47. Another Lizard
《10分ほど前、
たん、たん、たん。凍った屋根から屋根へ、小気味良く。
大柄な身体で軽やかに飛び移るのは、天然パーマの長髪を下結びにまとめた青年。手塩である。
(キマイラの討伐は、ヒッポノオスに任せました。となれば私は、それを阻む者どもを排除するまで)
『青い炎』の中心である綺羅。それを守るために、必ず怪原家の面々は動くはずだ。場合によっては、魔神テュフォーンも。
彼の龍神が出てきては流石の手塩も太刀打ちできないが、それ以外の者であれば問題は無い。腰に
(おっと……噂をすれば)
下方の住宅街、少し先を走る緑の影。エメラルドのように光るその鱗は、まぎれもなく、怪原家の三男――理里のものだ。
「…………!」
音もなく、手塩は跳躍する。そして、腰の『剣』の
(邪眼を使わせるまでもない。一刀のもとに、斬り伏せてくれる)
ぐんぐんと降下する1秒、2秒。叩き斬る剣先が、理里の
とは、行かない。
「……ほう」
赤黒い
しかし。その後に残ったのは、ぴちぴちと跳ね回る
きゅいい、と。何か、ジェット噴射器にエネルギーが充填されるような音が、手塩の頭上に響く。
はっとして飛び退くが、時はすでに遅い。尾を犠牲にして跳躍した蜥蜴男は、尻尾を再生させ、今まさに満ち満ちた左眼の光の奔流を解放しようとしていた。
「――終わりだ、手塩!」
ばしゅう。放たれる黄金の光。それは、照射された有機物すべての石灰化を進める光線。氷に覆われたアスファルト、その上を這ったまま凍っていた
無論、それは手塩も同じだった。真正面から光を浴びた彼のワイシャツが、ぴきぴきと灰色に固まってゆく。石に、なってゆく。
☆
(……やっと、これで、俺は……)
強烈な光の中、石化する手塩のようすをおぼろげに見ながら。理里は不思議な感慨に浸っていた。
この男を倒すことで、ひとつの区切りがつく。英雄たちの集まりである柚葉高校生徒会、その長がいなくなる。それは、ずっと珠飛亜を欺いてきた者たちの指導者が、それを企てた首謀者が、倒されるということ。
ひとりの人間の命を奪うことであるのに。あれほど抵抗をおぼえ、嘔吐すらした行為であるのに。なぜか理里は、胸の奥が
(どうしてだろう……何だ、この『達成感』は)
不可解なこの感情の理由を、脳内でいくらか検索し。思い至ったとき、理里はにわかに腹が立った。
(そう……か。あんな奴のことで、俺は……)
そう。この『達成感』の原因は、珠飛亜だ。あの恨めしき姉貴だ。
手塩たち英雄は、柚葉高校に在学中、ずっと珠飛亜に正体を隠していた。彼女を欺き、心の中でせせら笑っていた (者もいた)。そして正体を明かし、姉を傷つけた存在が、理里は憎らしかったのだ。
もう、「二度と近寄るな」と命令した彼女のことで。いまだに感情を振り回される自分に、理里は苛立った。
(違う……あんな姉貴のことで達成感をおぼえているんじゃない。手塩は生徒会の会長、つまり英雄たちを束ねる存在……それを倒せたことが嬉しいんだ)
それは、忌まわしい感情であるけれど。『正しい道を行きたい』などとのたまった自分に許される感情ではないけれど。少なくとも今は、そう信じたかった。
とかく、一安心だ。最強と目されていた英雄のリーダー格が、ここで
輝き。
(……?)
輝きだ。薄いワイシャツが崩れ去った先から、理里の"眼"の光とは異なる光が、見える。
それが、何かごつごつと隆起したものであると気付くのに、そう時間はかからなかった。
(――!? 何だ――)
理里の心が警鐘をわれんばかりに鳴らしたとき。
ずぶり。
「え……」
何か、何か冷たいものが、理里の腹の中に入ってきた。鱗を貫き、内臓を切り飛ばして。
手塩の剣が、理里の腹を刺し貫いていた。腹筋の右側あたりから侵入した刃は、そのまま肉を切り裂いて、背中の鱗に覆われた皮膚を貫通した。
「……アリスタイオスの、お陰です。彼の死は、彼が遺したものは、やはり大きかった」
どしゅう、と、剣が引き抜かれた。低い声が頭に響く。ふらついた理里は、血の流れ出る腹を押さえてその場に座りこんだ。
「なん、で……ひだ、りめが、」
動揺、極度の動揺。勝ったと思っていたものが敗北していた動揺。効くと思っていたものが効かなかった動揺。倒れたと思っていたものが、立っている動揺。
それらの動揺から、せめてその理由を見極めたいと思い、理里は顔を上げた。
が……そこに立っていたものは。
「そ……! その、姿は……!?」
びゅう、と剣を振って血を払った手塩の腕は、緑色。
いや、腕だけではない。全身に生える、ごつごつとしたものが、その色なのだ。
変化はそれだけではない。口は耳まで裂け、耳は尖り、尻からは尾が生え――その様はまるで、
「あまりいい気分はしませんが。これがあなたの邪眼に対する唯一の策だというのですから、仕方ない。
"
幕引きです、邪眼の蜥蜴よ。このテセウスが、ここに引導を渡しましょう」
黄色く染まった瞳が。ぎょろり、理里に狙いを定める。
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