第86話 夏の前に

 ゴールデンウィークも随分遠くとなり、アトラス学院がようやくの日常を取り戻していた頃。その頃になり、サイエンス・マジック社の一件で軟禁状態になっていたミリアリアもまた教職に復帰する事となる。

 そんな彼女はアクアとのやり取りにより悔恨が随分と和らぐ事となり、改めてアクアの学院での生活のサポートを約束。隠蔽工作の強力な助っ人となってくれる事となっていた。


「では、ありがとうございました」

「うん。じゃあ、また何か困り事とかあったら言って頂戴ね。アクアさんには世話になっちゃったから、多少の事なら無理してあげるわ」

「はい、ありがとうございます」


 来た時より随分と朗らかな様子で、ミリアリアはエレベータの前に立つ。そんな彼女と共に、カインはエレベータへと乗り込んだ。


「ありがとうございます」

「……お礼を言うのはこっちよ。ありがとうございました」


 カインのレイに対して、ミリアリアが深々と頭を下げる。そしてこれの意味や意図が察せられないほど、カインは愚鈍ではない。


「いえ……それで、どうでしょう。今後のサポートなどの方針は」

「ああ、それなら問題は無いわ。基本的に魔力の波形というのは固定なの。それは魔力過多症も変わらない。あの症状の患者は測定上はただ波形の振幅が大きくなるだけね。波形そのものに変化はない。だから、基本は今ある元来の振幅を大きくしてやるだけで良い。そこに幾つかノイズを含ませておけば、大丈夫ね。そのノイズも私が研究で持っている物をランダムに入れてしまえば十分でしょう」

「そうでしたか。重ね重ね、ありがとうございます」


 これで、ひとまずアクアの学院での生活に問題は出ないだろう。カインは何より、それに安堵を浮かべる。兎にも角にも全てはアクアが優先されるのだ。

 彼女が満足にアトラス学院で三年間――大学にも行く場合は更に四年――を過ごせる事。そのために、ミリアリアの助力が必須というのは一切の嘘の無い言葉だった。というわけで、今後の打ち合わせのような物を手早く終わらせた所で、エレベータが一階へとたどり着く。


「では、今後もよろしくお願い致します」

「はい……ああ、見送りはここで良いわ。エアルの所行くから」

「かしこまりました……ああ、そうだ。これは病院からの連絡なのですが……」

「っ」


 一瞬だけ、ミリアリアが怯えたような様子を見せる。が、これにカインは微笑みと共に告げた。


「妹様のご症状、かなり緩和されたとの事です。非常に喜ばれておいででしたよ」

「! はぁ……人が悪いわね」

「ふふ……ご褒美とは、最後まで取っておくものです。それに、来た時に話しましたら、人質とでも思われてしまうでしょう?」

「はぁ……貴方だけは本当に厄介ね」


 実際、来た当時の自分ならそう捉えていただろう。ミリアリアは一時間ほど前の自分を思い出し、どこか呆れた様に笑う。どこまでがカインの意図で行われた事かはわからないが、今なら素直に受け取る事が出来た。そうして、そんな彼女にカインが一つの提案を行った。


「それで……これは旦那様からの提案なのですが」

「? オーシャンさんからの?」

「はい……もしよろしければ、妹様をアトラス学院の中等部に通わせてはどうか、と」

「はい?」


 寝耳に水の提案に、ミリアリアが困惑を露わにする。故に、彼女はその意図が理解出来ずに困惑気味に問いかける。


「い、いえ……その、有り難い申し出だとは思うのだけど……どうして?」

「一つには、薬を使用すれば日常生活を送って問題無いのだ、と示す意味があります。幸いアトラス学院にはアクア様という前例がある。そして学院としても治験結果を受けて、であれば受け入れやすい。無論、貴方という開発責任者が学院に居る事もある」

「なるほど……」


 一見すると善意での申し出にも思えるが、実際にはしっかりと企業としての利益も見据えた上での行動だった。ミリアリアはオーシャン社の考えに思わず納得する。そしてこれは彼女自身としても有り難い申し出ではあった。そしてこれだけではない、とカインは更に続けた。


