45. 四月末、粉雪の空と飛行機雲



 天馬ペガサスまたがり、1000メートルの上空から、雲を突き破って急降下する籠愛。吹きつける向かい風の中、その顔色は、『青い炎』の暴走を目撃した直後と打って変わって紅潮こうちょうしていた。

 手塩による激励の効果もある。だが、それ以上に彼の心を高揚させていたのは。


(思いついたぞ……! あの『青い炎』を、無力化する方法を!)

 そう、彼は閃いたのだ。彼の能力"空気の支配者エア・ドミネイター"を利用し、キマイラの『青い炎』をすり抜ける方法を。


(この方法であれば、どれだけあの炎を受けようと凍らされることは無い! 先程のように、敵に背を向けることなどない……一気に突貫し、奴の命を奪える!)


 それは喜びであった。犯した失態を、呑んだ屈辱を、返上するための糸口が掴めたことへの。

 興奮のまま、彼はペガサスの横腹を蹴る。白馬がいななき、力強く羽撃はばたく。

 先ほど撤退した、住宅街のT字路へ。炎の中心となった、あの怪物が居る場所へ。白き閃光となった彼らが、立ちこめる雲を破って、再び「奴」に挑まん――


 ……とは、行かなかった。


『BRRRRRRRRRRR、HEEEEEEEEEEEE!?』

「……何……!?」


 ペガサスが突然、高く嘶く。姿勢を崩し、きりもみの回転で急転直下、墜落してゆく。


「馬鹿なッ……! ペガサス、どうしたというのだ!」


 落下しながらもペガサスが暴れるたびに、白銀の羽根が舞う。その中で、籠愛は必死に手綱を引くが、天馬は言うことを聞かない。もはや制御不能だ。

 このままでは、ペガサスも籠愛も地面に激突して死ぬしかない。そう考えた籠愛は、右手を地面にかざした。


「"空気の支配者エア・ドミネイター"、『大気布団エアマット』!」


 瞬間、ゴウ、と、辺りの空気がペガサスの真下に集中する。見えない大きな塊となったそれは、柔らかく籠愛とペガサスを受け止めた。

 籠愛が手を向けた方に、不可視の『布団マット』はゆっくりと下降し。凍ったアスファルトに、静かに彼らを下ろした。


「突然、何があったのだ……虫にでも刺されたか?」


 寝かせた白馬の首をさする籠愛の左手に、何か固いものが当たる。目をやると――それこそがまさしく、ペガサスを墜落せしめた原因だった。


「これは……!」


 そのに、籠愛は見覚えがあった。

 手の平大の、紫色をした宝石を、黄金でひし形に縁取ったアクセサリー。その裏側に青みがかった金属の刃を取り付けた、。それが、天馬の首に突き刺さっている。

 はっ、と殺気を感じ、すぐさま籠愛が左に身体を転がすと。彼の座っていた位置には、それと同じ武器が突き刺さっていた。


「あら、素早いのね。さすがは『空の英雄』、と言ったところかしら」

「……女狐が。姑息なやり口は変わらないようですね、エキドナ」


 上方に羽撃はばたく、黒い影。天空に黒翼を広げる鬼女きじょを、籠愛はしっかと睨んだ。





 大地に膝をつき、自分の方を見上げる青年を。恵奈は悪魔にも似た笑みで挑発する。


「いくら天空の英雄といっても、天馬ペガサスをなくしては形無かたなしね? 足を折らなかったのかしら」

「……生憎あいにくだが、今の私には異能がある。この生涯の朋友ともを失おうとも、我が身は空を舞えるのだ。この程度で私の持ち味を殺したなどと思うな。

 ……だが」


 チラリ、籠愛は天馬を見やり。ふたたび、宙をはばたく恵奈の瞳を見据えた。


「確かに、わたしは単独でも飛行することができる。しかし、だからといって天馬との友情の価値がなくなったわけではない。敵に頼み事などしたくはないが……少しばかり、彼を治療する時間を貰えないだろうか?」

