第35話 闇に潜む者達

 カインやアクア、アリシアらがサイエンス・マジック社に関わる事件から離れて何時もの日常を取り戻していた一方その頃。当たり前といえば当たり前であるが、世界はそんな事も関係なく動いていた。

 それは勿論、コードネーム『ケルベロス』ことドライの周囲でもそうであった。彼女は何時も通りといえば何時ものアレクシアの無茶振りに振り回されながらも『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の業務を行っていた。


「……ふむ」


 ドライは部下から送られてきた報告書を見ながら、一つ頷いた。あのアリシア達と会ったあの日、彼女が追っていた別件に関する報告書だった。

 どうやら軍の一部が資材を横流ししていたらしく、その首謀者がサイエンス・マジック社と繋がっていたという報告を受けたのである。それで社長達の捕縛が行われるという話を受けて情報が得られないか、とやってきていたのであった。これはその社長達に対して行った調書であった。


「やはり、横流ししていた様子ですね……サイエンス・マジック社は軍需産業への参入も画策していたという話ですから……通信記録を洗い出すべきですね」


 これについては専門の部署にまかせて、と。ドライは一つ頷いて書類にサインを入れておく。と、そんな所にドライに似た少女が現れた。

 背丈はドライより僅かに小柄。顔立ちには愛らしさと美しさが絶妙に同居している。外見年齢としてはドライより僅かに下だろう。長い金髪をツインテールに纏めた高校一年生程度の少女だった。


「ドライ」

「ツヴァイ姉さま」

「調書はどうですか?」


 ツヴァイ。そう呼ばれた少女はドライへと作業の進捗を問いかける。彼女こそ、『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の総隊長。この部隊最強の戦士にして『オルトロス』のコードネームを与えられた少女だった。

 なお、ドライが三つ編みなのもツヴァイがツインテールなのも全てアレクシアの趣味である。コードネームもそれに合わせたものであった。

 『オルトロス』は北欧神話におけるフェンリルの弟で二つ首の犬、『ケルベロス』は言うまでもなくギリシア神話の冥界を守る三首の犬だ。完全にアレクシアの職権濫用である。


「やはりサイエンス・マジック社の幹部が軍と癒着していた様子です。どうやらクローンの情報を売買させていた様子です。SM社の幹部が自白しました」

「やはり、ですか」


 ドライからの報告にツヴァイがため息と共に首を振る。まだ復興の途上のこの時代だ。どうしても軍部の癒着も散見されていた。

 それを何とかするのも、彼女らの仕事だった。と、そんな風に真面目な様子を見せたツヴァイに対して、ドライがおずおずと問いかけた。


「……あの……」

「……」


 聞くか、普通。ドライに対してツヴァイがジト目かつ無言を以って問いかける。


「え、えっと……その……お疲れ様です……」

「……そろそろアレクシア様も満足されてるでしょうから、着替えてきます」

「あら、駄目に決まってるじゃない」

「「ひゃあ!?」」


 ツヴァイとドライは唐突に響いたアレクシアの声に飛び上がる。どうやら密かに忍び寄っていたらしい。一応『神話の猟犬ヘル・ハウンド』最強はこの二人なのであるが、彼女らより強いのがアレクシアである。

 というより、現人類最強と言われているのが彼女だった。それこそ軍人であり弟のアレクセイや武人として知られている皇龍よりも強いのでは、とさえ言われていた。


「うっふふふふ! どうどう!? すごい出来でしょ!? ここしばらくで一番気合入ってるのよ!」


 じゃじゃーん、という効果音でも鳴りそうなほどに上機嫌にアレクシアがメイド服姿のツヴァイをドライへと見せる。それに対するツヴァイは顔は真っ赤だった。

 とはいえ、それも仕方がないだろう。ツヴァイのメイド服のスカートの丈は膝上で非常に短く、おまけに胸の谷間まで見せている非常にエロティックなものだった。


「うぅ……もうやだぁ……」

「あ、いえ、あの……素晴らしい出来栄えかと……」


 半泣きの同僚より優先されるのは当然であるが主である。その同僚が喩え姉と慕う相手であろうと、だ。故にドライはアレクシアに対してとりあえず出来栄えを褒めておく。一応社交辞令であるが、それにアレクシアが上機嫌に頷いた。