「そして薬効が確かである事を示す事が出来るのなら、アクア様の学院での生活にもさらなる安全が約束されたと言って良いでしょう」

「なるほど……相変わらずしたたかかつ、過保護ね」


 カインの言葉に、ミリアリアは若干の苦笑を滲ませる。やはりアクアの病は症状が症状として知られている病だった。

 なので学院としては医師の診断結果があるので大丈夫、と告げてはいるものの学生達全員がそれを受け入れているわけではない。生徒会に所属させていたのも、下手に彼女に危害が加えられない様にするそこらの兼ね合いがあったのだ。


「……一度、あの子に話してみるわ。私としてもその申し出を受け入れさせて貰えるのなら、何より有り難い。今でこそ病院に居るしかないから居るのだけど、必要がなくなれば病院から出してあげる事も出来る」

「はい……では、御一考のほど、よろしくお願い致します」

「ええ……じゃあ、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 カインとアクアは最後に一度だけ、従者と教師として別れの挨拶を交わし合う。そうして、ミリアリアはエアルの所へと向かい、カインはアクアの所へと戻っていき、それぞれの夜を過ごす事になるのだった。




 さて、ミリアリアの来訪を受けて更に数日。一週間も終わりとなる金曜日の放課後の事だ。あいも変わらずアクアはカインと共に生徒会活動に勤しんでいた。そんな中、クラリスがふと思い出して問いかけた。


「……シャーロット。そう言えば以前言っていた予算案の提出。どうなっている?」

「あ、はい。以前アクアさんに訪問して頂いて、応答があった所についてはすでに返答が来ています」

「それ以外は?」

「そこも改めて私とアクアさんで手分けしてプッシュしています。今日の5時までになければ予算審議には参加出来ないもの、とすでに通知済みです」

「何件だ?」

「残り二件です。ほかは全て回収済みです」


 再三再四告げた上で出さないのであれば、それは生徒会としても情状酌量の余地はない。実際、どうしても今日までに予算案の提出が出来ない部についてはしっかり事前に事情の説明がされており、そこについては猶予を設ける事で決定している。それはクラリスも把握済みで、それならば問題無いだろう、と彼女は一つ頷いた。


「良し。それなら問題は無いな……全員、聞いてくれ」


 クラリスの言葉に、全員が作業の手を止める。そうして自身に注目が集まったのを見た所で、彼女は口を開いた。


「例年行われているので知っている者も多いとは思うが、今年は新しく入った一年生が多いので改めて説明させて貰う……例年、アトラス学院の生徒会……すまん。言葉が足りなかった。アトラス学院の全ての生徒会だ。なので小中高に加えて、大学も含まれる」


 どうやら本当にそのままの意味でアトラス学院の生徒会らしい。アクアはクラリスが敢えて誤解の無い様に言い直したのを受けて、そう理解する。そうして、そんな彼女が更に続けた。


「それが集まって、夏を前に一度交流会を行う事になっている。まぁ、生徒会が一番学院全体に関わる事が多いからな。業務に慣れてきたこの時期に交流会を行おう、という事だ」


 なるほど、納得だ。アクアはクラリスというかアトラス学院の方針に納得する。アトラス学院は幼稚園から大学院まである巨大な学院だ。

 そして学院という様に、全部がアトラス学院の生徒となり、同じ敷地にある。なので頻繁にやり取りがされており、どこかで一度集まって交流会を、というのは悪くない発想だと言えただろう。


「それが半月後にあってな。そこに向けて動く事になるのだが……まぁ、これについては用意をしておいてくれ、と言うだけなのだが、来週の木金に予定が入っている者は居るか?」