「……何を言うの?」


 恵奈が目を細める。


「あなたは敵よ。そちらの有利になるようなことを、わたしが許すはずないでしょう」

貴姉きしの性格は承知している。もちろん、ただでとは言わない」


 そこで言葉を切ると、籠愛は右手でブレザーの胸ポケットをまさぐった。

 少し間を置いて、籠愛が取り出したのは……小指ほどの大きさの、ガラス瓶。中には緑色の液体が入っている。


「これは万能の霊薬・ネクタルだ。飲めばどんな病も完治し、患部に塗ればどんな傷もたちどころに元通りになる。こちらを1本、貴女に差し上げよう。それでいかがか……

 それに天馬ペガサスは、血縁上あなたの叔父にあたるはず。身内を殺すのは、そちらとしても寝覚めが悪いのではないか」

「……ふうん」


 籠愛の真摯な視線。そこに嘘はなかった。騙し討ちをしようなどという悪意のない、ただ、真に自分の友を……ペガサスを思うがゆえの提案であることを、ヘーゼルナッツ色の瞳が語っていた。


 ――だが。


「――!?」


 パリン、と。落ちた小瓶が音を立てて割れた。


「……貴様」


 籠愛の右手のひらを、蒼の刃が刺し貫いている。そのに取り付けられているのは、紫の宝石。

 さきほどの暗器だ。紅い血が、刃を伝い、凍ったアスファルトにしたたり落ちる。


「悪いけど私、せっかく奪った敵のカードを返してやるほど甘い女じゃないの。万能のお薬だって、超人的な自然治癒能力を持つ私達には不要だしね。

 何よりそのヒト、わたしと血の繋がりはあるけれど……面識なんてほぼ無いの。何の愛着も同情心も無いわ。遺伝的な繋がりよりも大事なのは、『一緒に過ごした幸福な時間の長さ』……じゃ、ないかしら?」


 恵奈が邪悪な笑みを浮かべる。不敵にして優雅ですらあるその笑みは、籠愛に一種のを固めさせる力を持っていた。


「そうか……ならば、一刻も早く貴様をほふるだけだ」

「やってみなさい。できるものならね」


 恵奈が空中のを強く引いた。

 途端、籠愛の身体が、宙に浮く。勢いよく恵奈の方に引き寄せられる。


(これはっ……! そうか、あの暗器の!)


 籠愛の手に突き刺さった、紫色の宝石のナイフ。そこから伸びる細い糸は、恵奈の腰巻につながっている。


「終わりよ!」


 恵奈が新たな宝石を投げつける。聖金属オリハルコンの刃が、宝石のから滑らかに突き出す。一直線に籠愛の脳天へと飛んで来る。


(……なるほど、流石さすがは『怪物の母』。だが……)


 この状況においても籠愛は冷静|沈着。宙を舞っていても、刃が自らのひたいに向かって飛来していても。彼の心は平静を保つ。


「私も、この程度でられはしない」


 彼がそうつぶやくと、ヒュン、と音がして。直後、彼の身体の飛んでいく方向が、変わった。地面から恵奈へと飛ぶ軌道から、放物線を描いて、地面に落ちてゆく方へ。

 糸が、切れている。彼の右手に刺さった暗器から伸びる糸が。


「……やるわね。でも!」


 恵奈が腰元の糸を強く引くと、最後に投げた宝石から、刃が分離する。方向を変え、落下する籠愛のほうへと向かって飛んで行く。

 だが。


「……フン」


 ごう、と風が吹いたかと思うと、刃は途端に押し返されてしまった。あおの刀身が落下し、地面を覆う氷に突き刺さる。


「"空気の支配者エア・ドミネイター"、『上昇気流アップドラフト』」


 落下しかかっていた籠愛が、『風』に吹き上げられて上昇する。無理やりに引き上げられた先程と違い、今度は自分から恵奈の方へ、突進にも近いスピードで。



⭐︎



(……? どういうつもりかしら)


 英雄の奇妙な行動に、恵奈は困惑した。

 籠愛は何の武器も持ってはいない。先程から彼の戦闘スタイルを見る限り、おそらく彼の能力は『風を操る』もの。それも効果範囲はかなり狭い。そんな能力で突貫し、恵奈に対してどのようにダメージを与えるというのか。

 不審に思った恵奈は。


("暗神の瞳トパーズ・オブ・ハン"!!)


