第92話 旅館にて

 アトラス学院で行われる各部での交流会。それに生徒会役員として参加するべく温泉へとやって来たアクア。そんな彼女は前年中学校の生徒会長だった事で顔見知りとなっていた為旅館の女将と顔見知りというアリシアと別れ、ひとまずはカインと合流していた。


「カイン」

「お嬢様……長旅、お疲れではございませんか?」

「ふふ。問題ありません。だって、ね?」


 どこかいたずらっぽく、アクアはカインに笑い掛ける。それに、カインもまた笑って頷いた。


「左様でございましたね……それで、アクア様。改めてになりますが、私はこちらの部屋におりますので、なにかありましたらご連絡を」

「……はい。確認しました」


 アクアはカインから送られてきた情報を腕輪で確認すると、それを頭に入れておく。どうやらカインの部屋はアクアの居る部屋の二つ隣斜め前。角部屋だ。と、そんな彼の同室を見て、僅かに目を見開いた。


「あれ?」

「どうされました?」

「同室……リーガとなっています。リーガって……リーガさんですよね?」

「ええ……お忘れですか? この旅館には風紀員の皆様も宿泊されます」

「ああ、いえ……それは覚えています」


 カインの返答に、アクアは一つ頷いた。基本的に生徒会と風紀委員はなにかと協力して動く事が多い。なので生徒会と風紀委員限定とはなるが同じ宿泊先を選ぶ事があり、今年はその同じ宿泊先を選んでいたのであった。というわけで、そこは生徒会役員として把握していたアクアが疑問点を問いかけた。


「確か別の所に纏まっていたのではないか、と」

「ああ、それですか。ええ。基本的にはエリアを分けているのですが……どうにも人数の調整の関係で私と同室に」

「はぁ……」


 確かに従者とはいえ男女同室にするわけにもいかないし、かといって基本主人は生徒として別け隔てなく二人部屋なのに従者一人の為に部屋を一つ用意するのは主人の手前若干憚られる。なのでこういう事は何年かに一回は起きるそうで、今年はリーガがそうだった、という事だった。


「あ、そうだ。カイン。一応地図で見たのですが、温泉の入浴可能時間の記載がありませんでした。何か知っていませんか?」

「おや……少々、お待ち下さい」


 折角の温泉だ。なのに温泉に入れないのはいささか勿体ないだろう。というわけで、カインは旅館のシステムにアクセスして、風呂場の入浴可能時間を確認する。


「……夜12時まで、入浴が可能との事です」

「そうですか。それだと、基本は関係なさそうですね」

「かと」


 一応、ここには学業の一環で来ているのだ。なので消灯時間はきちんと決まっており、それに合わせてお風呂などの時間を設ける必要があった。そして夜の12時はその消灯時間――中等部以降は11時――を大幅に超過しており、気にするほどではなかった。というわけで、一応の確認を終えた後、カインが告げた。


「では、アクア様。向かいましょうか」

「そうですね」


 バカみたいに入り口で話している必要は無い。なので二人は一度荷物を置くべく、それぞれの部屋に向かう事にする。そうして一旦部屋に入ったアクアを見届けて、カインもまた自室へと向かう。


「ふむ……リーガさんはまだか」


 少しゆっくり出来そうか。カインは座椅子に腰掛け、外を見る。すでに夕刻は過ぎており、夜闇が周囲を包んでいた。それを横目に、彼は急須でお茶を入れる。


「……懐かしいな。有馬は何時以来だったか」


 夜闇を見ながら、カインはお茶を一口口にする。別に紅茶だけが彼の好きなお茶というわけではない。緑茶も抹茶も飲む。単に育ちの関係から紅茶を良く飲むというだけだ。


「さて……お茶請けは、と」


 少しだけ楽しげに、カインは幸福堂で買っておいた包みを開ける。あの場で食べる為に蒸し饅頭は買ったが、それ以外にも茶菓子が売っている。というわけで、いくつかお茶請けに買っておいたのであった。


「これだ。さて……」


 カインは少しだけ嬉しそうに、買っておいたおはぎ――夕食前なのでかなり小ぶり――へと楊枝を突き立てる。と、その瞬間だ。唐突に電子音が鳴り響いた。


「失礼します」

「……」

「……」


 あんぐり、と口を開けた所に入ってきたのは、当然リーガである。が、そんな彼も基本優雅に振る舞うカインが大口を開けておはぎを食べようとすれば固まるだろう。というわけで、少しの沈黙の後。カインはおはぎを皿に置いて、何時もの風を取り繕った。


「失礼しました」

「い、いえ。こちらこそ失礼致しました……えっと……お好き、なのですか?」

「え、えぇ……実はかつて師事した師がおはぎが好みでして……事ある毎に振る舞われましたので、どうにも緑茶にはおはぎと……」


 非常に恥ずかしげに、カインはリーガの問いかけに頷いた。流石の彼も今の一瞬は恥ずかしかったらしい。


「え、えーと……どうですか?」

「……あ、頂きます」


 当然であるが、カインも同室者が来てまで一人おはぎを食べるわけがない。そしてリーガも流石にこの状況では応諾しか選択肢はなかったようだ。というわけで、カインは珍しい失態を晒しながら、交流会の開始までの一時をリーガと共に過ごす事になるのだった。