「あの、会長」

「ん? 予定があるか?」

「あ、いえ。予定なら問題は無いです。が、土日ではなく、ですか?」

「ああ、そこか」


 確かに聞けば疑問に思うだろう。クラリスはアクアの指摘に笑って頷いた。いくら時代が変わろうと、一般的に木金が平日である事は変わらない。

 なので学院でも基本は月曜日から金曜日は平常授業となり、学生達はそれに参加している。なのに木曜金曜で交流会を行うというのは、確かに不思議に思えるだろう。


「そういえば、アクアは今年から入ってきたのだったな。なら、知らなくても無理はないか……実はアトラス学院には創立記念日以外にも特別な祝日があってな」

「特別な祝日、ですか」

「ああ。解放記念日、というんだ」

「はぁ……」


 聞いた事のない祝日だ。訝しげなアクアは生返事だ。これに、クラリスが告げた。


「来週の金曜日……一般的には第四次世界大戦が終了した日を記念する日として、学院が休みになるんだ」

「あれ……? ですが確か終戦記念日は……」

「ああ。別日で、学院でも普通の祝日が設けられている」


 アクアの疑問に対して、クラリスは少し困ったような笑い顔を浮かべる。そうして、そんな彼女が教えてくれた。


「まぁ、もう大昔の事になるそうなんだが……昔この日の前に七星様の子孫が集まって夜会を開いていたそうだ。まぁ、交流会と考えてくれて問題はない」

「はぁ……」

「それで、それが今の交流会になった……までは良いか?」

「はい」


 元々七星の子孫というのは上流階級になっている。そしてアトラス学院にはそういった上流階級の子孫達が多く通っている。クラリスやアリシアがそうである様に、歴代の生徒会に所属している者も少なくない。なのでその子孫達が集まって夜会を開いていた、というのならそれが転じて交流会になったとしても不思議はない。


「それで、ある時その生徒達が大勢金曜日に休む事があったそうでな……まぁ、早い話がテンションが上がってしまって旅行に出かけてしまったそうだ」

「は、はぁ……」

「それで、そういった者たちが親になり『神を支える者キュベレー』となり、集まった際にいっそ金曜日を休みにしてしまえば良いのでは、となって休みになったそうだ」

「え、えぇ……」


 そんなのが許されるのか。クラリスの言葉に、アクアは思わず頬を引き攣らせる。が、こればかりはアトラス学院の特殊性が為せる技だった。


「まぁ、わかるがな。この学院の生徒会や保護者会にはこの学院の卒業生も少なくないそうなんだ。で、学生時代に怒られたから、子供達には存分に交流会をさせてやりたい、と一日だけ、祝日にさせたそうなんだ」

「あ、あはははは……」


 おそらくその大勢揃って旅行に出かけた者たちが発起人なのだろうなぁ。アクアは若干苦笑する様に笑うクラリスの言葉を聞きながら、引きつった笑いを浮かべる。

 実際、相手が『神を支える者キュベレー』であれば大抵の親どころか学院側も逆らえない。押し通す事は出来ただろう。とはいえ、折角親達が設けてくれた祝日だ。これ幸いと活用していたのである。


「まぁ、それは置いておいても、折角だからと各学の各部や我々もこの日に揃って交流会を開かせて貰っていてな。木曜日の放課後に出発し、金曜日の夜に戻ってくる日程を立てさせて貰っている、というわけだ」

「ということは、他の部も?」

「ああ。折角だからな。実際、学生達の受けはかなり良いようだ」


 なにせ学校公認で交流会を開けた上に、学校まで休みになるのだ。これを喜ばない学生は多くはなく、特に部活生ならすでに大会で活躍するような有名な先輩と関わりを持てたりもするので、諸手を挙げて賛成されるそうである。

 先の予算案に間に合わない、というのはこの交流会で先輩などの意見を聞きながら決めたいので、という所もあるそうだ。そしてこういう事なので生徒会側も認めていたらしかった。


「というわけなので、安心して参加してくれ……が、浮かれて学業を疎かにしないようにな」

「はい」


 クラリスの言葉に、アクアが笑って一つ頷いた。そうして、その後もしばらくの間はこの交流会についての説明を受ける事になるのだった。

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