第19話 初めての友達

 カインは三つ葉葵から違法薬物の一つにして生物兵器を作り出すという『魔力活性化薬』の情報を入手して、アトラス学院の敷地へと帰還していた。そんな彼であるが、偽装の為用意させた数々の食材を置く為に寮に戻っていた。

 と、そんな寮の玄関では届いた荷物の仕分けを寮監のエアルが行っており、そこで彼はシステムのミスによりミリアリア宛の荷物が届いていた事を知る。というわけで今どき珍しい紙媒体の手紙を受け取ったカインはそれを手に、高等部の校舎へと戻っていた。


「ああ、聞いたわよー。ありがとねー」


 というわけで従者用の待機室に戻る最中に職員室に立ち寄ったカインであるが、どうやらちょうどミリアリアは授業も無く職員室で待機していた。

 ここで、カインは実は中身を確認していない。下手に動くべきではない、と判断したのだ。エアルがミリアリアへ手紙をカインに預けた旨を記したメールを出した時間、アクアの寮から高等部までに常識的に掛かる時間等を考えた際、もし手紙の中身を精査したりコピーした場合、確実に常識的な範疇を超えてしまう。

 今、彼女に疑われるのは得策ではない。情報が欲しければ三つ葉葵からの情報を待ってからで良いと判断したのであった。


「いえ、偶然アクア様のお食事のお買い物が終わり食材を寮に持ち帰った所、エアルさんがお困りの様子でしたので……僭越ですが、私から申し出させて頂きました」

「あははは。あ、苦情についてはこっちでプッシュしておくから、カインさんは気にしなくて良いわ。一昨日今日送った、ってあの子からメール入ってたんだけど……来ないなー、って思ってたらミスってそっち行っちゃってたみたいねー」


 どうやらミリアリアもこの手紙が到着するのをずっと待っていたらしい。まぁ、そうだろうとはカインも思う。

 彼女の家庭は実は少し複雑らしく、ミリアリアがカシワギ女史ではなくミリアリアで呼ばれる様に依頼しているのは、実家をあまり良く思っていないからだ。なので公的な場以外ではミリアリアで通しているのである。

 件の妹とやらが父親の不義の子らしく、一時彼女があまり良くない立場に置かれていた事を知って怒っているらしかった。姉妹の仲は良いらしい。

 ミリアリアもこの学院の卒業生。それも首席だ。名家の出身である事は調査済みだ。であれば、その父親に隠し子が居ても不思議はなかった。


「まー、あんまり他所様にお聞かせする話じゃないんだけど、ちょっと訳ありの子でね。時々しか連絡取れないのよ。で、高校で写真部らしくてさ。私が一眼レフっていう二十世紀ぐらいに出来たアンティークカメラを買ってあげたら、写真送ってくれるって」


 ミリアリアは嬉しげに封筒に同封されていたらしい写真をカインへと見せる。彼女自身言っていたが、この時代に一眼レフのカメラを使うのは非常に珍しい。現像も自分でせねばならないだろう。

 一応アトラス学院にも写真部はあるが、大半がデジタルカメラを使っている。今どき、劣化するフィルムカメラを使うのは非常に稀だった。学院の部員でもどれだけがきちんと使えるか、と疑問だろう。


「おや……これはアネモネ、チューリップ……フリージアまでありますね。花壇の写真ですか」

「フ、フリージアなんてよく知ってるわね。いえ、流石はオーシャン家の執事、と言うべきなのかもしれないけど……こっちは……」

「ふむ……ずいぶんと長閑な様子ですね」


 二枚目の写真に写っていたのは、都会から離れたどこか自然豊かな所の写真だ。これに、カインはわずかに内心でほくそ笑む。

 おそらくこの写真が取られたのは、彼女の妹が入院している病院だ。花壇は病院の花壇。病院から見れる風景が分かれば、場所の特定は可能だろう。が、そもそもミリアリアは入院している事も隠している。故に、彼女は写真を見ながら嘘を吐いた。


「多分、部活でどこかの森にでも出掛けたのでしょうね。何枚か似たような写真があるわね」

「遊歩道から撮った写真、という事ですか……ああ、有難うございます。妹さんの思い出を思い出すのに私はお邪魔でしょう。お嬢様に帰還を報告せねばなりませんんし……」

「ああ、ごめんなさいね。とりあえず、手紙を届けてくれてありがとうございます」

「いえ。では、失礼致します」


 カインは引き留めた事を謝罪したミリアリアに頭を下げ、職員室を後にする。些か想定とは違ったが、中身を確認出来たのは非常に幸運だった。

 今日の放課後から始まる勧誘活動の本格化に合わせて彼女の部屋に忍び込んで確認するつもりだったが、この手紙に関してはその必要は殆ど無くなった。目標の一つが無くなるだけでもずいぶんと仕事はしやすくなる。


