第四章:追憶の再統合/あるいは塔へ至る
『みなと食堂』を出た後、僕たちは再び、あてどなく西へ向かうローカル線に乗り込んだ。
車窓から見える、どこまでも続く同じような風景を眺めながら、僕の頭の中では、玲音が語った物語が、何度も何度も反響していた。
完璧に制御されたスマートシティで起きた、予測不能な悲劇 。
無視できるはずの、ほんの僅かな誤差が、いくつも不運に共鳴し、ありえないはずの結末を引き起こしたという話。
そして、彼女が最後に呟いた言葉。「このアジフライ、美味しい。美味しいけど……予測通りの味しかしない」
その言葉は、僕の胸に、小さな棘のように突き刺さっていた。僕たちは、予測可能な幸福と引き換えに、何を失ってしまったのだろうか。
僕の人生も、この世界の風景も、まるで予測通りの味しかしないアジフライのようだった。だが、彼女の親友の死は、その予測を裏切る、あまりにも暴力的な『驚き』だった。
そのとき、僕の脳裏で、何かが軋むような音を立てた。
忘れていたはずの記憶の断片。いや、忘れていたのとは違う。それは、僕が意識的にアクセスすることを避けてきた、心の奥底にある傷ついたデータ領域だった。
僕たちの記憶は、ハードディスクに記録された、不変のデータではない。それは、思い出すたびに再構築される、脆く、不確かなものだ。認知科学では、それを
古いカセットテープを再生するたびに、テープは僅かに摩耗し、録音ヘッドの角度で音質が変わり、時には周囲のノイズを拾ってしまう。僕の記憶も、それと同じだった。
玲音の物語は、僕の記憶という古いテープに、新しい、そして強力な信号として作用した。彼女が語った「誤差の共鳴」という概念が、僕の脳の予測モデルに、新しい仮説を与えたのだ。
――あの夏の日の、タカシとのことだ。
僕がこの旅に出る前、最後に会った親友。いや、本当に会ったのが最後だったのか、それすらも、今となっては曖-昧だ。僕のエピソード記憶は、まるで何度も上書きされたデータのように、その細部がひどく不確かだった 。
確かなのは、僕たちが、あの塔へ向かったということだけだ。
「なあ、クマ。この世界って、誰かが書いた物語なのかもしれないな」
いつだったか、タカシがそう言った。僕はそれを、いつもの彼の癖だと笑って流した。でも、彼の目は真剣だった。
僕の記憶の中のタカシは、いつも何かを探していた。この完成された世界の、その先に何かがあるはずだと信じていた。僕がこの世界の停滞を静かに受け入れていたのとは、対照的に。
そして、あの塔で、彼は何かを見つけてしまったのだ。
僕の記憶は、そこで途切れている。思い出そうとすると、頭の中にノイズが走る。でも、玲音の話を聞いてから、僕はそのノイズの向こう側へ、足を踏み出さなければならないような気がしていた。
僕が失った記憶の断片。タカシが消えた理由。そして、僕がこの旅に出た、本当の意味。そのすべてが、あの塔にある。
僕のウォークマンは、いつの間にかA面の再生を終え、ガチャン、と音を立ててB面へと切り替わっていた。
だが、僕の人生は、まだA面を繰り返しているだけだ。この反復記号から抜け出さなければ。
「次の駅で降りよう」僕は、窓の外を眺めながら言った。
「何か見つけたんですか?」と玲音が尋ねる。
「いや、思い出しただけだ。行かなくちゃいけない場所を」
玲音は何も聞かず、ただ静かに頷いた。彼女には、僕の心の中の、小さな「予測誤差」が見えているのかもしれない。
列車を降り、バスを乗り継ぎ、僕たちは山の方へ向かった。携帯端末の電波も届かない、静寂に包まれた場所。そこから、記憶の中の風景だけを頼りに、僕たちは歩き始めた。
僕が、僕自身の物語の、失われたページを探すために。
そして、その行為が、この世界の最後のページをめくることになるのだということを、僕はまだ、知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます