第15話 情報

 アクアの担任にしてアトラス学院でも有数の才女であるミリアリア女史。彼女が密かに関わっているという研究のしっぽを掴むべく副聖都の地下にある地下歓楽街の長にして情報屋を営む三つ葉葵と呼ばれる女性へと接触していたカイン。

 彼は芙蓉と雛菊という二人の美姫にして三つ葉葵の側近に導かれ、三つ葉葵との会合を果たしていた。そんな彼は情報をもらう為の本気度を示す前金を差し出し、本題に入るべく口を開いた。


「これが、今回オレから貴方へ差し出す前金だ。日本円にしておよそ一千万」

「あら……」


 がちゃっ、と音を立てて開いたトランクケースの中に収められていた札束十個を見て、三つ葉葵は上機嫌に頷いた。なお、現在の地球の金銭は世界政府の中心が日本にある事でその名残として、世界共通で日本円が使われている。

 第三次世界大戦ではイギリスと日本が最も被害を受けておらず、最も秩序が保たれていたからだ。当時としては唯一この二国のみが政府としての信用が担保されて居た為、通貨として円とポンドはなんとか使えたのである。


「良いわ。それだけの依頼で、なおかつそれだけ貴方が本気だという事。話を聞きましょう」

「助かる……さて、ではオレの依頼だ。まずは、これを」


 カインは一つ頷くと、懐から更に小さな白い紙の包みを取り出す。それは手のひらサイズの小さな包みだ。カインはそれを雛菊に手渡して、三つ葉葵へと渡してもらう。中に入っていたのは、独特な青い粉だ。

 それもカインの目の様に綺麗な青ではなく、毒々しい、見ていて気分が悪くなる様な青である。それを見て、三つ葉葵は一瞬でこの粉が何か理解した。この独特な青はとある薬物の特徴だったからだ。


「……『ブルー・ダスト』ね。別名『汚染された海の欠片アンクリア・ブルー』。ウチでは依存性が高すぎて取り扱わないものよ。女の子達がこれに手を出したら商売にならないものね」

「それはどうでも良い。興味は無い。話を進めると、それは近年SM社が裏社会に流している違法の薬物だ」

「あら……」


 これをカインが差し出した時、三つ葉葵が思ったのはこの出処を聞きたいのか、という事だ。カインもアクアも平然とこの出処がサイエンス・マジック社だと明言していたが、それは普通に裏社会に居ても知れる事ではなかった。

 裏社会でもかなり深い所にまで潜らないとわからない情報で、普通なら三つ葉葵の様な情報屋に聞いて手に入れる情報だった。それを、カインは知っている。なら何を聞きたいのか、と疑問に思うのは十分だった。


「それを知っていて、貴方は何が知りたいのかしら?」

「SM社が最近始めようとしている新商売だ」

「……貴方、相当深い闇の住人ね」


 カインの言葉を聞いて、三つ葉葵は今までになく真剣な顔を覗かせる。が、同時に三つ葉葵も自分の所に来たのが正しいと言うしかなかった。その情報は確かに、彼女は確保している。自分しか持っていない、とも思っていた。

 彼女の店と地下街の顧客にはサイエンス・マジック社の裏に関わる社員も当然に居る。その者の中でも危機管理能力が低い者から、店の女の子達が聞いていた。

 どうしても男とは女に見栄を張る生き物だ。故に喋ってしまった者が居たのである。そしてこれは確実に売れる、と踏んで更に情報を集めさせたわけだ。


「……貴方が聞きたいのは、おそらく『魔力活性化薬』の事で間違いないわね?」

「流石は、と言わせて頂こう。ここで生物兵器と言われたら失望したが」

「流石にここまで来て、そしてそこに至れている相手に仕事の話で侮りはしないわ」


 三つ葉葵の表情は真剣そのものだ。それが尚更、横の芙蓉と雛菊にもこの話の危険度と重要性、そして裏社会における深度の深さを悟らせた。


「……一応、これは私の興味本位。決して調べない事は明言するわ。これは裏社会の顔役としての宣言。担保としては十分よ。もし反故にすれば殺されても文句はない。だから、言わせて頂戴な」