「……オレだ。映像は見ていたな?」

『はい。早速データベースにアクセスして、写真の情報に合致する病院を探します……カイン様。もし判明した場合、そちらにも襲撃を仕掛けますか?』

「ふむ……」


 オペレーターの問いかけにカインは歩きながらわずかに黙考する。実のところ、何の意味もなく最初からミリアリアが怪しいと踏んだわけではない。

 調査している内に奇妙な話が舞い込んできたので、彼女が関係者だと睨んだのだ。その情報が、この妹の事だった。彼らの調査で妹が居て入院している事は掴めたが、その居場所が何故か隠されていたのだ。

 最初不義の子だからスキャンダルを隠す為に隠されているのか、とも思ったがどうにも何かがおかしかった。今の病院を手配したのはミリアリアらしい。確かに実家の支援はあまり無い事を考えれば、特許料を手にした彼女が妹に一流の病院を手配してもおかしくはない。

 だが、いくらなんでも自分達が調べて入院先がわからないのは可怪しい。何か普通ではない裏組織の暗躍が考えられたのである。


「襲撃の手配だけは整えろ。もし彼女が敵の手先だった場合、妹を確保すれば脅しに使える。逆にSM社に捕らえられ脅されている場合、妹を確保すればこちらの手駒になってくれる。人質は取った時点で恨みを買うからな」

『かしこまりました。襲撃部隊には襲撃の準備を。社の研究部門にも準備を命じておきます』

「流石はオレの腹心だ」


 オペレーターの返答にカインは満面の笑みを浮かべ、満足げに頷いた。まったくもって優秀であった。彼女はカインの指示の更にその先。カインが想定している未来の中でも最大の利益が手に入る場合を理解して準備を整える、と言ったのである。


「さてと……」


 準備は整ってきたな。カインはオペレーターとの通信を終わらせると、再び従者としての仮面を被り直す。そうしてそれとほぼ同時に、彼は従者達専用の待機室へとたどり着いた。


「戻りました」

「ああ、カイ殿。ずいぶんと長く掛かっていたな」

「お嬢様は今日からお疲れでしょうから……少々、精をつけていただこうかと」

「なるほど……たしかにな。こちらも一応主人にはあまり戯れぬ様言っておこう」

「有難うございます」


 カインは入ってきたと同時に声を掛けてきた従者達と当たり障りのない会話を行う。ここら、もし主人が暴走しそうならそれを掣肘するのも彼らの役目だ。

 そしてその掣肘に有力者達の子女が関わるのなら、それに対して協力する姿勢を見せるのは主人の両親の望みに沿う。ここらの根回しも彼らの仕事だった。そうして、カインもまたその根回しの仕事に戻る事にするのだった。




 さて、それから数時間後。授業が終わり放課後になると同時。カインはアクアに即座に呼び出しを受けていた。


「……」

「……」


 え、何。なぜこんな事になってるの。アリシアはガタガタガタと震えるカインと上品な微笑みを見せるアクアを見ながら、教室を後にできない状況だった。

 そもそも思い出せばカインは今日一日アクアとは一緒でなかった。怒らせる要因は一切無いはずだ。昼休憩の際に今日の夕食はしっかり食べたいので買い物に出てくれ、と言ってカインが応じたきりのはずだ。

 その時のアクアは至って普通のお嬢様で、アリシアも自分もそうるすか、とナナセに同じ事を命じたぐらいだ。なぜこんな事になるか理解不能だった。


「カイン」

「は、はい!」


 アクアの呼びかけに応ずるカインの声は非常に上ずっていた。それはまるで悪事がバレた子供の様な感じでさえあった。が、それに対するアクアはまるで慈愛の女神の顔のまま、背後に修羅を浮かべるという非常に器用な芸当を披露していた。


「見てますから……ね?」


 怖い。確実に激怒している。たった数日の付き合いしかないアリシアであったが、それでもアクアが敢えて『ね?』の部分だけわずかに間を空けた事を察した。


「……………………こ、心得ておりますとも! ほ、他ならぬアクア様の目の届かぬ所なぞ無いと、それはこのカイン! よく理解しております! アクア様に隠し事なぞ致しません!」

「……」


 一瞬、カイン気を失ったんじゃないかしら。にこやかな笑顔で告げられたアクアの意味不明な一言に答えたカインが浮かべていた不自然な間を、アリシアはそう読み取った。それほどの圧力がアクアの言葉にはあった。多分、自分なら泣き出して失禁している。そう思ったほどだ。


