葬列の中で

ギア

葬列の中で

 確か去年の秋ごろの話だったと思う。友人から、ようやく車の免許をとれたから皆でレンタカーを借りて旅行しよう、という話になった。男4人で1泊2日。レンタカー費用は頭割り、ただし運転手担当のそいつだけ割安にする、という感じで話が進んだ。

 行先はどこでも良かったから適当にあみだくじで決めた。アメリカとか南極とか、そういうふざけた候補が出るたびにやり直して、ようやく決まったのが東北だった。誰の案だったのかは良く分からない。俺じゃなかったのは確かだ。なんにせよ、紅葉も綺麗だろうし、東京よりは車も少なくて運転も初心者向きなんじゃないか、ってことで特に反対意見も出なかった。

 まずは新幹線で東北まで向かった。目的地は、初めて名前を聞いた駅で、読み方も電車の中で知った。なんて名前の駅だったかは忘れた。いずれにせよ、とりあえず3時間ほどかかって駅についた。あらかじめ電話で、レンタカーの店舗までは歩くと結構かかるから車で迎えにいきます、という話になってた。

 迎えに来た車は小さめの軽自動車で、助手席に座った俺はレンタカーの人と、今日は随分と暖かいが日が落ちたら寒くなる、とか、この時期は紅葉を目当てに観光客が多いけど駐車場はどこも広いので停めるのに困ることはないだろう、とか、そんな他愛ない話をしてた。

 迎えにきた車が結構小さ目だったから社用車だろうと勝手に思っていたが、到着したときにまさにそれがレンタルする車だと聞かされた。ただ1泊2日の小旅行ということに加えて男だけの4人組だったこともあり、後部座席の裏のスペースに荷物は全部収まった。おかげで特に狭いとは感じずに済んだ。

 運転手を買って出た友人が戸惑っていたのは車の大きさよりもサイドブレーキやエンジンのスイッチなどの操作だった。教習所の車と全然違うとぼやきながら、車を動かすだけで一苦労で、全然動き出さない俺たちに不振がった店員が助けに来てくれなかったら駐車場から出ることすら無理だったと思う。

 せっかくだからと友人は出発前にウィンカーやワイパーの操作まで一通り練習していた。俺を含めた残りの3人の不安はいや増すばかりだったが、色々試し終えた友人は自信満々だった。

「結局さ、車なんてハンドルとアクセルとブレーキで動くもんなんだよ。ゲームセンターのレースゲームと同じで仕組み自体は簡単なんだから」と友人は得意げに俺たちへ語ったが、当然、それを聞いて安どの表情を浮かべた奴は俺を含めて1人もいなかった。

 駅から助手席に座っていた俺がそのままカーナビを操作する担当になった。タッチパネルの操作はスマホとそう変わらない。目的地を設定して、あとはただ指示に従うだけだ。

 ネットでは、カーナビが見当違いな指示をしてきてそれに従ったらとんでもない場所に連れて行かれた、なんて話が腐るほど紹介されているが、実際はそんなこともなく、マップに出る道順と「50メートル先を左折してください」などと流れる女性の声の指示に従って進めばちゃんと狙った場所に辿り着けた。

 ただカーナビの指示でちょっと困ったのは「右寄り、左寄り」という表現だ。これが「道の右側に寄れ、左側に寄れ」という意味だと分からなかった俺たちは、最初のうちはそれを「右折、左折」の意味だと勘違いし、目の前の1本道を見ながら「どこで右に曲がればいいんだ」と慌てた。

 コンビニに寄ったりしながら俺たちは西へと向かった。目的地は本州から西へ突き出た小さな半島で、出来れば夕方までにそこのホテルに辿り着きたいと思っていた。最初のうちは普段見慣れない畑や山々の風景に反応していた俺たちだったが、電車の長旅の疲れなどから後部座席の2人はすぐに居眠りを始めてしまい、眠気覚ましに会話していた俺と運転手もすぐに話題が尽きて、たまにカーナビが「この先、道なりにまっすぐです」と呟く以外、車内は静かになった。