「でしょう? このスカートの丈とかかなり気を遣ったのよー。この見えそうで見えないギリギリのライン。さっき跳び上がった時もギリギリ、パンツが見えない領域で大成功ね。あ、パンツはきちんと縞々に変えた? 私も見えてないからわかんなかったのよね」

「あの……もしかしてそれを確認する為だけに、後ろからわざわざ……」

「モチのロンよ! そうじゃないとびっくりしてくれないでしょう? あ、でも可能ならコケてくれた方が良かったかなー」


 うわぁ。ドライはサムズ・アップするアレクシアと、ミニのメイド服の裾を引っ張るツヴァイを見ながら頬を引き攣らせる。

 そんなツヴァイの姿は非常に背徳的であり、愛らしいものがあった。思わず庇護欲が掻き立てられるとでもいうべきだろうが、惜しむらくはここに男が居ない事だろう。アレクシアの意向でこの屋敷に男は滅多な事では入れないらしい。弟であるアレクセイさえ、滅多な事では入れてもらえなかった。

 彼の場合は目を離すとこの屋敷の従者達に手を出しかねない事を理解しているので、アレクシアが絶対に許可無く屋敷に入るな、ときつく言い渡したそうである。過去になにかあったらしい。


「さて。後は正統派メイドの紅葉ちゃん用を作らないと駄目ね」

「……ほっ……」


 上機嫌に次の標的を告げたアレクシアの言葉を聞いて、ドライが僅かに視線を逸して安堵のため息を零す。どうやらあの時の言葉は気まぐれで、自分の分は無いらしい。そう思ったのである。

 が、それは早計だった。ドライは座っていた所為で机の影になっていたアレクシアの荷物に気付けなかったのである。というわけでアレクシアが一つの包みを持ち上げて、中身を差し出した。


「ということで、はい。こっちはドライの分ね」

「……え?」

「はい、後これはカチューシャと眼鏡」

「……」


 私もあれを着るんですか。着るんですね。ドライは書類の山を吹き飛ばして置かれたメイド服一式を見ながら、諦めを浮かべる。

 アレクシアに反抗した所で無駄である事は彼女もよく知っている。やると決めたらどんな事でもやるのが彼女だ。逃げ道があるわけがなかった。

 というわけで、無言かつニコニコとしながら着るわよね、と無言の圧力を掛けるアレクシアを見て、ドライは落ち込んだ様子でメイド服を手に取った。


「……着替えてまいります」

「早く早くー」

「……はい」


 自らの背に投げかけられたアレクシアの言葉に、ドライはがっくりと肩を落としながら別室へと移動する。流石にここで着替えたくはなかったらしい。

 いや、念の為に言えばここに居るのは三人だけだ。なので見られた所で問題はない。無いが、ここで着替えるとアレクシアが戯れにセクハラしてくる可能性がある事をドライは良く知っていた。


「……アレクシア様」

「あら、なぁに?」

「何故最近メイド服なのですか?」

「最近のマイブームよ」


 アレクシアはツヴァイの問いかけに即断する。どうやら深い意味は無いらしい。そうして、彼女は不満げに口を尖らせた。


「後は暇だから」

「ひ、暇……」


 一応言うとアレクシアは現在の世界政府における最高責任者であり、同時に彼女の指導があればこそ世界は上手に回っている。

 彼女が居なくなれば確実に復興の速度は今の何十分の一になるだろう、というのが世間一般の認識だ。今は三百年前とは大きく事情が異なるのだ。魔物の出現で失われた人類の生息域の拡大や、核で汚染された地域の除染など、やらねばならない事は多種多様に渡っている。

 それ故に激務の筈であるが、彼女にとって統治とは暇つぶしにもならない程度でしかなかったのである。


「それに何より……貴方達本当は私の従者なのに、最近はそっちの仕事優先だしー。私寂しいー」

「ひゃあ! どこに手を突っ込んでるんですか!?」

「ここはその為にあるのよ」


 ツヴァイのメイド服の胸元、具体的には見えている彼女の胸の谷間に手を突っ込んだアレクシアは顔を真っ赤に染めたツヴァイに対して一切憚る事なく、非常に真面目な顔で明言する。と、そんな彼女は一転して、今までとはどこか違う笑みを浮かべた。


「ああ、そうだ。そう言えば……さっきの話。駄犬の中に一匹厄介な犬が紛れ込んでるから、ドライに命じてついでに掃除しておいて頂戴な。まぁ、そいつは放置でも良いのだけど……どうせ価値のない存在なのだし。厄介を引き起こす前に、片付けておいて頂戴」

