45. 四月末、粉雪の空と飛行機雲
手塩による激励の効果もある。だが、それ以上に彼の心を高揚させていたのは。
(思いついたぞ……! あの『青い炎』を、無力化する方法を!)
そう、彼は閃いたのだ。彼の能力"
(この方法であれば、どれだけあの炎を受けようと凍らされることは無い! 先程のように、敵に背を向けることなどない……一気に突貫し、奴の命を奪える!)
それは喜びであった。犯した失態を、呑んだ屈辱を、返上するための糸口が掴めたことへの。
興奮のまま、彼はペガサスの横腹を蹴る。白馬が
先ほど撤退した、住宅街のT字路へ。炎の中心となった、あの怪物が居る場所へ。白き閃光となった彼らが、立ちこめる雲を破って、再び「奴」に挑まん――
……とは、行かなかった。
『BRRRRRRRRRRR、HEEEEEEEEEEEE!?』
「……何……!?」
ペガサスが突然、高く嘶く。姿勢を崩し、きりもみの回転で急転直下、墜落してゆく。
「馬鹿なッ……! ペガサス、どうしたというのだ!」
落下しながらもペガサスが暴れるたびに、白銀の羽根が舞う。その中で、籠愛は必死に手綱を引くが、天馬は言うことを聞かない。もはや制御不能だ。
このままでは、ペガサスも籠愛も地面に激突して死ぬしかない。そう考えた籠愛は、右手を地面にかざした。
「"
瞬間、ゴウ、と、辺りの空気がペガサスの真下に集中する。見えない大きな塊となったそれは、柔らかく籠愛とペガサスを受け止めた。
籠愛が手を向けた方に、不可視の『
「突然、何があったのだ……虫にでも刺されたか?」
寝かせた白馬の首をさする籠愛の左手に、何か固いものが当たる。目をやると――それこそがまさしく、ペガサスを墜落せしめた原因だった。
「これは……!」
その
手の平大の、紫色をした宝石を、黄金でひし形に縁取ったアクセサリー。その裏側に青みがかった金属の刃を取り付けた、
はっ、と殺気を感じ、すぐさま籠愛が左に身体を転がすと。彼の座っていた位置には、それと同じ武器が突き刺さっていた。
「あら、素早いのね。さすがは『空の英雄』、と言ったところかしら」
「……女狐が。姑息なやり口は変わらないようですね、エキドナ」
上方に
☆
大地に膝をつき、自分の方を見上げる青年を。恵奈は悪魔にも似た笑みで挑発する。
「いくら天空の英雄といっても、
「……
……だが」
チラリ、籠愛は天馬を見やり。ふたたび、宙をはばたく恵奈の瞳を見据えた。
「確かに、わたしは単独でも飛行することができる。しかし、だからといって
「……何を言うの?」
恵奈が目を細める。
「あなたは敵よ。そちらの有利になるようなことを、わたしが許すはずないでしょう」
「
そこで言葉を切ると、籠愛は右手でブレザーの胸ポケットをまさぐった。
少し間を置いて、籠愛が取り出したのは……小指ほどの大きさの、ガラス瓶。中には緑色の液体が入っている。
「これは万能の霊薬・ネクタルだ。飲めばどんな病も完治し、患部に塗ればどんな傷もたちどころに元通りになる。こちらを1本、貴女に差し上げよう。それでいかがか……
それに
「……ふうん」
籠愛の真摯な視線。そこに嘘はなかった。騙し討ちをしようなどという悪意のない、ただ、真に自分の友を……ペガサスを思うがゆえの提案であることを、ヘーゼルナッツ色の瞳が語っていた。
――だが。
「――!?」
パリン、と。落ちた小瓶が音を立てて割れた。
「……貴様」
籠愛の右手のひらを、蒼の刃が刺し貫いている。その
さきほどの暗器だ。紅い血が、刃を伝い、凍ったアスファルトにしたたり落ちる。
「悪いけど私、せっかく奪った敵のカードを返してやるほど甘い女じゃないの。万能のお薬だって、超人的な自然治癒能力を持つ私達には不要だしね。
何よりその
恵奈が邪悪な笑みを浮かべる。不敵にして優雅ですらあるその笑みは、籠愛に一種の
「そうか……ならば、一刻も早く貴様を
「やってみなさい。できるものならね」
恵奈が空中の
途端、籠愛の身体が、宙に浮く。勢いよく恵奈の方に引き寄せられる。
(これはっ……! そうか、あの暗器の!)