 そのうち山の中へと入っていった。2車線の広い国道の両側は視界いっぱいを木々が占めるようになり、日本の国土の大半が山林であることをあらためて思い知る。日はゆっくりと沈み始め、頭上の空はまだ昼の明るさを残していたが、向かう先である西の空は綺麗なオレンジ色に変わり始めていた。

 後部座席の友人の様子を確認がてら後ろを振り向くと、2人ともそれぞれ器用にドアにもたれて寝ていた。すっぽりと空いた2人のあいだから、後ろを走る1台の車のヘッドライトがこっちを照らしていた。背後の東の空には夜の気配が薄暗く漂い始めている。

 そして運転手の友人にヘッドライトを点けたほうがいいかもしれない、と言おうとしたときだった。

「この先で葬式でもあったのかな」

 いきなり運転している友人がそんなことを言った。

「どうした、いきなり。霊柩車とすれ違ったのか?」

「いや、いますれ違った車に乗ってた人が全員喪服だったからさ」

 時間帯のせいなのか、人口密度のためか、前にも対向車線にも車の姿はほとんど見えず、そのせいで数少ない対向車が気になったのだろう。

「じゃあまた何台か喪服ばかりの車を見るかもな。葬式の客が車1台分に収まるとも思えないし」

 その言葉に友人は何も言わなかった。そのまま沈黙が続くことに少し抵抗があった俺は、そろそろヘッドライトを点けたらどうだ、と伝えた。友人は黙って頷くと、しばらくワイパーを無駄に上下させたり、ウィンカーを左右に光らせたりしたあと、ヘッドライトを点けることに成功した。まだ薄暗くなり始めてばかりの道路を弱弱しくライトの光が照らした。

 それからまたしばらくして対向車線に1台の車がヘッドライトの明かりと共に通り過ぎた。

「本当だ」

 静かな車内に友人の呟きが漏れた。

「何が?」

「また葬式帰りだった。全員、喪服だ」

 さっきから随分と間を空けての後続だな、と思った。最後まで残っていた近しい遺族だろうか。または別の葬式という可能性もある。いずれにせよ、暗さを増してきた山野の景色の中で考えたい話題ではなかった。

「気のせいだと思うんだけどさ」

 かすかな不安を感じていた俺は、唐突に発せられたためらいがちな友人の言葉に、なんだよ、と少し強めの語気を返してしまう。その勢いに気圧されたように友人は言葉を途切らせた。

「……いや、なんでもない」

「いいから言えよ」

「だから気のせいだって」

「気になるだろ。気のせいでもなんでもいいからとっとと言えよ!」

 先を促そうと軽く蹴ったつもりだったダッシュボードは思いのほか大きな音を立てた。後ろの2人が起きるかと思ったが、後部座席からは何も聞こえなかった。

「いや、さっきすれ違った車の奴らがさ、全員こっち見てたんだ」

「え?」

「それで通り過ぎるときもずっとこっちを向いたままだったんだ」

 まるで飛んでる虫を追うみたいな目だった、と続けた。

 嘘つけ、と笑い飛ばそうとしたが前方を凝視しながら淡々と話す友人の表情に言葉が出なかった。その顔から視線を剥がすように後部座席に顔を向けた。どっちでもいいから起こして今の話を聞かせて、バカかと笑ってもらおうと思ったからだ。

 しかし後ろを振り向いた俺は思わず固まった。

 目に入ったのはさっきからヘッドライトを点けて後ろを走る車だった。いや車自体はこれといって特徴のないただの黒い乗用車だ。目をそらせなかった理由はその中に見えたものだ。

 乗っている全員が喪服姿だった。運転手の男性も助手席の和服姿の女性も後部座席に見えるそれ以外の人影も、まるで切り絵のように際立つ黒い衣装と白い襟で、その並ぶ白い顔が見ている先は俺たちの車だった。

