


「え? なんでも!?」


 紗弥の思いがけない提案に、高志は少し良からぬ妄想をしだす。

 好きな子から、なんでもしてあげると言われては、当然いやらしいことも考えてしまうのが男と言う生き物。

 高志は頬を赤く染めて、再度紗弥に尋ねる。


「ほ、本当になんでも?」


「なんでも! なんでもしてあげるから!」


 高志と紗弥の周りには、結構な数の鹿が集まりつつあった。

 最早ここに余裕のない紗弥は、高志に必死にそう言い、早くこの場所から立ち去りたかった。


「よ、よし……じゃあ鹿の居ないところに行くか」


 高志は紗弥を抱き寄せて、そのまま鹿の居ない場所に移動する。

 なんとか鹿の居ない場所に出た高志と紗弥は、ベンチに座って休憩していた。


「はぁ……結構追いかけてくるんだなぁ……このせんべい……そんなに美味いのか?」


 高志はそんな事を思いながら、鹿せんべいを一口だけ口の中に入れて見た。

 

「うえ……まっず……」


 せんべいと付いて名前にあるので、人間でも食べられるのかと思い、口に入れた高志だったが、あまりのまずさに食べるのをやめた。


「高志の意地悪……」


「え? あ、あぁ。ごめんごめんって」


「本当に怖かったんだからね! 制服引っ張ってくるし……角とか結構大きいし……」


「秋は鹿の恋の季節らしいから、オスは発情してる鹿も居るんだってよ」


「だから、あんなに激しかったんだ……」


 そのベンチからは、鹿公園の様子が良く見えた。

 優一達はまだ鹿と戯れていた。

 

「高志の発情期はいつくるんだろうね……」


「え!? い、いきなりどうしたの?」


 紗弥の発言に高志は動揺する。

 そんな高志から顔を反らし、紗弥は高志に言う。

 紗弥の頬はわずかに赤くなっていた。


「ね、ねぇ……さっきの……何でも言うこと聞くってやつさ……」


「あ、あぁ……」


「………本当に何でもしてあげるから……」


 紗弥の頬は更に赤く染まっていた。

 高志は何となくその言葉に意味がわかってしまった。 わかってしまっただけに、なんだか気まずい雰囲気になってしまう。

 

「で、でも……お、俺たちまだ……付き合って半年経ってないし……」


 そう言った高志の手を紗弥はさり気なく握り、指を絡める。


「私がしたいの………言わせないでよ……高志の意地悪」


 紗弥の頬はもうリンゴのように真っ赤だった。

 そんな事を言われた高志も平静を保ってなど居られない。

 今すぐにでも紗弥を抱きしめたい衝動に駆られるが、ここは人通りの多い屋外。

 高志はその衝動をぐっと堪え、紗弥に言う。


「さ、紗弥……そ、それは……その……そういうこと……だよな?」


「も、もう言わない……私だって恥ずかしいもん」


 紗弥の言葉に、自分の思っている通りの事を紗弥が考えていると理解する高志。

 心臓が爆発しそうなくらいドキドキするのを感じる高志。

 そんな高志に紗弥は近づき、今度は腕を絡ませる。

 そして耳元で高志に囁く。


「修学旅行が終わったら……ね」


 鹿も恋の季節と言うなら、人間も恋の季節ということだった。

 高志はギリギリのところで理性を保ち、紗弥の頭を撫でる。


「ん? どうしたの?」


「いや……紗弥は可愛いなって……」


「そう思ってるなら、もう虐めないでね」


「あぁ……」


 そんな高志と紗弥の様子を優一はやれやれと言った様子で遠目から見ていた。

 

「しゃーねーな」


 優一はそう言って、スマホで二人の姿を撮影し、高志に写真を送信する。


「バカップルが……さっさと爆発しろっつう……ん?」


 優一が笑いながら高志と紗弥に文句を言っていると、周りには多くの鹿が集まっていた。


「……マジか……」


 優一は鹿達から餌をねだられ、制服を引っ張られ、頭を擦り付けられる。


「ば、ばか! やめろ!! やるから! せんべいやるから大人しくしろぉぉぉぉ!!」


 鹿にはモテる優一であった。

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