籠愛の手に突き刺さった、紫色の宝石のナイフ。そこから伸びる細い糸は、恵奈の腰巻に
「終わりよ!」
恵奈が新たな宝石を投げつける。
(……なるほど、
この状況においても籠愛は冷静|沈着。宙を舞っていても、刃が自らの
「私も、この程度で
彼がそうつぶやくと、ヒュン、と音がして。直後、彼の身体の飛んでいく方向が、変わった。地面から恵奈へと飛ぶ軌道から、放物線を描いて、地面に落ちてゆく方へ。
糸が、切れている。彼の右手に刺さった暗器から伸びる糸が。
「……やるわね。でも!」
恵奈が腰元の糸を強く引くと、最後に投げた宝石から、刃が分離する。方向を変え、落下する籠愛のほうへと向かって飛んで行く。
だが。
「……フン」
ごう、と風が吹いたかと思うと、刃は途端に押し返されてしまった。
「"
落下しかかっていた籠愛が、『風』に吹き上げられて上昇する。無理やりに引き上げられた先程と違い、今度は自分から恵奈の方へ、突進にも近いスピードで。
⭐︎
(……? どういうつもりかしら)
英雄の奇妙な行動に、恵奈は困惑した。
籠愛は何の武器も持ってはいない。先程から彼の戦闘スタイルを見る限り、おそらく彼の能力は『風を操る』もの。それも効果範囲はかなり狭い。そんな能力で突貫し、恵奈に対してどのようにダメージを与えるというのか。
不審に思った恵奈は。
("
密かに異能を発動させる。瞬間、彼女の視界に、"5秒後"までの映像が早回しで重なる。
接近してくる籠愛 (の映像)。それは1秒、2秒で恵奈のすぐそばまで至り、そして残りの0.5秒で交戦――直後、飛び散る鮮血。
が、しかし。
(……これはっ!?)
恵奈は驚愕した。
2.5秒後(現在は2.3秒後だが)の視界で
それから残り2.5秒は悲惨だった。肩口から乳房、首、髪、唇、鼻まで。順番に「不可視の刃」に
「…………っ!!」
恵奈は即座に空中を後退する。なおも籠愛は突き進んでくる。
「ふ、噂の未来予知ですか。
籠愛が笑みを浮かべながら飛来する。その最中、恵奈は空中を後退しつつ、頭脳を巡らせていた。
(どうする……飛び道具はもう通用しない。かといって近づいたら即死。あの『不可視の刃』、どう破ればいいの?)
その思考を示すように、複雑に旋回しながら翔ぶ恵奈。が、彼女の中には、すでにひとつの選択肢が浮かんでいた。
しかし。
(
だが、それを使えば、彼の英雄を確実に葬り去ることができることもまた確かだ。
(どうする……どうする、どうする、どうするっ!)
やはり、あの手しかないのか。
(……いや、まだ、手はあるはずよ。あの『刃の壁』には、必ずスキがある……!)
びゅう、びゅうと、突風の吹く音だけが聞こえる籠愛の方を。見えない壁を凝視しながらも、恵奈はなんとか糸口を探す。雪の舞う曇天の中、見えない刃の、攻防一体の防護壁。その弱点を。
だが、何も見つからない。無敵のあの壁には、抜け穴など無い。
「……やっぱり、
打つ手なし、とあきらめかけた、その時。
視界に映る風景。
(……何かしら。特に、変わったことがあるようには見えないけれど)
風刃の壁を展開して飛行してくる籠愛。それ自体が何か変わったようにも見えない。彼が他に何かをした様子はない。
が、何かが
そう思って、もう一度籠愛の周りを見回したとき――恵奈は、
(そうか……この手なら!)
蛇の
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