 密かに異能を発動させる。瞬間、彼女の視界に、"5秒後"までの映像が早回しで重なる。

 接近してくる籠愛 (の映像)。それは1秒、2秒で恵奈のすぐそばまで至り、そして残りの0.5秒で交戦――直後、飛び散る鮮血。


 が、しかし。


(……これはっ!?)


 恵奈は驚愕した。


 2.5秒後(現在は2.3秒後だが)の視界で血飛沫ちしぶきを散らしたのは、これから恵奈が攻撃を仕掛ける予定だった籠愛ではなく、恵奈自身だったのだ。籠愛の頭蓋を叩き割ろうと、振り下ろしていた左腕。それが、彼に当たる寸前の空中で、ばらばらに切り刻まれている。


 それから残り2.5秒は悲惨だった。肩口から乳房、首、髪、唇、鼻まで。順番に「不可視の刃」に散切ざんぎりにされてゆき。最後には眼球の水晶体がはじけ飛んで、何も見えなくなった。


「…………っ!!」


 恵奈は即座に空中を後退する。なおも籠愛は突き進んでくる。


「ふ、噂の未来予知ですか。トロイア王女カサンドラ姫の真似事とは、不埒ふらちなことを……だが、それもいつまで持つか。貴女とて、永久に逃げ回っていられるわけではあるまい」


 籠愛が笑みを浮かべながら飛来する。その最中、恵奈は空中を後退しつつ、頭脳を巡らせていた。


(どうする……飛び道具はもう通用しない。かといって近づいたら即死。あの『不可視の刃』、どう破ればいいの?)


 その思考を示すように、複雑に旋回しながら翔ぶ恵奈。が、彼女の中には、すでにひとつの選択肢が浮かんでいた。


 しかし。


だけは、使うわけにはいかない……をやってしまったら、私の何より大切なものが、永久に喪われてしまうかもしれない)


 にはリスクがある。それも、彼女のかけがえのないものを、犠牲にしかねないリスクが。

 だが、それを使えば、彼の英雄を確実に葬り去ることができることもまた確かだ。の前では、かの英雄の『不可視の刃』の壁などは、わらたてにすら劣るだろう。


(どうする……どうする、どうする、どうするっ!)


 やはり、あの手しかないのか。の英雄を前に、あの禁断の手段を開帳かいちょうせざるを得ないのか。


(……いや、まだ、手はあるはずよ。あの『刃の壁』には、必ずスキがある……!)


 びゅう、びゅうと、突風の吹く音だけが聞こえる籠愛の方を。見えない壁を凝視しながらも、恵奈はなんとか糸口を探す。雪の舞う曇天の中、見えない刃の、攻防一体の防護壁。その弱点を。

 だが、何も見つからない。無敵のあの壁には、抜け穴など無い。


「……やっぱり、を使うしか無いのかしら」


 打つ手なし、とあきらめかけた、その時。

 視界に映る風景。すでに未来予知を切り、重なる映像のなくなったそれに、どことなく恵奈はをおぼえた。


(……何かしら。特に、変わったことがあるようには見えないけれど)


 風刃の壁を展開して飛行してくる籠愛。それ自体が何か変わったようにも見えない。彼が他に何かをした様子はない。

 が、何かが。何か違和感が存在する。何かが違う。

 そう思って、もう一度籠愛の周りを見回したとき――恵奈は、に気付いた。


(そうか……この手なら!)


 蛇の双眸そうぼうに、金色の光が灯った。

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