33. 旅立ちの夕に

《1週間前 2018年4月22日 16:04》



 放課後、夕陽の差す生徒会室。荷物をまとめ終わった蘭子らんこが、残る3人の役員を見回した。


「……皆、世話になったな。今日限りで、わたしはテュフォーン捜索・怪原家殲滅せんめつの任務を終える。無論、生徒会の仕事はこれからもしていくし、予期せぬ脅威が現れた場合には対応するが、今回の任務に関することは金輪際、行うことはなくなる。最後まで、迷惑をかけてすまなかった」


 ぺこり、と蘭子は頭を下げる。


「……本当に、その通りですよ。作戦を立て、これからそれぞれの予定に沿って動いてもらおうという時に……計画を無視して単独行動を取り、あまつさえ敗北するとは。通常の組織であれば、こちらからクビにしているところです」


 会長の席に座る手塩は、どこかの司令官のように組んだ手を机に立て、動かない。


「まったくですよ。アリスタイオスを失った今、我々は苦境に立たされているというのに……ネクタルも返却されたとはいえ、貴方ほどの戦力が抜け落ちるなど」


 籠愛ろうあいが渋い顔で立ち上がる。彼は蘭子に背を向け、窓際から中庭の景色を眺めた。


「まー、いいんじゃない? ランちゃんは、ランちゃんなりに吹っ切れたんでしょ。おともだちとして、あたしは門出を祝うよぉ」


 麗華は興味なさげに、桃色のツインテールの先をいじくっている。


「……本当にすまない。では、さらばだ」


 蘭子がきびすを返し、大きな段ボール箱を抱え、生徒会室を出ていこうとすると。


 低い声が、彼女を呼び止めた。



「待ちなさい」



「……?」



 手塩の声だ。反射的に蘭子は振り返る。


「何だ? まだ恨み言が残っているか」

「そんなものは尽きませんよ。いくら言っても飽き足りない。

 ……けれど今、これだけは言わせてください」


 そう言うと、手塩は立ち上がり。蘭子に向かって、つかつかと歩み寄る。


 そして、彫りの深いかおが、彼女の眼をしっかと見つめた。


「……な、なんだ、改まって」


 戸惑う蘭子に。手塩は目を伏せ、口を開く。


「私は、貴女あなたが嫌いだ。大嫌いだ。非論理的な感情論、独自の正義で動く貴女を、最後まで理解することはできなかった。

 ……けれど」


 そこで言葉を切って、手塩は息をひとつ吐き。


「……わたしに無いものを、貴方は持っている。私が選べない道を、選ぶことができる「心の力」を。ですので」


 そう言うと、彼は蘭子に背を向けた。


「貴女は、貴女の道をけばいい。思う存分、第二の人生を楽しむがいい」


 それだけ言い残して、手塩は自分の席に、かつかつと戻っていった。


「……お、おう。では、またな」


 手塩の態度にしろ、言葉にしろ、平時と違い過ぎる様相を脳が処理しきれなかったのか。蘭子は、そそくさと部屋を出て行った。


 ぴしゃり、引き戸が閉まった後。麗華が、虚空を眺めてつぶやいた。


「珍しいねぇ。テッちゃんが、あんなこと言うなんて」


 手塩はそれには答えない。眼鏡の奥の瞳が何を思うのか、うかがい知ることはできない。


 代わりに、手塩は一言もらした。


「大河くんだけでなく、蘭子さんまでも失われた……これは少々、『考える』必要がありますね」


 数々の難局を乗り切ってきた古王の頭脳が、策謀を巡らせ始める。





《現在 2018年4月29日 16:30》


(……来た!)


 籠愛の視界に、標的ターゲットが映り込む。


 中学校の正門から現れたのは、3つの人影。活発そうなショートカットの少女、穏やかそうなくせっ毛の少女。そして、その2人の友人の後を遠慮がちに付いて歩く、小柄な影。まぎれもなく、標的――かいはらだ。


 大河がのこした、綺羅の行動データ傾向どおり。彼女は授業を終えた後、美術部の友人とともに学校を出る。美術部の活動は火曜と金曜しか行われないので、今日は帰りが早い。


「………………」


 談笑する彼女らと自分との間に、電柱や人家を挟んで死角に入りつつ、籠愛は尾行をはじめる。


 『今日』でなくてはならなかったのは、一刻も早く、神々の威厳を回復するためだ。アリスタイオスに続き、「最速」のアタランテまでもが敗北した……この事実は英雄全体だけでなく、彼らを動かしている神々の威信にすらかかわる。早急な名誉回復が必要なのだ。


 手塩の作戦により、英雄たちにはひとりひとり、別々の相手が割り振られていたわけだが、個々にプランを立てていたこともあり、タイミングがこうしてズレてしまっている(「担当」を無視した蘭子は例外)。本来であれば籠愛ももう少し様子を見ていたが、神々の事情も考慮し、襲撃を急いだ。


 不測の事態(例えば、寄り道をするなど)のリスクを考慮して、綺羅が友人と別れるポイントに陣取る作戦は取らなかった。確実にひとりになるタイミングを狙い、速やかに仕留める。それだけだ――





 他方、「追われる身」たる綺羅はというと。


(……なんだろう、このかんじ……?)


 前を行く友人たちにしずしずと付いて歩きつつ。えもいわれぬ「寒気」に、彼女は背筋を冷まされていた。


 本能的な恐怖が呼び起こすその「悪寒」。しかしながら、綺羅を襲ったそれは、通常のものとは毛色が違っていた。


 ぞくぞく、ぞくぞくり。背を蹂躙じゅうりんするその感覚は、さながら百足むかでが血肉の中を這い回るがごとく。尋常ならぬ気味の悪さに、綺羅はめまいをおぼえる。


「だいじょうぶ、綺羅ちゃん!?」


 ふらり、と倒れかけたところを、友人の1人に抱きとめられる。



「あ、う、うん……ち、ちょっと、ふらっとしただけ。ひ、貧血かな、あはは……」



 綺羅はなんとか笑顔を作り、姿勢を立て直し、歩き始める。だが、異質な「悪寒」はなおも、彼女を苦しめ続けるのだった。




 ひゅう、と吹く風が、小さなカマキリの骸を転がしてゆく。


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