 そして俺は気づいてはいけないことに気づいてしまった。

 夜の薄闇に溶け込みそうな黒い車がヘッドライトを放っているなら、その逆行の向こうにある人の顔が普通なら見えるわけがない。見えるということは何かが普通ではない。

「おい」

 運転席の友人が小さな声で俺を呼んだ。

「どういうときだよ。さっきからすれ違う車が全部葬式帰りなんだよ。そんなことありえんのかよ」

 おい、と震える声で俺を呼ぶその言葉を聞いて、ふと思った。

 葬式帰りじゃないんじゃないか、と。

 今まさに弔いに向かっているところなんじゃないか。誰の弔いか。奴らは誰を見ている。誰を見ていた。あの後ろの車の白い顔は。

 そのとき。

「道なりにまっすぐです」

 無機質な女の声が聞こえた。

 ひっ、と短く息を吸い込んだ友人がハンドルを握りしめ、思い切りアクセルを踏み込んだ。

 あとから思い返しても、なぜこのとき反射的に体が動いたのか、よく分からなかった。思わず顔を向けたフロントガラスの先で、大きく左へと道路がカーブしていて、正面のガードレールの向こうに怖いほど綺麗な赤紫色の夕闇がぼんやりと広がっていて、俺は咄嗟に友人の握りしめるハンドルをつかんで下へと引き下ろした。

 カーブよりずっと手前で左に急ハンドルを切らされたレンタカーは、まずは路肩にタイヤをこすりつけ、焦げるゴムが白い煙を後ろへと漂わせたかと思った次の瞬間、大きく路肩を乗り越え、左にそそりたつ山肌に車体をぶつけた。

 振動と激音が収まった。気が付くと車は止まっていた。いくら請求されるかな。いや確か借りたときに保険に入ったはずだ。冷静なのかおかしいのか分からないそんな考えが頭をよぎった。

「おい、保険、入ってたよな」

 首だけ曲げて横を見ると、運転席の友人は俺の言葉が聞こえているのかいないのか、言葉もないまま、叫ぶように口を開き、その口と同じく丸く見開いた目でただ宙の1点を見ていた。

 いや、よく見たら違った。

 友人はバックミラーを見ていた。そして突然、その開いた口から、まるで栓を抜いたように悲鳴が長々と漏れて、車内を満たした。


 あのあと、体の痛みに目を覚ました友人たちが車の状態と俺たちの様子に混乱しながらもなんとか電話で助けを呼んでくれた。もちろん旅行は中止になり、叫び続けたあとそのまま気を失った友人は病院へと運ばれた。

 そして運転席にいたその友人がまともに喋れるようになって、あのとき何を見たのかをなんとか聞き出せたのはそれから何週間も経ってからだった。

 友人はあのとき聞こえた言葉に操られるように体が勝手にハンドルをまっすぐに固定しつつアクセルを強く踏み込んだという。そして俺が横からハンドルをつかんで車が山肌に激突したあと、ふとバックミラーに目を向けたとき、その後部座席の真ん中に真っ白い服を着た女を見たのだと言う。

 そしてその女はバックミラー越しに友人を2つの穴のような真っ黒い目で見つめながら、あの事故の直前に聞こえたのと同じ声で「道なりにまっすぐなのに」と口を動かしたかと思いきや、一生忘れ得ないほどの憎しみを込めた形相で睨みつけてきたところで友人は気を失ったらしい。

 もしかしたら例のカーブで曲がり切れずに事故で死んだ女か誰かがいたのかもしれない。その怨念が弔いのための仲間を欲しがったのかもしれない。何にせよ、俺たちはわざわざそれを調べる気も起きず、二度とこの話題に触れることはなかった。そして退院した友人はせっかくとった免許だったがその後はただの身分証明書として以上の使い道はせず、二度と運転することはなかった。

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