48. Surprising League



「どう、して……なんで、そんな、姿に」


 トカゲ男の姿で、地面に膝をつき、刺された腹部を右手で抑えながらも、理里は手塩に問う。

 が、相手の態度は大地を覆う氷より冷たかった。


「それを教える義理はありません。あなたは紛れもない、敵なのですから。どこで誰がこの話を聞いているとも知れない」


 2つに割れた舌で唇を舐め、手塩は剣先を理里に向けた。


「しかし、私とて感慨深いものはあります。転生してからはじめて交戦し、そして一度は撤退を余儀なくされたあなたに、今ようやく止めを刺せる……この時を、どれだけ待ち望んだことか」


 天を仰いだ手塩の表情は計り知れない。だが、その低い声は、どことなく上ずっているようにも思えた。

 が。すぐさまその声は、元の堅牢な雰囲気に戻る。


「……とはいえ。怪物の思考というのは、とんと理解できませんね。これほどの、町一つを滅ぼす惨劇を引き起こしたキマイラを、なぜまもろうとする?」


 剣先が理里の顎を上げる。蜥蜴の下顎から紅い血がしたたり落ちた。

 しかし。理里の黄色い眼は、揺るがなかった。


「……家族だから、だよ」


 生気のない声。しかし。その声色には、しだいに力が籠もっていった。


「家族だからだよ! 生まれてからずっと一緒に過ごしてきた、血のつながった、かけがえのない、大切な妹だからだよ! 守りたいに決まってんだろ!」

「……愚かな」


 耳まで裂けた口で、手塩が蔑んだ。


「本当に理解しているのか? その妹は、この街のほぼ全ての人間を殺害した。絶対零度の凍気によって。柚葉市の人口13万5千人……そのほぼ全てを、たった1匹で殺し尽くしたのだぞ? その罪の重さを、わかって言っているのか」


「分からねえよ!」



 理里が、叫んだ。



「分からねえ。俺には分からねえよ。たったひとり殺しただけでも、俺は吐き気に襲われた。とんでもない罪悪感に襲われた。夜も眠れないくらいだった。何度もあの、崩れ落ちていくアリスタイオスを夢に見た。その13万5千倍の重みなんて、俺には想像できねえよ!


 ……だけどな」



 そこで、大きく息を吸う。



「あいつだって今、苦しんでるのは同じなんだ! 自分の中の化け物と、必死に戦って、抑えようとしてるんだ! 兄貴として……そこから解放してやりたいんだよ、俺はっ!

 つぐなう方法なんてのは、あとで考えればいい……でも、それが『死ぬ』ことだとは決して思わない! そもそも、『13万』と『1』じゃあ、つり合いが取れないだろうが!」


「……!」


 理里の言葉に、手塩は目を見開いた。それは、先ほど籠愛を叱ったときの言葉と、同じだったから。


「確かに、13万の命の上に、今あいつは立ってる。だが、その償いは死ぬことじゃない。自分の残りの時間を、その人たちのぶんまで、誰かのために生きることじゃあねえのかよっ!!!!!!」


 言い終って、理里は血を吐く。地面の氷に、ぼどぼどと赤い液体が落ちた。


「…………」


 手塩はしばし、理里を見つめていた。向けた黒剣の先が、わずかに震えていた。


「……なんだよ。やるならさっさとしろ」


 喧嘩腰な理里。しかし、手塩は無言で息をつく。

 彫像のように固まったまま、30秒ほど刻が過ぎ。今さら邪眼の光が効いてきたのか、と理里が訝り始めたところで、手塩は口を開いた。


「……現在(2018年4月)の世界で死刑制度を採用している国は、97ヵ国だそうです」

「……?」


 唐突に話を飛ばした手塩に、理里は戸惑った。


「……何の話だ」

「このうち48ヵ国は事実上制度を廃止しており、また七ヵ国も通常犯罪においては死刑を規定しないとしている。積極的に死刑を採用しているのは、半数以下の42ヵ国しかない。今や世界的に、死刑制度は廃止の動きにある。


『死を以って償う』ということは、罪人の命の残り時間を、罪の代償として支払うこと。その人間の『可能性』を、ともすれば世界中の人々を救ったかもしれない未来を、永久に摘み取ること。

 しかし……結局のところ死刑とは、われわれの『気休め』にすぎないのかもしれない」


 どこかかなな瞳で、手塩は続けた。


「現在の日本では、殺人罪や強盗致死罪など、人の命にかかわる犯罪について死刑が適用されている。しかしながら、たとえばひとりの人間がふたりを殺した場合……ひとりの『可能性』の数では、ふたりの『可能性』の数に対して等価ではない。『可能性』は無限のものですから、一概に簡単な計算をしてよいものではありませんが。釣り合うかどうかは疑問だ。

 結局、その辺りは曖昧ですし、私などは古い人間ですから、『死に対して死を以って償う』考えに違和感は無かったのですが……成程。『可能な限り、その人間の分まで他人に尽くす』……そのような発想は、私には無かった」


「お、おう……」


 妙なところで評価されたようで、理里は鱗がむずがゆくなった。

 だが今は戦闘中。それも、今にもとどめを刺されようか、という場面である。そのような状況でこんな問答をしていることに、ふと、疑問が湧いてきた。腹を刺された激痛があるはずなのだが、不思議と、理里の心は落ち着いてきていた。