「なら、聞いておこう」

「貴方のバック……私は多分あの薬を苦々しく思っているだろうオーシャン社だと思っていたけれど。多分、その更にバックに控えるラグナ教ではないかしら。それか、七星様のどなたかね」

「ノーコメントだ。答えも求めていないだろう?」

「そう、言ったわね」


 一介の傭兵が平然と一千万という大金を前金で支払えた上、こんな深度の深い情報を手に入れているのだ。間違いなくカインのバックは世界的な組織だ。

 それは少なくとも、三つ葉葵というこの副聖都の裏を取り仕切る者の一人であってさえ、決して手出ししたくないと思わせるほどの超巨大組織だと察せられた。

 間違いなく彼に不必要に手出しをすればその背後に控える超巨大組織により、自分どころか副聖都の裏社会全てが殲滅される。そう彼女は理解した。

 だから、これは敢えて言えば彼女にとってカインとは敵対しない事の明言に等しかった。自分も協力するので見逃してくれ。言外の降伏宣言でも良かった。


「……良いわ。今のはあくまでも私の独り言。取引には一切の影響はしない。じゃあ、取引に入りましょう。答えから言えば、イエス。『魔力活性化薬』の詳細を知っているわ」

「それは良かった。無駄足にならなくて済む」


 真剣な顔で知っている事を明言した三つ葉葵に対して、カインは至って平然としたものだ。当然だ。この場において立場は圧倒的にカインが上。本来は圧倒的な力を背景にして情報の供与を命ぜられる側だ。が、ここでは敢えて事を大きくしない為にも、一介の傭兵としての取引を望んでいたのである。


「その前に……報酬の話をしましょう。データはすぐにでも用意出来る。貴方が報酬を払えるか否かが重要よ」

「当然の話だ。教えてくれ。この情報……幾らだ?」


 当然の話として、まずは商品の価値を知らない事には取引も何も無い。カインも前金として一千万を差し出したが、これは単に己に十分な額の報酬を払える用意があるという見せ札に過ぎない。

 もし彼女がカインの背後を悟らなくとも、これは理解出来た。そうして、三つ葉葵は真剣にこの情報の価値を査定し、答えを出した。


「一億円。この情報は一億の価値があるわ。無論、薬の情報だけではなく、それに携わる全ての情報を含んでのお値段よ。研究員の構成、主任研究員は誰か、研究所や薬の治験を行っている場所はどこか。そういった今掴めている全てを含んだ値段ね。もし減額が必要なら、それに応じてという所で」

「ほぅ……」


 前金の十倍の値段設定。あまりに馬鹿げている。普通の感覚を持っていればそう判断するしかない値段設定に対して、カインは逆に笑みを零す。それだけ三つ葉葵はこの情報の精度と独自性に自信があるという証拠だろう。


「これが貴方でなければこの数倍をふっかけても十分。そう踏んだわ。これは貴方だからのお値段、と捉えてくれて結構よ」

「それはありがたい。適正な取引というわけだ」


 これを迷いなく支払える、ね。三つ葉葵は特に迷いもなく笑って商談に応じたカインに、自分の見立ては正しかったと理解する。普通、一億円と言えば反応は二つだ。あまりに高すぎるとして怒るか、少し考えさせてくれと保留するか、だ。

 が、彼は即断した。つまり、彼はこの取引が正当な値段設定だという事がわかっている。それだけこの情報が深度の深い所に潜らなければ手に入らない情報だとわかっている証拠だ。

 これだけでさえとてつもなく高度な政治的、経済的、学術的な様々な見識があって初めて出来る事だ。その上で、一億円の支払いに即座に応じられる。間違いなく、彼一回の傭兵ではなかった。


「一億についてはまた後日……明後日にでも持ってこよう。その時に情報を入れたチップを用意しておいてくれ」

「良いわ。準備させましょう」


 これはおそらく、自分にとっても最良の取引だった。三つ葉葵はわずかに鎌首をもたげる数倍の値段という莫大な利益への誘惑に対して、自らをそう嗜める。

 数倍の値段をふっかけて買える相手は非常に限られる。その相手が来れば良いとは思っていたが、同時にそれは絶対に得られると断じられる利益ではない。

 それに今後もし彼の背後と取引するとしても、自分はきちんと適正価格で情報を売れると思ってもらえる。少なくとも、睨まれはしない。

 如何に裏社会の顔役だろうと、基本は裏社会の住人。表にさえ影響を及ぼせる大組織に睨まれればひとたまりもない。


「……けれど」


 が、ここで。三つ葉葵はこの情報の深度を知ればこそ、どうしてもカインに言わねばならない事があった。故に彼女はこの情報の適正価格以外にもう一つ、条件を付け加える事にする。そんな彼女に、カインは立ち上がろうとしていた腰を再び下ろす。