「え、えーっと……カイン。主人に何かをしたのなら……えっと、他所様の従者に言うべきではないのだけど、きちんと謝った方が……」

「いいえ、アリシアさん。カインは何も悪い事はしていませんよ」


 嘘だ。絶対に嘘だ。アリシアはアクアの返答をそう思う。多分、自分の罪は自分がよくわかっていますよね、という言外の意思が見え隠れしている。


「あ、ありがとうございます、アリシア様……ですが、ご心配なく。ええ、ご心配なさらず」


 なんか今の一時でこの二人の印象ががらりと変わったなぁ。アリシアは唐突に覗かせた二人の別の側面に、わずかに嬉しく思った。そしてだからだろう。アリシアも意図せず、こんな反応が出てしまった。


「ふふ」

「「……」」

「あ、ごめんなさい」


 人が怒っている所に唐突に笑いだしたのだ。アクアとカインは呆気にとられたし、周囲はまさかのアリシアの反応に大いに恐れおののいた。


「でも、ちょっと嬉しかったから」

「嬉しかった、ですか?」

「うん」


 ぱちくり、と目を瞬かせるアクアに対して、アリシアは嬉しそうに頷いた。


「ほら、アクア。何時もお上品ににこにこ笑ってるだけだから……こんな風に怒ったりもするんだな、って。ごめんなさい。どこか人間離れした存在みたいに思ってたの」

「……ふふ。それはまぁ、私も人ですから」


 アリシアの言う事はもっともといえばもっともであった。アクアはやはり仕事や立場もあって、あまり素は晒さない様にしている。その素が、ここでは垣間見えたと言って良いだろう。


「うん。わかってる。でももう少しそんなふうな顔を見せてくれても良いのにな、って。お友達でしょ?」

「……」


 アリシアの一言に思わず、アクアは呆気にとられた。友達。今までずっと人里離れた場所に居た彼女にとって、側に居てくれた従者であるカインだけだった。

 が、彼は友達ではない。従者であり、何より永遠を誓った恋人だ。だから、彼女には友達は居なかったと言って良かった。それ故にその屈託のない言葉を聞いて、彼女はおそらくカインが恋人となった時に浮かべたと同じ笑顔が自然と浮かんだ。


「はい!」

「ん、よろしい。じゃあ、行きましょうか。お姉さまに今日は早めに来い、って言われているし、もう先輩方は動いている様子だものね」


 アクアの返答にアリシアは上機嫌に頷いた。彼女も彼女でやはりお家柄もあり友人は少ない。知り合いは多かろうと、友達と言えるのは少ないのだ。

 そして立場上、相手が利益を求めてすり寄っているかどうかは本能で察せられる。アクアがそれもない純真無垢な少女だと理解していたのだ。彼女も奥底では、友達に飢えていたのだろう。そんな言葉が口をついて出たのである。

 と、そんな彼女がまるで照れ隠しの様――事実、今になって何を言ったか理解したらしく顔は真っ赤だった――に立ち上がり背を向けて、アクアもそれに続いて立ち上がる。

 が、その次の瞬間。よしよし、とまるで兄の様な視点から少女らの友情を微笑ましく眺めていたカインの真横でアクアは立ち止まった。


「……カイン」

「はい、なんでしょう」

「忘れたわけじゃ、ないですよ?」

「……」


 オレは忘れてました。完全に時の止まった身体の内側でそう思うカインであるが、アクアは存外物覚えが良かったらしい。

 というわけで、そんなカインを見たアクアは先程と同じく背後に修羅を浮かべる笑顔でしっかりと釘を差した。が、今度はカインにのみ聞こえる様に小声で、だ。


「寮に帰ったら用意は整えておいてくださいね? ……シャワー程度でマーキングは落ちませんから」

「……あ、はい」


 どうやらどうあってもアクアの嫉妬からは逃げられないらしい。カインはそれを悟って遠い目で頷いた。

 と、そんなカインに頷いたアクアが去った所で、今度はナナセが声を掛けた。無論、アクアには聞こえない様に小声で、である。


「……お疲れ様です」

「いえ……」


 あはははは。儚い笑みを浮かべるカインに、ナナセは彼の所も彼の所で大変なんだな、と僅かな同情を浮かべていた。彼らの仕事は従者。主人に仕える者だ。時として、こんなこんな理不尽にも思える怒りを受けるのであった。

 それはナナセも従者だからこそ、よくわかっていた。そうしてナナセは内心これからは少しだけカインに優しくしてやろう、と決めてカインや主人達と共に生徒会室へと向かう事にするのだった。

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