 そんな心持ちの彼に、手塩はさらに問うてきた。


「……君はさきほど、『妹を苦しみから解放したい』と言いましたが……具体的に、その方法は考えていたのですか?」

「あ、ああ……もちろん。吹羅の異能力で、暴走を止めようと考えていたんだ。吹羅は今、蘭子さんが迎えに行ってる」

「……彼女がですか」


 手塩が複雑な顔をしたが、理里は続けた。


「俺は綺羅の位置を確認してから、集合場所の怪原家ウチに戻って、それを吹羅たちに伝えるつもりだった。そのあとは英雄あんたたちの妨害があったときのために、家族総出で吹羅を援護する……その予定だった」


 最後の一文はまだ誰にも伝えていなかったが。なんとなく、今は隠す気になれなかった。この男が、どうにも悪い人間ではないような……そんな気がして。


「俺たちだって、人間の世界に寄生している身分だ。身内が引き起こしたことに、罪悪感はあるよ。だから、一刻も早く被害を食い止めたい……そして、綺羅を苦しみから救いたい。その気持ちだけで、俺は動いてた」


 正直なところを、包み隠さず理里は伝えた。奇妙なことだが、今は、この敵であるはずの英雄に対して、本当の心で語りたいという欲求があった。


 そして、それを聞いた手塩は。


「……なるほど」


 神妙な面持おももちで、その作戦への考察を述べた。


怪原吹羅ヒュドラの能力は、触れるだけでいかなる異能力も無効化できる。それどころか、あらゆる異能力による攻撃は彼女に通用しない……キマイラ鎮圧ちんあつにあたって、これほど適した能力者はいない。身を危険にさらさなくとも、あの怪物を無力化できる……うむ、なるほど」


 うん、うん、と、何度も納得したようにうなずき。


 ついに彼は、理里に突き付けていた剣を下ろした。


「……!」


 目を見開く理里に。手塩は、剣を鞘に納めつつ、口を開いた。


「その作戦……我々も一枚、嚙ませてもらってもよろしいでしょうか?」





 理里が提示したというキマイラ鎮圧作戦の詳細を、無線で手塩に解説され。もう一度、咀嚼するように、籠愛は無線機の向こうの手塩が言った内容を反芻はんすうした。


「あの怪原家と、共闘……!? 正気で言っているのですか!? 我々は彼らを討伐しろとの命令を受けているはずでは!?」

『先程、怪原理里と対話し、決定したことです。今回の事態の収束には、彼らの協力が必要不可欠。よって、一時的に停戦協定を結び、怪原綺羅の無力化に当たります』

「何を馬鹿な……柔軟じゅうなんにも程があるでしょう! それに、キマイラの無力化は私に任された仕事だったはず……! あなたが、私に! 任命したのではなかったのですか!」

『確かにそうですが、怪原理里の提示したプランの方が確実と判断しました。よって、貴殿には申し訳ないが、涙をのんでもらいたい』

「そん、な…………」


 籠愛は打ちひしがれた。たった今、あと少しで止めを刺そうというところの敵と、共闘しろと。しかも、籠愛の任務を、彼らに奪われるような形になるなど。


「もう一度……もう一度、考え直していただけませんか! 私はもう、あの『青い炎』を突破する方法を見つけています! 敵の戯れ言など聞かずとも、わたしが……!」

『客観的に判断した結果です。……心苦しいですが、彼の案の方が安全性は高い。ヒッポノオス、あなたの安全も考えてのことです。私はもう、誰にも死んで欲しくないのだ』

「私は貴方の……、『使命』のためなら、命など惜しくありません! 『命を使う』と書いて使命でしょう! それに殉じることができるのなら、私は本望です!」

『何度言わせる! 『命を大切にしろ』と、わたしはそう言っているのだ!』


 手塩が声を荒げた。籠愛は黙らざるを得ない。


『……とにかく、これは決定事項です。アテナイ王テセウスの名において、英雄ヒッポノオスには従ってもらう。

 私はしんに貴方の、貴方たちのことを思って決断した。……そのことだけは、忘れないでください』


 それだけ耳に残して、ぷつん、と。右耳のイヤホン型無線機は、声を発さなくなった。


「くっ………………」


 悶悶もんもん。ただ、悶悶と。煮えたぎる怒りだけが、籠愛の心に残る。


「わたしは……わたしは、みつけたんだ……青い炎の、攻略法を……!」


 それだけが。見下ろす宙空にこぼれ出た。


 見つけた。見つけたのだ。この柚葉市に、ここまでの惨劇をもたらした『青い炎』の攻略法を。挑むもの全てを阻み、凍らせるあの炎を、打ち破る方法を。ブチ抜いて、の"混沌の化身"に、止めを刺す方法を。

 だというのに、だというのに、だというのに。あるじは、それをするなという。挙句あげく、滅ぼすべき敵と共闘し、滅ぼすべき敵の作戦で、かの"混沌の化身"の打倒に当たれという。籠愛の言葉などには耳も貸さず。


「…………あなたは。わたしのことなど、何も考えてはいない……!」


 ぎりり、と。噛んだ唇から、血の粒が落ちた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る