 さて、カインが珍しい失態を晒しながらもリーガと共に一時の休息を得ていた一方、その頃。アクアもアクアでアリシアと共に一時の休息を得ていた。


「あ、そうだ。アクア」

「はい」

「温泉、何時入る? もう行く?」

「とりあえず、お夕食の後にしようと思います。流石に今からだと時間掛かると駄目ですし……」


 基本的にカインもアクアもその時々と状況に応じてお風呂を何時入るかを決めている。なので時には夕食前に入る事もあるし、夕食後に入る事もあった。と、そんな彼女の意見を聞いて、アリシアも少し照れた様子で頷いた。


「あ、そっか……そういえばそうね」

「はい……そういえば、ここからはひとまずお夕食でしたっけ?」

「ええ。お夕食を食べて、後は一日フリーね。まぁ、あのモニターでゲームやったり、温泉に併設されている遊戯スペースで遊んだりしてる人も居るわ」

「遊戯スペース……そんなのがあるんですか」

「ええ」


 元々言われている事であるが、日本とイギリスは第三次世界大戦の影響が比較的少なかった場所だ。なので当時の文化風習や名残りがそこかしこに散見されており、旅館やホテルに遊戯スペースがあったりするのは多かった。

 そしてその流れで世界中のホテルにも似た様に遊戯スペースが置かれている所が多かった。が、今まで僻地で暮らしていた事になっているアクアが知らないのは無理もない、とアリシアは思ったようだ。

 と、そんな風に駄弁りながら時間を潰していると、アリシアがセットしたタイマーが電子音を鳴り響かせる。


「あ……もう時間ね」

「そうみたいですね……良し。行きましょう」

「ええ」


 アラートを終了させたアクアの言葉に、アリシアもまた頷いて立ち上がる。そうして二人は一度一階に降りて、大宴会場に入る。


「ああ、来たな、二人共」

「会長……着替えられたんですか?」

「ああ……動きやすいからな」


 アクアの問いかけに、クラリスは一つ腕を上げて浴衣を見せてみる。これはアクアらの部屋にもあるが、日本の旅館でよくある貸し出し用の浴衣がある。それを着ていたのであった。


「一応学業としての交流会ではあるが、そこまでかしこまった場ではない。ルイ先輩も、もう着替えているからな」

「あ……本当ですね」


 クラリスの言葉にアクアも示された方を見てみれば、確かにルイも浴衣に着替えている様子だった。他にも数人の生徒会役員は浴衣に着替えており、学生服との比率としては半々という所だろう。というわけで、今度はクラリスがアリシアを見る。


「アリシアは……着替えなかったのか」

「はい……去年、お醤油こぼしてしまってショックだったので。ご飯の後にしようかと」

「そういえば確かに妙に落ち込んでいたな。あれはそういう事だったのか」


 思い出した。そんな様子でクラリスが笑う。どうやら去年そんな事があり、浴衣を汚して迷惑を掛けたらしかった。


「まぁ、今年は良いが。流石にお前はわかっているな?」

「ええ……まぁ、今年は去年までのリベンジ、という事で一つ」

「ま、良いだろう。が、来年はきちんと着てくる様に」

「はい」


 クラリスの言葉に、アリシアが一つ頷いた。そうして二人は自分の席に向かうわけであるが、そこでアクアが問いかける。


「どういう事ですか?」

「ああ、本当はあれ。生徒会長はこの場が固くなりすぎない様に、浴衣を着てくる事がルールなの。ほら、さっき言ったけど、私去年生徒会長だったでしょう? だからそのルールも知ってるし、内々に知っている者はそれに合わせるのがルールなの」

「ああ、それで……」


 道理で生徒会長は全員浴衣になっているわけか。アクアは良く見てみれば小中高大学とすべての生徒会会長が浴衣で統一されている事に気が付いた。というわけで、そんな事を語ったアリシアであったが、一転だけ少し恥ずかしげに告げた。


「でも……それで去年ちょっと気合入りすぎちゃって。色々と失敗が多かったの」

「どんな?」

「ちょ、ちょっと。確かに言ったの私だけど、そんな身を乗り出して聞かないでよ」


 やはりアクアもアリシアを友人と捉えているからだろう。少し楽しげに彼女の失態について聞いていた。と、そんな事をしている間にも料理の支度が整っていき、気付けば全員分の料理が並んでいた。そうしてそれを見て場が静まり返り、上座に腰掛けるルイが立ち上がった。