「けれど、なんだ?」

「一つだけ条件があるわ。最後の条件を問う前に一つ聞いておきたいのだけど……この案件は基本、貴方が主導して片付けるという事で間違い無いわね?」

「ああ。それは確定だ。補佐に色々と動いてはいるが、オレがゴミの掃除する事になっている」


 カインは三つ葉葵の問いかけに対して、はっきりと明言する。彼の実力は間違いなくアトラス学院どころか現地球でもトップクラス。それは三つ葉葵も察せられた。

 が、それは総合的なものであって、戦闘力が如何ほどかは三つ葉葵にははっきりとは理解出来ない。それを知っておかねばならなかった。


「なら、貴方の実力を示して頂戴。今回SM社が作ろうとしている生物兵器。それは間違いなくとんでもない強さよ。それを片付けられるかどうか。それを知らない事には、貴方に情報は渡せない。無理なら、可能なだけの戦力を整えられる事を示して頂戴」

「おや……ずいぶんと気に入られたものだ」

「ええ、気に入っているわ。貴方は間違いなく良い取引相手。ここで死なれると困る相手よ」


 カインに対し、三つ葉葵ははっきりと認めた。が、決して気に入ったという精神的な理由ではない。もっと現金な理由だ。あの判断を即座に下せるという意味はあまりに大きい。彼はあの値段を聞いて、上が許可すると即座に判断した。

 間違いなく高度な政治的判断さえ可能な相手だ。この相手を失うのは取引相手を一人失うに等しい。彼女自身の利益として、失えなかった。


「それで? オレはどうやって実力を示せば良い?」

「これから私が指定する二つの敵と戦って頂戴」

「……一つはわかる。さっきから蜘蛛の糸の様な粘っこい殺気が漂っている」


 カインにこんな事を告げる主人の判断などは理解出来ずとも、この意味は理解出来ているらしい。芙蓉と雛菊の二人はカインに向けて隠すこと無く殺気を放っていた。

 その殺気は彼が言う通り、女郎蜘蛛の殺気。男を絡め取る妖艶でいて、決して男を逃さない蜘蛛の巣の様な殺気だ。


「そうよ。一つ目は、この二人。二つ目は、この二人を倒せたなら教えましょう」

「良いだろう。どんな相手でも連れてこい」

「自信家ね。この二人も相当な猛者なのだけれども」

「それはわかっている」


 この二人に実力差は一切存在していない。つまり、二人共がリーガクラスというわけだ。アトラス学院でも有数の猛者を二人、同時に相手をしろというわけである。

 が、カインは一切怯まない。取引相手を三つ葉葵とした時点で、その配下にはリーガクラスが居る事は想定していた。だから、この程度は最初から想定内だった。


「ついてらっしゃい。ここで戦うわけにはいかないわ。ここは応接間。客を迎える場所よ」

「良いだろう……いや、少し待て」

「「?」」


 獰猛に笑い犬歯を見せて立ち上がったカインであるが、彼を案内すべく近寄ってきた芙蓉と雛菊の二人に対して制止を掛ける。というのも、その二人が取った行動に原因があった。なんと二人は先程と同じくカインの腕に絡みついてきたのである。


「……まさかと思うが、この状態で開始とか言わないよな? 流石になんでもありの裏社会のバトルだろうと、これは卑怯だろう」

「単にお客人を気に入っただけです」

「犬や猫がじゃれて匂いをこすりつけているだけとお考えくださいな」


 それが一番困るんだが。雛菊の言葉にカインは心底疲れたように肩を落とす。彼女らと戦うより、マーキングされる方が後々厄介だ。

 が、どうやら三つ葉葵はこれを楽しげに見るだけで制止するつもりはないらしい。そうして、カインは仕方がなしに芙蓉と雛菊の二人に連れられて地下闘技場へと案内される事になるのだった。

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