70. Break the shield
「あはは、あははは、あっはははははははは!!!!!」
卜部籠愛は嗤っている。
眼前では、青い炎の獅子が膨張をつづけている。その『冷たい炎』が解き放たれるのも、もはや時間の問題だ。
残る邪魔者は三匹。だが、籠愛は『
そして残る三者の能力では、籠愛を倒すことはできない。
「生命力だけの蛇、速さだけの獣、そして
三者それぞれの、籠愛との相性はどうか。
吹羅は異能力を無効化でき、触れた『空気の刃』を霧散させることができる。『
蘭子は論外だ。『
唯一逆転の可能性があるのが、希瑠……彼は魂そのものを拡張して結界とし、世界に干渉する。そのため、『空気を操る』という能力に気付いた場合、結界内に限って空気の支配権を籠愛から奪うことができる。意思の力という『手』によって空気を動かす籠愛と違い、希瑠は結界内の事象を自分の『体』のように操れるのだ。……だが、希瑠は一度も籠愛の能力を
そして、そもそも。
「奴らがどんな策を講じようと、キマイラの暴走までに間に合うこともあるまいよ」
籠愛はほくそ笑む。
キマイラはもう限界だ。咆哮は悲鳴へ、そして
『
切れぎれの、えづくような喘ぎ声。炎の口からは唾液のように火花が散り、ダルマのように膨張した身体は、すでに市の中心部を覆い隠してしまった。
「爆発まであと1分も無い……それだけの時間で、誰に何ができる!
わたしの勝利だ! 人類の悪しき歴史は、満を持して幕引きだ! あーっははははははははははは!!!!!」
「――うっせえぞ、
「はははは…………は?」
籠愛の笑いが、止まった。
「誰だァ……?
振り返る。般若の形相で。
左側。効果範囲外、百メートルと少し離れた四車線道路。そこに、豆粒のような緑の人影が立っている。
……否。厳密には"人"影ではない。人の姿をした、しかし人ではない、
「
人の顔。まだあどけない、少年の顔。しかし挑発的な笑みを浮かべる口は耳まで裂け、笑うたびにガチガチと鳴る牙は肉食恐竜のように凶暴に尖る。
全身を覆うのは、
怪原理里……その半妖態が、凍った車道のど真ん中に立っていた。
「きさまァ……気絶していたんじゃあなかったのかッ!」
「おかげさまで目が覚めたんだよ! あんたが珠飛亜を墜落させてくれた、お陰でな!」
腕を組んで、仁王立ち。あらん限りの声で、蜥蜴男は応えてくる。
「これっぽっちも好きじゃねえ姉貴だが! それでもズタボロにされちゃあ許しておけねえ! ベレロフォン、おまえは俺がブッ倒す!」
「やってみろ……
即座、籠愛は急降下。左側、すべての『空気の刃』を理里に向ける。
だが、理里も負けてはいない。すぐさま後方に飛び退き、効果範囲外ギリギリの位置を保つ。
そして……
「!!」
その動作に、逆上していた籠愛もすぐさま平静を取り戻す。
それは、命を石に変える邪眼。黄金の光で生物を白く塗り潰す、万死の瞳。
(まずいッ!!)
光。それが少しでも皮膚に照らされれば、たちまち全身が石化する。死に至る。
ネクタルは残っていない。治療してくれる仲間もいない。その先に待つのは、絶望のみ――
「――ここで死ねるかアッッ!!!!」
叫んだ。
籠愛は叫んだ。
まだだ。まだ、自分には使命がある。やらなければならないことが、ある。
人類の次は、神々を滅ぼさなくてはならない。ここで自分が息絶えては、「使命」が中途半端に終わってしまう。自分の生まれた意味が、存在理由が、果たせないままに終わってしまう。
それだけは、
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!」
風。暴風。猛風。すべての風が、籠愛の前面に集中する。
効果範囲内半径百メートル、そのすべての空気を、集める。天空に、大地に、吹きすさぶ風を、ただ一点に。
そして――ふいに風が、止んだ。
「――"
「『
閃光。あふれんばかりの光。夜の帳をはらう
しかし。
「ハーッハハハハハハハハハハハハハ!!!!!! 効かん効かん! 貴様ごときの光など、一筋だろうと届かんわ!!!!」
黄金の光は籠愛に至る寸前で、ドーム状にはじけ飛ぶ――まるで、「見えない盾」が彼を守っているように。
『
極度に圧縮された空気は、光の動きすらねじ曲げる。これにより、籠愛は石化の光の直撃を防いだのだ。
「左眼を使ってしまえば、キサマはただの
強烈だった光が、だんだんと途切れる。弱くなる。ゆっくりと締められる水道の蛇口のように、ぽつ、ぽつ、と点滅し――消えた。
「くたばれ、『
そう、歓喜して『空気の刃』を再錬成しようとし――
止まった。
「……は?」
籠愛は、静止した。目を見開き、手を前方にかざしたままの態勢で。
(いな……い……!?)
居ない。
さっきまで道路の真ん中に立っていたはずの理里が、いない。車道のど真ん中に、ふてぶてしく仁王立ちしていた影が居ない。
「ど、どこに――」
辺りを見回しかけ……その答えは、すぐに彼に届いた。
ごう、と。
風圧。頭頂部が、それを感じた。籠愛が自分の周辺にだけ、呼吸と飛行のために残していた気流。それが、わずかに動いた。
反射的に、上を見上げると――
「オオオオオオオッラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!」
いた。
拳。緑色の鱗に覆われた拳をまっすぐに突き出し、落下してきた影が。
その形相は憤怒に歪んでいて。牙をくいしばり、黄色の眼を
……そして。
影は、ひとつではなかった。
(ああ……あなた、までも……)
拳。鍛え上げられた、毛の一本もない「人」の拳。
眼鏡はかけておらず、普段まとめている髪も振り乱し。鳥の顔から、人のものへと徐々に変化しつつある、厳格な男の顔。よく見ると、裸の身体には
(……なんと……いう、ことだ……)
その瞬間。彼ら作戦のすべてを、籠愛は理解した。
邪眼の発動はブラフだった。『
理里は、圧縮した空気に光を歪める性質があることを知っていたのだ。あえて邪眼の光を防御させ、光が消えたと同時に、テセウスが理里を抱え籠愛の真上に急上昇……そこから彼らは、自由落下による攻撃をしかけたのだ。
もはや防御は間に合わない。籠愛が空気に意思を伝えるより速く、彼らの拳は籠愛の頭部に至る。刹那すら許されないほどの間に。
(だが……なぜ?)
なぜそのような回りくどい攻撃を? はじめから邪眼の光で奇襲していれば、籠愛を殺すことはできたのに――
(……!)
なぜか。その疑問の答えは、籠愛のすぐ目の前にあった。
手塩の、顔。怒りと、悲しみと――
そして、愛。鉄面皮は、いろんな感情でしわくちゃに歪んでいた。普段の冷徹な無表情は見る影もなく、ただ、それらが混ざり合ったぐちゃぐちゃの貌が、そこにあった。
(……あなたは……どこまでも……!)
すべて、理解した。彼の甘さも、優しさも。そして、彼とともに拳を握る怪物の慈悲深さも。
(あなたにも……そんな顔が、できたのか……)
じわり。と、籠愛の目尻に滴が浮かんだとき――
ふたつの鉄拳が、籠愛の顔を殴り落とした。
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