「まずは、諸君。学業を終えた後にも関わらず、この場に集まってくれた事に感謝を申し上げたい。ありがとう」


 まずルイがしたのは、この交流会に集まってくれた事への感謝だ。基本的に交流会は学業の一環にはなっているものの、参加するしないは個々人の自由となっている。なので参加しない選択肢は与えられて――行使出来るかどうかは別だが――おり、一応の体面としてこういうのがルールのようなものだった。そうして、彼は少しの間、演説を行っていく。


「それで、諸君。今日この場に集まってもらったのは、他でもない。アトラス学院という巨大学院において、我ら共に学生自治の根幹を成す生徒会に所属する者。所属こそ違うものの、その誇りは違わぬものと思う」


 基本的にこの場では年代に関わらず一体感を持たせる事が重要だ。なのでルイの基本的な演説の方針としては、年齢に関わらず想いは同じである、という事を中心として語っていく様子だった。そうして、およそ一分程度の演説の後。彼は置かれていた盃に手を伸ばす。


「まぁ、あまり長く語ってもすでに目の前の食事に目が行っている者も居るだろう。ここの食事が美味である事は私が保証しよう。であればこそ、温かい内に頂くべきだろう。なので、私からの話は以上だ……では、乾杯!」

「「「かんぱーい!」」」


 ルイの音頭に合わせて、生徒会役員一同が声を合わせる。そうして、食事会が始まる事になったわけであるが、やはり大半の育ちが育ちだ。

 基本は誰もがおしゃべりをしながら食べる、という事はなく、そしてそうでない者たちは緊張していたりするので静かに進む。が、それも食べ終われば、話が別だった。


「ああ、アリシアくん。少し隣、良いか?」

「ルイ先輩……珍しいですね、先輩が自らこちらになんて」

「ああ……ああ、失礼」


 食事が粗方食べ終わった頃合いを見計らった頃合いを見計らいやって来たルイに、アリシアが僅かにスペースを開ける。丁度食べ終わった所だったので誰も来ていないタイミングで、これからどうするか、という所だった。


「すまないな。一応、ミリアリア女史の事で話を聞いておこうと思ってな」

「女史の、ですか」

「ああ……」


 アクアの問いかけに一つ頷いたルイは、遠くにいるニコルに視線を送る。そうして、彼女が密かに三人を包み込む様に結界を展開した。

 音漏れを防ぐ為、という所だろう。アリシアが居るタイミングで声を掛けたのは、彼女に仲介者としての役割を期待しての事だった。


「これで良い。まずは先の件だが。あの件については君も知っていると思うが、君たち高等部の初期メンバーを除けば学内でミリアリア女史の裏を知っているのは学院長と副長、そして私と私の補佐を務めている総副会長だけだと思ってくれ」

「承知しております」


 これは改めての確認という所で、アクアとしても別に何か目新しい話があるわけでもない。ルイが知っているのは、その必要があるからだ。


「ああ……それで、女史がそのまま担任となる事は君の希望と聞いている」

「ええ……ああ、大凡理解しました。学院長ですね」

「ああ」


 アクアの言葉に、ルイが少し呆れる様に笑う。そうして、彼が告げた。


「まぁ、君もわかっているだろうが、学院長は別に取り立てて優れた人物ではなくてね。いや、失礼。別に悪い人物でもない。学院の運営という意味では、優れてもいる。ああ見えて、経営に関しては一角の人物だと保証しよう。人格という面と察しという意味での話だ」

「あ、あははは……」


 ある意味では辛辣とも取れるルイの言葉に、アクアは笑うしかなかった。とはいえ、ミリアリアをそのまま担任に、というのはアクアの意思で間違いない。なので彼女は改めて、それを明言する。


「……兎にも角にも、ミリア女史をそのまま担任に、というのは私の意思で間違いありません。そして父が許可をされている事もまた事実です」

「だろう。ミリアリア女史をそのまま担任に、という意見はそもそもオーシャン社から出されたものだ。そこに君の意見が含まれていないとは、私も思えなくてね」

「ええ……何より、女史を無罪とした以上、担任の変更は都合が悪いかと」

「ああ」


 ミリアリアはあくまでも、自身の研究を悪用された立場。それが、公式的な見解だ。なので彼女には一切の罪はなく、担任を変えてしまうとうがった見方をされるだろう。この点をカインも危惧しており、そのままとする様に指示を出したのであった。というわけで、そこらは想定内だったルイは少しだけ、声のトーンを落とした。


「実はここだけの話、学院長がミリアリア女史を何とか追い出せないか画策している様子でね」

「ま、まぁ……わからないではないですが……」

「まぁ、私としてもそれが悪手である事はわかっているし、現状だとオーシャン社にも不都合がある。すまないが、お父君にそれとなく、伝えてはくれないだろうか」

「わかりました。ありがとうございます」


 なるほど、どうやらルイは学院長の行動が学院の益とならないと判断し、彼を掣肘するべく動いたというわけなのだろう。そしてそれはアクアの意にもそぐわない。なので彼女はルイの依頼を受け入れて、カインへと伝える事にするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る