「……」


 だから、この方は恐ろしい。唐突に統治者としての冷酷な顔を覗かせたアレクシアに、ツヴァイは内心で恐れおののく。

 この方が何を考え、どういう思考回路をしているのかがわからない。まだそんな情報は上がっていない。おそらく掴まれた事をこの内通者も知らないだろう。

 というより、まだサイエンス・マジック社と繋がっていた軍の内通者が誰か、と確定してさえいないのだ。が、彼女が言うのだから真実だと、この二百年でツヴァイは心底思い知らされていた。


「かしこまりました。掃除して参ります」

「ああ、駄目よ。貴方が行っちゃ駄目。これはそもそもドライに任せた仕事。貴方が行くのは筋違いよ。まぁ、手助けしたければ、好きになさいな」


 アレクシアの指示にツヴァイは小首をかしげる。駄犬、というのが誰かは考えるまでもない。彼女にとっての犬。それは『神話の猟犬ヘル・ハウンド』に他ならない。

 世間では世界政府トップの合議制により運営されていると言われていたりもするが、そんなわけは一切ない。『神話の猟犬ヘル・ハウンド』はアレクシアの私兵。それを他の者達に必要に応じて貸しているだけに過ぎないのだ。

 故に、駄犬という場合は、私欲に塗れ軍の機密を売り渡した『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の隊員と言ってよかった。まぁ、ここで恐ろしいのは、それさえ彼女の策である可能性が非常に高い事、という所だろう。


「かしこまりました」


 アレクシアの指示は確かに道理だ。部隊の統率を行うのはツヴァイとドライ。部下の醜態のけじめは二人の内どちらかが着けるべきで、これが先の一件の続きであればドライが行うべきだろう。

 と、そう承諾して少し考えてみて、先のサイエンス・マジック社の一件が些かおかしくも思えた。あの程度の雑兵に動かすか、と疑問だったのだ。というわけで、彼女は主へと問いかけた。


「まさか……先の一件はこの炙り出しを?」

「あら……そのつもりは一切無いわ。だって、この程度の輩の為に私のかわいい猟犬を貸し出すわけがないじゃない。私が貴方達を貸し出すのは、何時だって私の家族の為よ?」

「っ……」


 本気だ。ツヴァイはアレクシアとの長い付き合いだからこそ、この言葉の裏を正確に理解していた。これはつまり、まだ他に考えがあっての事だというわけである。

 いや、更に言ってしまえば、この程度の相手にはわざわざ炙り出しをしなくても、繋がっていた事なぞ把握していた、とさえ言っていた。彼女はこの世界の中心に居ながら、末端の事まで完璧に把握していたのである。

 何を考えているかわからない。何を知っているかがわからない。全てが彼女の手のひらの上で踊らされている気さえしてしまう。それが、ツヴァイには心底恐ろしかった。そんな怯えを見て、アレクシアは慈母の顔を浮かべる。


「あら……そんな顔しなくても大丈夫よ。知っているでしょう? 貴方は可愛い私の子犬パピー。飼い主が躾け以外で手を上げるわけがないでしょう? 手は上げないわ。私は間違いなく、貴方を愛しているのだから」

「……失礼致しました」


 何年一緒に居るのか。ツヴァイがそうである様に、逆説的に言えばアレクシアもまたそれだけ長い期間彼女と一緒に居るのだ。彼女が抱く恐れが見抜けない筈がなかった。故に、ただ静かに、彼女は慈愛の顔を浮かべる主へと頭を下げる。

 間違いなく、アレクシアはツヴァイを家族として愛している。それに一切の恥ずべき所はなく、それどころか堂々と彼女は明言するだろう。猟犬だろうと私の家族である、と。


「愛しい子ね、ツヴァイ・アウロラ。私の家名をあげた少女。オーロラに恥じぬ可愛らしさよ……さぁ、私のかわいいオルトロス。私の庭を汚す駄犬の始末は貴方達に任せるわ」

「かしこまりました……聖女の名の下に。聖伐を開始します」

「ええ、お願いね」


 主命は下った。そして醜態を晒したのは自らの部下だ。であれば、ツヴァイがなすべき事は一つである。そうして、ツヴァイはドライと共に自らの部隊の中に潜む内通者を狩るべく動く事にするのだった。

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